2016年06月22日

読書雑記(169)山口謠司『日本語を作った男 上田万年とその時代』

 『日本語を作った男 上田万年とその時代』(山口謠司、集英社インターナショナル、2016年2月)を読みました。
 上田万年については、作家円地文子の父と言った方が通りがいいかもしれません。


160616_mannen




 気難しそうな森鷗外と、それを仮名遣調査委員会の司会として迎え撃つ上田万年の姿から語り出されます。
 旧仮名遣い派の森鷗外と、新仮名遣い派の夏目漱石の対立も、興味深く紹介されます。
 次の言葉が印象的です。


万年なしに「漱石」は生まれてこなかった。(25頁)


 本書は、明治から大正にかけての日本語の歴史を語っています。
 井上ひさしの『國語元年』が導入に使われているゆえんです。

 明治十年代後期から明治四十年頃までの日本語論争は、まさに今私が一番知りたいことであり、興味がある時代です。じっくりと読みました。

 チェンバレン、物集高見、アストン、サトウ等々、私も知っている人々が出てきて、楽しく読み進められました。

 ただし、しばしば脱線して明治時代の文学史や文化史に流れます。上田万年は、著者にとっては語りのきっかけにしているに過ぎない、と言うのが当たっているのです。
 とにかく、登場する人物の多さには圧倒されます。それだけ、明治時代から昭和時代にかけての日本語のありように関しては、さまざまな変転があった、ということなのです。

 私が本書を手にしたのは、明治33年に平仮名が現行の字体の1文字だけに統制された背景を知りたかったからです。しかし、このことに関しては、あまり新しい情報を得るものがありませんでした。無い物ねだりだったこととはいえ、残念でした。

 なお、巻末の「本書俯瞰のための国政および国語問題、文学関係年表・附 上田万年年譜」は、通覧していて楽しいものでした。歴史と事実を時間軸から切り取ることに、著者らしい視点で整理がなされたものです。【3】

 最後に、私がチェックをした箇所を列記しておきます。

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・新島嚢に大きな影響を受けてアメリカで教育を受けた内村鑑三は明治二十七(一八九四)年に箱根で行われたキリスト教徒第六夏期学校での講演『後世への最大遺物』でおおよそ次のように述べている。

 日本人が文学者という者の生涯はどういう生涯であるだろうと思うているかというに、それは絵艸紙屋へ行ってみるとわかる。どういう絵があるかというと、赤く塗ってある御堂のなかに美しい女が机の前に座っておって、向こうから月の上ってくるのを筆を翳して眺めている。これは何であ
るかというと紫式部の源氏の間である。これが日本流の文学者である。しかし文学というものはコンナものであるならば、文学は後世への遺物でなくしてかえって後世への害物である。なるほど『源氏物語』という本は美しい言葉を日本に伝えたものであるかも知れませぬ。しかし『源氏物語』が日本の士気を鼓舞することのために何をしたか。何もしないばかりでなくわれわれを女らしく意気地なしになした。あのような文学はわれわれのなかから根コソギに絶やしたい(拍手)。
……文学はソンナものではない。文学はわれわれがこの世界に戦争するときの道具である。今日戦争することはできないから未来において戦争しようというのが文学であります。

 日本語を捨て去って、母国語を英語にするということを、もし、彼らが決めていたとしたら……ということも、必ずしも不可能ではなかったのである。(51〜52頁)
 
・日本語を棄てて英語にしようという急進的な考えは別にしても、日本語ローマ字化と同時に、前年の明治六(一八七三)年には、以前から漢字廃止を唱えていた前島密が『まいにちひらがなしんぶんし』を発行していた(翌年廃刊)。(53頁)
 
・明治三十三(一九〇〇)年、文部省は、それまであった「読書」「作文」「習字」の三つをまとめて「国語」という科目を作るのである。これはまさに「朝廷ー幕府ー藩」という旧体制を脱して、「大日本帝国」という国家の体制が「国家」「国民」「国語」という新しい次元に変化したことを意味するものでもあった。
 明治三十三年の段階では、いまだ、「標準語」は整備されていない。しかし、「国語」を科目として全国の小学校の科目に置くことで、次第に「新しい思想」が「新しい国語」で書かれる道が生まれてくるのである。(57頁)
 
・当時イギリス・ケンブリッジ大学に留学していた末松謙澄は、『日本文章論』(明治十九年刊)のなかで「羅馬字書方」を記し、羅馬字会が作ったローマ字の書き方を改良し、さらに日本語の発音と一体化する綴り法が必要だということを説明する。(81頁)
 
・促音の符号の如き、或人はッの字をかき、或人はフツクチキの字の右側に●点を施し、或人は−又はツを以て之を区別す。これらも予輩の希望よりすれば、一定の符号仮令ばפֿ字の如きを作り、これを以て総ての場合を総括したきものなり。たとえば
国家 コפֿカ  立法 リפֿポー  一切 イפֿサイ
合羽 カפֿパ  達者 タפֿシヤ
等の如し。これらも亦−と同じく、五十音図中んの下に入るべきは論なかるぺし。(288頁)
 
・明治三十三年は、万年にとって「仮名遣いの革新」という意味では非常に実りある年でもあった。
 帝国教育会国字改良部仮名調査部の会議などを経て、八月、文部省は小学校令において、「読書作文習宇を国語の一科にまとめ、仮名字体・字音仮名遣いを定め、尋常小学校に使用すべき漢字を千二百字に制限」し「仮名遣いの一定として変体仮名を廃止し、字音仮名遣いを改正する(表音式に改め、長音符号を採用する)こと」を決定したのである。(296頁)
 
