第1丁表4行目に、「おこ里・【給】気れは」と書かれている箇所について、まだ思いつきながら疑問点を記しておきます。
ここで「【給】気れ」と書かれた文字については、この下の文字が小刀で完全に削られており、その後に上から書かれているものです。下に何が書かれていたのかは、いろいろと道具を使って読み取ろうとしました。しかし、まったく一文字も読めませんでした。
(今、その直前の「おこ里」も、削除された上に書かれていることについては触れません)
そこで、こんなことを考えてみました。
この箇所の異文を調べると、次のようになっています。
まだ「変体仮名翻字版」でのデータが揃っていないので、従来の通行の平仮名を使った翻字で校異をあげます。
記号などについては、煩雑になるので省略します。
給けれは/△△△〈削〉給けれ[橋]・・・・050013
給けれは[池大麦阿御国肖日伏]
たまひけれは[穂]
給ひけれは[保]
たまへは[尾高天]
給へは[中陽]
この17種類の諸本の本文異同は、私が〈甲類〉とする[尾高天尾中陽]は「たまへは(給へは)」であり、〈乙類〉とする[池大麦阿御国肖日伏穂保]は「給けれは」となっています。
私の自説である、『源氏物語』の本文は〈甲類〉と〈乙類〉の2つにわかれる、という傾向をここでも見せています。
それはさておき、〈甲類〉に属する性格を色濃く見せる橋本本が、ここでは「給けれは」なので、〈乙類〉ということになるのです。しかし、それはなぞられた文字で読むとそうだということです。もし、最初に書写された、ここでは下に書かれて削られた文字がわかると、また別のことがわかるかもしれません。これは、探る価値があります。
橋本本が〈甲類〉の本文を持っていたとすると、この下に書かれていた文字は「給へは」である可能性がありそうです。
そこで試しに、前の行頭にあった「堂まへ」という三文字をここに複写して貼り付けてみました。
するとどうでしょう。ぴったりと収まったのです。
これは実証的でも何でもなくて、力技で、ただ思いつきの切り貼りをしただけです。しかし、これも可能性の追及ということで、やってみる意味はあった、と言ってもいいでしょう。
橋本本において、本行の本文を削った上に書写されている文字は、意外に対立する本文(異文)なのかもしれません。後の人が、橋本本で異文となっている箇所を、流布本で校訂したのが、この削除してなぞり書きをしているものかもしれません。
これは、学問的ではなく、一例を取り上げての単なる思いつきの段階です。
本文を削除して、その上からなぞるという本文の修正は、この橋本本には無数にあります。今、手元の「変体仮名翻字版」による翻字本文で調べると、削除後になぞり書きされているのは、114箇所に見られます。この削除された114箇所に書かれた本文を、時間を見つけて、一つずつ調べてみようと思っています。根気のいることですが……
もう一つは、鎌倉期の写本で「気」という字がどのように使われているか、ということです。
ハーバード本「須磨」と「蜻蛉」、そして歴博本「鈴虫」には、「気」はまったく見られません。しかし、橋本本「若紫」には、63例も使われています。これはどういうことを意味するのでしょうか。
ほとんどが、上掲の例のように「【給】気れ」と助動詞などで使われています。
そこで、この「気」を漢字の意味を持たせて使われている例を抜き出してみました。
私の基準で漢字と認定したのは、以下の18例です。
きよ【気】なるや(3オL5)
きよ【気】な累(3ウL3)
を閑し【気】なる(3ウL9)
【御】ものゝ【気】(8ウL1)
ゆ可し【気】那累(11ウL2)
い者【気】なき(19ウL4)
すこ【気】に(20ウL1)
【気】はひ(20ウL5)
つゆ【気】さ(22オL8)
【御気】しきの(34オL3)
【御気】しなるもの可ら(37オL2)
【御気】しきも(39オL1)
【御】ものゝ【気】能(39オL6)
【御気】しきも(39オL7)
【気】しきの(40ウL6)
堂のもし【気】那く(42オL3)
すこし可た【気】にて(44ウL7)
春こ【気】尓(46オL8)
これらの語句の「気」について考えるには、まだ翻字した写本の数が少ないので何とも言えません。しかし、今後のために、こうした用例が確認できた、ということを記録に留めておきます。
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