・「国語調査会」は明治三十五(一九〇二)年三月「国語調査委員官制発布」とともに「国語調査委員会」となる。その構成委員は「国語調査会」とはやや異なるが、正式に「国語調査委員会」を発足させる明治三十五年四月十一日から九月二十五日までの官報を見ると、国語調査委員会の委嘱として、辞令が次の人々に下されている。
 加藤弘之(文学博士、男爵)
 嘉納治五郎(東京高等師範学校長)
 井上哲次郎(東京帝国大学文科大学教授・文学博士)
 澤柳政太郎(文部省普通学務局長)
 上田万年(東京帝国大学文科大学教授・文学博士)
 三上参次(東京帝国大学文科大学教授・文学博士)
 渡部董之助(文部書記官)
 高楠順次郎(東京帝国大学文科大学教授・文学博士)
 重野安繹(文学博士)
 徳富藍花
 木村正辞(文学博士)
 大槻文彦(文学博士)
 前島密
  うち、委員長は加藤弘之、主事は上田万年
 また、補助委員に芳賀矢一、保科孝一、新村出、岡田正美、林泰輔、大矢透、山田孝雄の六名が任命された。(390頁)
 
・明治三十七(一九〇四)年四月一日に「文部省内国語調査委員会」が発行した『国字国語改良論説年表』という書物がある。慶応二(一八六六)年から明治三十六(一九〇三)年十二月末までに起こった国語問題が詳細に記録される。
 つまり、国字国語改良は、この時までにほぼ完了していたということであろう。
 出版の時、すでに日露戦争が勃発して二ヶ月が過ぎようとしていた。(430頁)
 
・万年がドイツの言語学を輸入して日本語の音韻の変遷を明らかにし、芳賀矢一がドイツ文献学の研究を輸入して我が国の文献の歴史を説き、漱石が英語学の専門家としてイギリスに留学させられたのも、もちろん、我が国を近代化して列強と肩を並べることが目的であったが、同時にそれは我が国の教育の根幹となる国字と国語を江戸時代のものから改良し、近代的なものにするためであった。
 しかし、前島の上奏から三十年経っても、結局国の政策としては何も決まらなかった。再び、国語問題が動きはじめるのは明治三十一(一八九八)年五月八日、井上哲次郎が東京学士会院で「新国語確定の時期」と題して演説を行い「現今こそ新しい国語を確定するに其好時期である」と述べた頃からだった。
 ここから、明治三十八(一九〇五)年に言文一致を目指す仮名遣いの改正が諮問されるまでのこと
を、『国字国語改良論説年表』を利用しながら改めて順を追って見てみたい。

〈明治三十一(一八九八)年〉
 五月、万年、フローレンツ、小川尚義、金澤庄三郎、藤岡勝二、猪狩幸之助、新村出らが「言語学会」を設立する。
 九月及び十月、井上哲次郎は『国字改良論』を雑誌『太陽』(第四巻第十九号・二十号)に発表する。

 井上は言う。電信では、欧文の一単語と仮名で書かれる七音節を等価として計算する。日清戦争時の和文電信は、欧文のものに比して安価で簡便である。ただ、国字を改良するというのであれば、速記の記号を新しく仮名のようなものに制定するという案もある。ローマ字が絶対いいという理由も分からないし、新しい国字を作ると言いながらできない。一度ここで、実際のことを十分に考えてみる必要があるのではないか。

 七月、万年、「国語改良会」結成。
 十一月、万年は文部省専門学務局長兼参与官に任命される。

 これに伴い、文部省専門学務局長兼参与官であった澤柳政太郎(一八六五〜一九二七)が普通学務局長に昇格した。
 澤柳は、万年とは東京府第一中学変則科で同級だった頃からの親しい友人である。また、澤柳は、狩野亨吉とも親友であった。
 狩野は、この年、漱石の招きで熊本の第五高等学校にいたのを退職して、東京の第一高等学校に校長として赴任した。漱石は、狩野が住んでいた家に越した。澤柳と狩野は、三十三歳、万年と漱石は三十一歳になっていた。

〈明治三十二(一八九九)年〉
 五月、漢字廃止論に反対する重野安繹が、『東京学士会院雑誌』に「常用漢字文」を発表。五千六百十字を選んで使用することを提案した。
 五月末、漱石に長女・筆子が生まれる。
 六月、鴎外は小倉に左遷される。

〈明治三十三(一九〇〇)年〉
 二月十五日、『言語学雑誌』第一号発刊。
 二月二十二日、帝国教育会国字改良部漢字部では、
  (一)漢字節減に関する材料を蒐集すること
  (二)固有名詞は凡て漢字を用いること
  (三)形容詞及び動詞はなるべく漢字を用いざること
  (四)簡易にして普通定用的なる漢字は之を保存し置くこと(例えば、郡市町村月日数字円銭等)
を議定する。
 四月十六日、第一回国語調査会が開会される。
 五月二十四日、帝国教育会国字改良部新字部は、速記文字を以て新字とすることに決し、かつ新字大体の標準を発表する。
  (一)日本の発音を写し得ること
  (二)早く書き得ること
  (三)読み易きこと
  (四)覚え易きこと
  (五)大小自在に書き得ること
  (六)印刷に便なること
  (七)タイプライタアに適すること
  (八)字体の美なること
  (九)短縮を記し得ること
  (十)字体は一種なるべきこと(赤文字は引用者による)
 五月二十五日、帝国教育会国字改良部仮名調査部は、以下の諸項を決議する。
  (一)文字を縦行に記す
  (二)片仮名平仮名を併用す
 六月十三日、漱石、芳賀矢一、高山樗牛らに留学の辞令が下りる。「同年九月から満二年」という期限である。
 六月三十日、箱根で芳賀を囲んだどんちゃん騒ぎの宴会が開かれた。
 八月、文部省は、小学校令において、「読書作文習字を国語の一科にまとめ、仮名字体・字音仮名遣いを定め、尋常小学校に使用すべき漢字を千二百字に制限」した。
 また、「仮名遣いの一定として変体仮名を廃止し、字音仮名遣いを改正する(表音式に改め、長音符号を採用する)こと」を決定する。
 九月、漱石と芳賀矢一はヨーロッパ留学のために横浜を発つ。(463〜467頁)

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 以下に、発売元である集英社インターナショナルのホームページから、本書の概要と目次を引いておきます。


概要

夏目漱石、森鷗外、斎藤緑雨、坪内逍遥…そして上田万年。
言葉で国を作ろうと明治を駆けた男たちがいた。

「日本語(標準語)」を作ることこそが、
国(国家という意識)を作ることである――。

近代言語学を初めて日本に導入すると同時に、標準語の制定や仮名遣いの統一などを通じて「近代日本語」の成立にきわめて大きな役割を果たした国語学者・上田万年とその時代を描く。

明治維新を迎え「江戸」が「東京」となった後も、
それを「とうきやう」とか「とうけい」と様々に呼ぶ人がいた。

――明治にはまだ「日本語」はなかったのである。
 
 
目次

第1章 明治初期の日本語事情
第2章 万年の同世代人と教育制度
第3章 日本語をどう書くか
第4章 万年、学びのとき
第5章 本を、あまねく全国へ
第6章 言語が国を作る
第7章 落語と言文一致
第8章 日本語改良への第一歩
第9章 国語会議
第10章 文人たちの大論争
第11章 言文一致への道
第12章 教科書国定の困難
第13章 徴兵と日本語
第14章  緑雨の死と漱石の新しい文学
第15章 万年万歳 万年消沈
第16章 唱歌の誕生
第17章 万年のその後
posted by genjiito at 23:51| Comment(23) | ■読書雑記
この記事へのコメント
貴方の熱心な読み方には感心いたしますが、「仮名遣調査委員会」の司会は上田万年ではないということをご存知ですか。
「気難しそうな森鷗外と、それを仮名遣調査委員会の司会として迎え撃つ上田万年の姿から語り出されます。旧仮名遣い派の森鷗外と、新仮名遣い派の夏目漱石の対立も、興味深く紹介されます。」
 この説明は間違いでしょう。夏目漱石が「新仮名遣い派」だなんて、どこから出てくるのでしょうか。
 「仮名遣い」について、もっと勉強された方がいいと思います。

Posted by 松岡義晃 at 2018年03月02日 09:47
松岡義晃さま

拙い読書メモに対して、ご丁寧なご教示をありがとうございます。
今は旅先なので、この記事で取り上げた山口謠司氏の『日本語を作った男 上田万年とその時代』が手元にありません。日本に帰りましたら、この本を探し出して、冒頭部分を確認してみます。
取り急ぎ、コメントをいただいたことへのお礼まで。

インド・ハイデラバードより。


Posted by genjiito at 2018年03月02日 11:19
再度のコメントを期待して毎回探しています。
 いつまで、インドに在住でしょうか。
Posted by 松岡義晃 at 2018年07月10日 09:52
あなたのわけのわからないブログが、松岡義晃のHPに氾濫しています。ぜひ、すぐさま撤退する処置をとってください。お願いいたします。
Posted by 松岡義晃 at 2018年07月12日 15:31
松岡義晃 さま

お困りのようですが、私にはまったく思い当たることがありません。
私のブログを運営している「さくらインターネット」に、現在起きている症状を伝え、相談なさってはいかがでしょうか。
私には、今、何もできませんし、突然の連絡に驚いています。
Posted by genjiito at 2018年07月12日 18:58
お陰様で、HPよりすべて消えてなくなりました。有り難うございました。
 ところで、このブログの写真の帯をを見ると、『日本語を作った男』の初刷りですが、その「序章」の12頁をお読みですか。委員会が午前二時に開会したり、上田万年は司会者ではありません。参加していなかったのではないかという学者もありますよ。
 この本の提灯持ちをした責任をはっきりさせてください。
 以上です。何度もこめんとしてごめんなさい。
Posted by 松岡義晃 at 2018年07月17日 10:07
長文注意!

再三にわたり、私を侮辱する発言をこのブログに書き送っておられます。
受け取る立場としては、非常に不愉快な思いをさせられています。
そうした日本語文をお書きになっている箇所を、時系列を遡って以下に指摘して、今後のための記録として残しておきます。
その一々に対して、私がお答えする性質のものだとは思われません。
ブログが炎上することを意図しての口撃のようなので、今後の対応はお互いの時間の無駄かと思われます。
そのため、いただいたコメントを列記し、私見は必要最小限に留め、詳細は省略します。
私のブログに注目してくださったことには感謝しつつも、これ以上は不毛以外の何ものでもないので、ここまでにしてください。

(1)「お陰様で、HPよりすべて消えてなくなりました。有り難うございました。」(17 Jul 2018 10:10:04 +0900)
 私は何もしていません。御自身の通信環境の問題であり、独り相撲を取っておられたようです。

(2)「この本の提灯持ちをした責任をはっきりさせてください。」(17 Jul 2018 10:10:04 +0900)
 再度、当該記事を冷静になって読んでいただければ、「提灯持ち」という言葉がいかに的外れなものかが、よくおわかりになるかと思います。私が当該書を読むにあたっての問題意識は、次のように明記しています。
「私が本書を手にしたのは、明治33年に平仮名が現行の字体の1文字だけに統制された背景を知りたかったからです。しかし、このことに関しては、あまり新しい情報を得るものがありませんでした。無い物ねだりだったこととはいえ、残念でした。」
そして、それ以外は今後の資料としての記録の引用です。この本については【3】というマークを記しているので、私としては広く薦めるほどではないと思った書籍です。資料性は高い本だと思います。「提灯持ちをした責任」とは何か? 大きな勘違いをなさっているようです。

(3)「無視すれば済むことですので、この件は終わりにします。」(12 Jul 2018 20:44:07 JST)
 突然に人に言いがかりをつけておいて、自分勝手な論理です。お詫びが「いや、申し訳ございませんでした。」では、人を愚弄したふざけた物言いになっていませんか? 事実を矮小化させて誤魔化す、卑怯な手法のように思えます。

(4)「コメントを求められた、答えはまだ得ていないことを承知して置いて下さい。」(12 Jul 2018 20:44:07 JST)
 ここでの「求められた」の「れる・られる」は、私に対して使われたものでしょうか。さらには、「承知」しておくように、とは、高圧的なたちの悪い脅しとしか読み取れません。

(5)「貴方がいかなる方かまったくわかりませんが、書評に対する責任ある回答をぜひお願いいたします。」(12 Jul 2018 20:44:07 JST)
 私のことがまったくわからないとしながらも「責任」と「回答」を強要する姿勢には、不遜さを感じます。
 「書評」と言っておられます。しかし、私はこれまでの239本の「読書雑記」では、この単語を使わないようにしています。書き手と読み手の間には、記事に対する認識に大きな隔たりがあります。さらには、私のことは、ネットで検索すればすぐにわかります。あなたのことも、ネットですぐにわかりました。相手のことは簡単にわかる、そんな時代に共に生きているのです。相手がわからない、と言って逃げを打つ姿勢は、顔が見えない状況でのやりとりにおいては、特にネット社会においては、極めて卑怯な手口です。

(6)「あなたのわけのわからないブログが、松岡義晃のHPに氾濫しています。ぜひ、すぐさま撤退する処置をとってください。」(12 Jul 2018 15:40:04 +0900)
 一人の人間が書き続けている日記に対して、見ず知らずの立場である方が「わけのわからない」と言うのは、非常に無礼な物言いだと思います。私は、これまで11年半以上にわたり、毎日休むことなく、個人的な日記を書き続け、公開しています。一面識もないあなたにとっては「わけのわからない」ものかもしれません。しかし、私は私なりに記事ごとに読んでくださる方を想定して、それなりのメッセージを送っています。それが私の日々において機能しているからこそ、さまざまな方々に伝わるメッセージだからこそ、一日のアクセス数が1万を超える日があるブログになっていると思っています。今日現在で、公開した日記の本数は[4.120本]です。このような人生がある、という存在証明の意味で書き続け、一人の人間の総体を言葉と写真と行動で残すことに挑んでいます。その連続する日本語文の内の、たまたま見かけたほんの一例を捕まえて難癖をつけるのは、あまりにも近視眼的に過ぎるのではないでしょうか。まさに、これを言いがかりと言うのでしょう。一部を切り取って論破しようとし、さらには教え諭すコメントを送り付けるのは、あまりにも短絡したコミュニケーションの弊害に陥没しておられるようです。人の一面だけを覗き見してその人間性までを否定するのは、そのように受け取れるメッセージを相手に投げつけるのは、日本語の機能の否定的な評価につながるものだと思います。私は、日本語はもっと豊かな表現ができる言葉だと思い、日々さまざまなことを取り上げて書き綴っているつもりです。
そして私に「撤退」を強制するのも、何もしていない者に対して薮から棒に投げつける言葉としては、あまりにも失礼だと思います。結果的には、あたなの通信環境が原因だったのですから……
相手があってのコミュニケーションであることを無視した、相手に対する気遣いや思い遣りなど微塵も感じられない、自分だけしか文面にはいない、心寂しい冷徹な文言の羅列だと受け取りました。

(7)「いつまで、インドに在住でしょうか。」(10 Jul 2018 10:00:05 +0900)
 このコメントをいただいた本年3月2日の私の行動は、<a href="http://genjiito.sblo.jp/article/182566813.html">「ハイデラバードへの機内で子どもの迷惑な嘘泣き」</a>(2018年03月02日)に記した通りです。その後、毎日ブログに報告をし続け、ミャンマーに留まり、<a href="http://genjiito.sblo.jp/article/182688611.html">「多くの人に助けられながらの旅です」</a>(2018年03月14日)において帰国したことを報告しています。「いつまで〜」とおっしゃるのは、7月10日になっても私からの返信がないので、嫌みのつもりでコメントを通しての問い合わせの体をとった通告なのでしょう。

(8)「〜ご存知ですか。/この説明は間違い/どこから出てくる」(2 Mar 2018 09:50:03 +0900)
 私が読後に書いた紹介記事なので、そのまとめ方を云々されているのでしょうか。ブログで紹介した記事を取り上げ、それが私の意見であるかのような詰問は、お答えするのに窮します。

(9)「「仮名遣い」について、もっと勉強された方がいいと思います。」(2 Mar 2018 09:50:03 +0900)
 ありがとうございます。私は言語学が専門の研究者でもないので、今後はその方面の勉強もできたらしたいと思います。ただし、見ず知らずの方に「もっと勉強」をと言われても、ただただ不明を恥じて困惑するだけで、お答えのしようもありません。
 私からの返信は、以下の通りに答えるのが精一杯でした。
「松岡義晃さま
拙い読書メモに対して、ご丁寧なご教示をありがとうございます。
今は旅先なので、この記事で取り上げた山口謠司氏の『日本語を作った男 上田万年とその時代』が手元にありません。日本に帰りましたら、この本を探し出して、冒頭部分を確認してみます。
取り急ぎ、コメントをいただいたことへのお礼まで。
インド・ハイデラバードより。」
なお、私は読み終わったらどんどん本を処分しているので、この『日本語を作った男 上田万年とその時代』について手元にあるのかどうか不明です。まだ見つかりません。いつか機会があれば、どこかの図書館で確認してみましょう。
Posted by genjiito at 2018年07月17日 19:18
ご心労を煩わせて申し訳ございませんでした。
これで終わりにいたします。
ただ、最後の三行に驚いたということだけ伝えておきます。
「和辻哲郎賞」選考委員も、終わりに降格のだろうなというのが一市民の学者に対する率直な感想です。
 どうも、ご苦労様でした。
Posted by 松岡義晃 at 2018年07月18日 09:57
あなたは学者でしょう。読んだ本をどんどん捨てるなんて、常識では考えられませんが、それはともかく、このブログの最初の写真は初刷りのものです。
 どんなにひどいか、さっさと御確認、いそいで、削除なさることを強く勧めます。
Posted by 松岡義晃 at 2018年07月27日 21:27
▼長文注意!▼
 前便で「ご心労を煩わせて申し訳ございませんでした。 これで終わりにいたします。」とあったのに、今回またもや認識不足と大きな勘違いによる不愉快な思いをさせられるコメントをいただき、もういいかげんにしたら、と、ほとほと困惑するばかりです。
 ただし、せっかくコメントを送ってくださったので、必要最低限の返答をいたします。
 こうしたやりとりが延々と続かないことを祈りながら。

■「あなたは学者でしょう。」
 かつての私はそうでした。しかし、昨年4月以降は、次のように公言しています。

「私は、これまで所属していた学会のすべてを退会しました。研究者のみなさまとお目にかかる機会は、これからはあまりないかと思います。それでも、どこかでお目にかかることがありましたら、志を同じくしたことのある仲間として、お声掛けいただけると幸いです。」<a href="http://genjiito.sblo.jp/article/179422442.html">「京都と大阪の花模様から今の想いまで」</a>(2017年04月13日)

 通りすがりのチラ見で、冷やかし半分の捨てぜりふを吐いて立ち去られる方に、私が書いている記事をすべて読んでからご批判を、と言うわけにはいきません。今日までに書いた記事が 4,132本なので、それは無理というものです。しかし、それにしても、相手を自分だけの物指しで測って、決めつけて、やっつけよう、というのはいかがでしょうか。
 さらには、この「でしょう。」という物言いには、相手を貶める意図が含まれていると思います。『大辞林』には「⑶(多く上昇調のイントネーションを伴って)相手に対して念を押したり同意を求めたりする気持ちを丁寧に表す。」とありました。私は、自分の考えを押しつけがましく、下品に投げつけて来られるこの口調を不愉快に感じました。

■「読んだ本をどんどん捨てるなんて、常識では考えられません」
 あなたの常識がすべての人にあてはまるとは限りません。また、自分が思い込んでいる常識を、相手に押し付けるのはいかがなものでしょうか。私は、「常識を疑え」「常識を持ち出して人に接するな」という教えを受けてきました。「常識」を振りかざすのは、知的好奇心が喪失し、時代に取り残されたために後ろ向きの保身に走り出した時だと思っています。
 ご参考までに、私が書物を処分していることを書いたブログをいくつか引きます。

<a href="http://genjiito.sblo.jp/article/179012334.html">「都移りは部屋の模様替えから」</a>(2015年08月27日)

<a href="http://genjiito.sblo.jp/article/179069171.html">「研究室の引っ越しを完了しました」</a>(2017年03月12日)

<a href="http://genjiito.sblo.jp/article/179208253.html">「江戸漫歩(156)深川さくらまつりの初日に魚三酒場へ」</a>(2017年03月25日)

 これに加えて、私は古い町家に住んでいるため、東京を引き揚げてからは特に、本で家が傾きつつあります。そのため、今もせっせと本を処分しています。そのためもあって、蔵書を誇る京都府立京都学・歴彩館の近くに住んでいます。個人が本を溜め込む時代は終わった、と思っています。そのため、自分でも書籍を刊行することは控え、ウェブ上に電子書籍として公開しています。最近の10冊は、すべてそうしています。書籍信奉をお持ちの方には理解してもらいにくいかもしれません。しかし、出版社と読者の関係を含めて、時代は変わりつつあると思っています。

■「さっさと御確認」
 この「さっさと」という言い方は、イライラした気持ちから相手を見下した時に発する表現だと思います。私は、この表現を不愉快に感じました。

■「いそいで、削除」
 他人が公開しているブログの内容について、「削除」という対応を迫るのは傲慢だと思います。しかも、「いそいで」と。すべてご自分の物差しで切り捨てられる傾向を感じています。

 相手のことをよく知らないままに、独りよがりの短絡的な判断を相手に押し付けるのは、まことに失礼な物言いながら、よくないと思います。自由に意見交換をするコミュニケーションツールとしてのネット通信を逆手にとった、恐ろしい道具として使っておられることに、35年間コンピュータと関わった一人として、閉鎖的な言論封殺に走る兆候を感じています。コミュニケーションツールは、相手を不愉快にするために使ってはいけないと思います。あくまでも、情報交換のためのツールであり、一方的な決めつけや押し売りは、円滑なコミュニケーションの妨げとなりかねないと思っています。
 
 
Posted by genjiito at 2018年07月30日 11:15
本記事に関して、松岡義晃氏のサイトでコメントのやりとりをしています。ここでのコメントとシンクロするものなので、参考までにここに転載しておきます。
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私に対する侮辱発言をなさっている記事を拝見しましたので面談を提案します/伊藤鉄也

松岡義晃 さま

これまでやりとりしていたメールが拒否されますので、こちらに書きました。

直接お目にかかってお話をしたいと思います。
連絡を差し上げたいので、メールアドレスを教えていただけませんでしょうか。
このコメント欄は、1000文字以内の制限があるため、メールにしたいと思います。

genjiito2018-08-18 12:17:12
Posted by genjiito at 2018年08月24日 04:01
松岡義晃氏のコメントの転載
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Re:私に対する侮辱発言をなさっている記事を拝見しましたので面談を提案します/伊藤鉄也
>genjiitoさん
 故あって、メールはやっていません。
 「侮辱発言」の記事とは何かわかりません。
 このブログ意外に発言はしていないので、何が「侮辱発言」か、このブログにコメントください。1000字あれば充分でしょう。
 以上、よろしく。
めたさん2018-08-18 13:02:56
Posted by genjiito at 2018年08月24日 04:04
松岡義晃氏への面談に関する具体的な提案
--------------------------------------
直接お話をしましょう/伊藤鉄也
コメントの「故あって、メールはやっていません。」と、ブログ記事の「私に対するメールです。」が矛盾しています。また、すでに3通以上のメールを私は松岡さんから受信しています。メールでの連絡は出来ないのでしょうか(?)
当該ブログ記事の中の「その学者の名前は、「I」。」とあるのは私のことのようです。しかも、「勝手な引用」ということでしたら、もう私への連絡先はわかっているのですから、正々堂々と引用したと連絡をすべきです。
以前も指摘したことながら、私のブログの記事を「褒めた書評」と読まれたのでしたら、松岡さんの日本語の理解能力を疑います。
「本を処分」についても、この夏もどんどん処分しています。引っ越しの荷物の整理と、家が傾いてきているからです。これを「遁辞」と言われたのではたまりません。「「ステマ」の疑いのある方は、即刻学界から身をひきなさい。」とあるのは、私のことでしょうか。ブログに公表した通り、すでにすべての学会からは身を引いた立場です。しかも、これは人間が人間に使うことばではないですよね。人格の否定ですから。
面談の折には、私が2018年7月30日のメールに書いた、以下の点の確認を最優先にしたいと思います。
(1)「再三にわたり、私を侮辱する発言」
(2)「提灯持ちをした責任」
(3)「無視すれば済むこと」
(4)「承知して置いて下さい。」
(5)「書評に対する責任ある回答」
(6)「わけのわからないブログ」
(7)「撤退」の強制
(8)「私の意見であるかのような詰問」
(9)「これで終わりにいたします。」
(10)「あなたは学者でしょう。」
(11)「読んだ本をどんどん捨てる」
(12)「常識」の押し付け
(13)「さっさと御確認」
(14)「いそいで、削除」
(15)「閉鎖的な言論封殺に走る兆候」
これに、今回見つかった「これでいいのか、君たちは!」に書かれている私への侮辱発言も加わります。
8月26日より海外出張のため、9月2日以降でしたら、ご指定の場所に行けます。私は、物事に対処する時には、直接足を運び、目と目を合わせて話し会うことを原則としています。何事も、メールや電話だけでは不十分だと思っています。会うのが一番の解決だと思います。連絡をお待ちしています。
genjiito2018-08-20 11:21:17
Posted by genjiito at 2018年08月24日 04:09
提案に対する松岡義晃氏からの返信
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Re:直接お話をしましょう/伊藤鉄也
>genjiitoさん
 コメント有り難うございました。
 @ 「メールアドレス」の変更、あるいは使用禁止は「アマゾン」との関係から起こりました。貴殿とは関係ありません。
 A イニシャル「I」は池沢直樹など他にも書評者がいると思って、使いましたが、これは不用意でした。謝ります。
 B この本に「ステマ」が多いことは、すでに「アマゾン」の書評で小谷野敦さんが指摘しているところです。お読み下さい。誰と人物を特定しているわけではありません。ある学者が、「私には書評依頼はありませんでしたよ」という言葉も聞いています。
 C この本の三刷りでは、すでに、「この委員会の司会者は上田万年である」という言葉を削除しています。夏目漱石が「新仮名遣い派」という表現も加えて、誤りを指摘したものです。
 もうこの本は捨てたと言って、お認めにならないならば、いくら会っても話にはなりません。
 会うつもりもないし、この件にこれ以上関わるつもりもありません。
 私としては、本ブログの三条件が満たされることを祈っているばかりです。
 なお、「〜だより」名のブログが10個から3個に減じました。何が原因かわかりませんが、有り難いことだと思っていることを付け加えておきます。
 以上で、もう終わりにしましょう。
めたさん2018-08-20 14:34:51
Posted by genjiito at 2018年08月24日 04:12
松岡義晃氏への提案の再確認
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問題は何も解決していません。/伊藤鉄也
この件では、私のブログ「読書雑記(169)山口謠司『日本語を作った男 上田万年とその時代』」(http://genjiito.sblo.jp/article/179012779.html)のコメント覧に、20件近い私を誹謗中傷する言葉について松岡さんの真意を問いかける記事が記録として残っています。それに対しては、逃げおおせようとせずに、誠意を持って回答すべきだと思います。
松岡さんの大きな勘違いと思われる多くのことから発生したことが、このままではお互いによくない状態で末長く記し留められることになります。早々の幕引きに汲々とせずに、やはり私からの問いかけに応えるべきではないでしょうか。小出しに謝ってすませようとするのは姑息です。
しかも、今回もまだ、「もうこの本は捨てたと言って、お認めにならないならば、いくら会っても話にはなりません。」とあるのは、私の環境を説明したにもかかわらず、それが理解できていないことを示すものですし、自分の逃げ道を確保しようとする物言いです。膨大な書籍を抱えながら生きていける松岡さんのご身分や環境をうらやましく思います。どうしても必要であれば、再度この本を購入せざるをえないかと思います。しかし、資料的な価値は措いて、再読するだけの評価をした本ではないことと、本を必死に処分している最中にまた増やす意義を、まだ認めていません。
とにかく、私に対する曲解としか思えない発言をなさっている事実を確認しようともせず、コミュニケーションを交わそうという誠意もなく、幕引きを早く図ろうとなさる姿勢に不信感を抱いています。
ぜひ、一度会って、話すことで解決すべきだと思います。こうした、ネット越しのやりとりこそ、不毛の最たるものだと思います。話題と場所と日時は、すでに提示し、判断を委ねているはずです。
genjiito2018-08-22 01:23:52
Posted by genjiito at 2018年08月24日 04:14
松岡義晃氏への提案の再確認
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問題は何も解決していません。/伊藤鉄也
この件では、私のブログ「読書雑記(169)山口謠司『日本語を作った男 上田万年とその時代』」(http://genjiito.sblo.jp/article/179012779.html)のコメント覧に、20件近い私を誹謗中傷する言葉について松岡さんの真意を問いかける記事が記録として残っています。それに対しては、逃げおおせようとせずに、誠意を持って回答すべきだと思います。
松岡さんの大きな勘違いと思われる多くのことから発生したことが、このままではお互いによくない状態で末長く記し留められることになります。早々の幕引きに汲々とせずに、やはり私からの問いかけに応えるべきではないでしょうか。小出しに謝ってすませようとするのは姑息です。
しかも、今回もまだ、「もうこの本は捨てたと言って、お認めにならないならば、いくら会っても話にはなりません。」とあるのは、私の環境を説明したにもかかわらず、それが理解できていないことを示すものですし、自分の逃げ道を確保しようとする物言いです。膨大な書籍を抱えながら生きていける松岡さんのご身分や環境をうらやましく思います。どうしても必要であれば、再度この本を購入せざるをえないかと思います。しかし、資料的な価値は措いて、再読するだけの評価をした本ではないことと、本を必死に処分している最中にまた増やす意義を、まだ認めていません。
とにかく、私に対する曲解としか思えない発言をなさっている事実を確認しようともせず、コミュニケーションを交わそうという誠意もなく、幕引きを早く図ろうとなさる姿勢に不信感を抱いています。
ぜひ、一度会って、話すことで解決すべきだと思います。こうした、ネット越しのやりとりこそ、不毛の最たるものだと思います。話題と場所と日時は、すでに提示し、判断を委ねているはずです。
genjiito2018-08-22 01:23:52
Posted by genjiito at 2018年08月24日 04:14
松岡義晃氏からまたもやピンボケの返信
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Re:問題は何も解決していません。/伊藤鉄也
>genjiitoさん
 あなたの「読書雑記(169)ー日本語を作った男ー上田万年とその時代」に「コメント」覧があったから、次のような指摘をしたのです。
 「気難しそうな森鷗外と、それを仮名遣調査委員会の司会として迎え撃つ上田万年の姿から語り出されます。
 旧仮名遣い派の森鷗外と、新仮名遣い派の夏目漱石の対立も興味深く紹介されます。」
 ここには三つの誤りがあります。
@ 「仮名遣調査委員会」ではありません。「臨時仮名遣調査委員会」です。しかし、これは単なる校閲のミスでしょう。
A この会の司会者は「国会議事録」では菊池大麓です。上田万年ではありません。これをコメントで指摘しました。これも、元の本にそう書いてあるから書いた、という言い方ができるかもしれませんが、この本の「三刷り」では、カットされています。
B 夏目漱石が「新仮名遣い派」だとは、どこにも書いてないし、彼は死ぬまで「旧仮名遣い」で、書いていると私は理解しています。
 この三点の反論、説明一切なしに「その本をそれ以後見ていない」などという議論はもう結構だと言ってるのです。
 あなたは、インド在住以後、この疑問点にまったく触れておられないでしょう。
 これに答えることが先決だと思っています。
 このコメントは数多くの方が見ています。
 もう、終わりにしませんか。

めたさん2018-08-22 06:48:05
Posted by genjiito at 2018年08月24日 04:15
松岡義晃氏への異議申し立て/その1
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勝手な幕引きへの異議【三分の一】
「このコメントは数多くの方が見ています。」とおっしゃっていることについて。
私としては、松岡さんの私に対する大きな勘違いは、松岡さんご自身が1日も早く気づかれるべきことだと思っています。しかし、それでも不当な言葉を私に浴びせかけて来られるので、それであれば、ネット上に広く理解されるように流れていることは意味のあることかもしれません。私への不愉快な言いがかりの実態が広く理解される場ともなるので、拡散は歓迎することです。そのためにも、私のブログの読者にも直接伝えたいので、このやりとりは、後日あらためて転載させていただきます。
ただし、今、私は海外出張の準備に忙殺されているので、この、本来は無視すべき案件について、思うように書く時間を確保できません。
そうであっても、松岡さんの口汚く罵る口撃は、私の人間としての存在をも否定するものであり、非常に不愉快で耐えられないものであるために、どうしてもこのまま放置はできないのです。

明後日には、海外の銃社会に身を置きます。道中も、現地でも、何があるかわかりません。もし私がいなくなったとしたら、松岡さんのとんでもない論理から発せられる一連の下品な言葉が、未来永劫このネットワーク上に残ります。それに私は耐えられないので、こうして生きている限り、言葉が使える限り、「いわれのない誹謗中傷発言」には異議を申し立てて抗議をし続けます。
genjiito2018-08-24 03:37:57

Posted by genjiito at 2018年08月24日 04:16
松岡義晃氏への異議申し立て/その2
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勝手な幕引きへの異議【三分の二】
お示しの3項目は、私の3つの誤りに関するものだとおっしゃっています。しかし、それは私に対するいちゃもんではなくて、当該書籍の著者と編集者に投げつけるべきものであることに、早く気づいてください。そのピンボケな憤りは、私とは無関係なものです。私憤を私に投げつけないでください。相手が違います。
しかも、私とのやりとりの中で、その3項目は大した問題ではないはずです。
私が問題にしているのは、松岡さんが独りよがりの身勝手な言葉で人を傷つけていることに気づくべきだ、ということです。そのために、私に対して投げつけられた不当で不愉快な言葉の数々、20例ほどを取り上げ、それをもとにしてお話をしましょう、と提案しているのです。話を勝手に捻じ曲げないでください。

そんなに難しい日本語で書いてはいないつもりなので、意固地にならずに普通の日本語読解能力で読み取っていただければ、と思っています。
人に言葉で殴りかかって来ておいて、そのまま捨て台詞を吐いて逃げようとなさっていることを、私は問題にしています。松岡さんは、私を傷つけているなどとは、微塵も思っておられないことでしょう。自分のしていることが他人にしてはいけないことであることに、まったく気づいておられないようです。しかし、私は松岡さんに心外な言葉で傷つけられていることや、不愉快な思いをさせられていることを、何度も松岡さんに訴えています。殴りつけられ、痛い思いをしている者のことに、少しは思いを致してくださる心の余裕があればいいのですが。
これは、まさに、松岡さんが、人間は感情を持った生き物であることを忘れた、ネット社会特有の落とし穴にはまっておられるから、今回のような対応を私になさっているのだと思われます。そのためにも、不毛な文字によるお遊びを続けるのではなくて、直接生きた言葉を、顔と顔を合わせて会話をすることで解決する以外にはありません。
私が直接お話をしましょう、と言っているのはそのことから来るものです。
genjiito2018-08-24 03:39:49
Posted by genjiito at 2018年08月24日 04:17
松岡義晃氏への異議申し立て/その3
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勝手な幕引きへの異議【三分の三】
私は、松岡さんがお書きになっている私への誹謗中傷の数々を、私がいなくなった後に家族や知人が読んだ時に、どんなに人間不信に陥るのかを怖れています。そのために、私は自分の力で今、松岡さんの大きな勘違いと品性下劣な言葉で私を貶めておられることが、いかに私という人間を不当に誹謗し、私に不愉快な思いをさせる行為であることかを、生の言葉で伝えたいのです。私も、人間としての尊厳を持っています。それを踏み躙る松岡さんの行為に、異議を申し立てています。誤解を積み上げて非難されていることには、断固として自分の存在をかけて立ち向かいます。このように何度も返信をするのは、何度言っても私の日本語が伝わらないことに、何とかしたいとの思いがあるからです。私は、まだ松岡さんは日本語が通じる方だ、と思いたいのです。
そして、日本語はそんなに人を貶すための道具にばかり使わないで、もっと美しい、楽しい表現をすることに資するものであることを確認したいのです。
再三の提案です。私からの問いかけに、誠意を持って応えてください。
今、私はあなたの日本語運用能力に疑問を持ち出しています。もしよろしければ、奥様かどなたかに、私の日本語文を読み砕いてもらってください。これは、松岡さんに対して、大変失礼なことを言っているかと思います。しかし、これまでのやりとりがますます変な方向に展開しているようなので、あえてこのような日本語文で認めています。正しく私の日本語を読み解いていただくことを願っています。
そのためにも、最短の解決策として、直接お話をしましょう、と提案しています。
genjiito2018-08-24 03:41:14
Posted by genjiito at 2018年08月24日 04:19
松岡義晃氏のブログに書いたコメントの転記
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この不毛なやりとりを私のブログでも読めるようにしました

先ほど、この案件に関するコメントで、松岡さんが私の記事に対して付けられたコメント以外のものを、時系列に沿って下記の記事に転記しました。

「鷺水庵より」
「読書雑記(169)山口謠司『日本語を作った男 上田万年とその時代』」
http://genjiito.sblo.jp/article/179012779.html

これで、このやりとりの見通しがよくなったかと思います。
そして、このやりとりを読んでくださる方が、格段に増えると思われます。
そして、再三の提案です。
9月初旬にお目にかかって、直接お話をしたいと思います。
私は、不本意で不愉快な記事による松岡さんからのいわれのない中傷を、1日も早く解消したいと思っています。
拒否なさる理由は何もないと思います。
私の方から、松岡さんがご指定の日時に、場所に伺います。
第3者の同席も構いません。
帰国後も何かと用務があるので、ご提示の内容を検討し、日時などについては早急に対処します。
もう海外出張の件で、こうしたコメントを書く余裕がありません
現地で余裕があれば返信しますが。
genjiito2018-08-24 04:36:54
Posted by genjiito at 2018年08月24日 04:39
いろいろ心労をわずらわせて申し訳ありませんでした。
 本をどう読もうと個人の勝手でしょうという点をわきまえず、不遜な言辞、あるいは、貴殿を傷つける言葉があったことを深くお詫びいたします。
Posted by 松岡義晃 at 2018年08月26日 14:53
松岡義晃 さま

9月1日の深夜に、京都の自宅に帰ってきました。
2018年08月26日 14:53付けの、私宛にいただいたコメントを拝見しました。
なんとも失礼な日本語文に、ただただあきれています。
「本をどう読もうと個人の勝手でしょうという点をわきまえず」とは、これまた人の気持ちを逆撫でする言葉遣いですね。その後に続く「貴殿を傷つける言葉があったことを深くお詫びいたします。」というしらじらしい言葉と、好対照の日本語の表現となっています。
私は、「個人の勝手」というような卑怯な言い方をしたでしょうか。松岡さんの理解からの表現だとすると、今回の件はその程度の日本語の理解で対処している、ということなのでしょうか。
とにかく、「ひき逃げ」された思いでいる身としては、看過できない物言いに釈然としません。
いまだに、松岡さんのコメントについては、痛みを感じています。
以前から提案しているように、一度お目にかかって、すっきりとけじめをつけませんか。
上辺だけのコメントでごまかそうとせずに、直接お話をするのが社会的な責任を持った大人の対応かと思います。
「お詫び」という気持ちを本当にお持ちであれば、本来なら松岡さんから私の所にお出でになって、人間として生の言葉で私の目の前でおっしゃるべき事柄です。私ならそうします。そこを、私は松岡さんがそのような誠意は持ち合わせておられない方だと思いましたので、私から直接お目にかかるために出向くと申し上げているところです。
その上、あろうことか問題のブログの当該記事を削除して、この一連の経緯をなかったことにして逃げおおせようとなさっているので、なおさら事の確認をさせていただきたいと思っています。
https://ameblo.jp/muridai80/comment-12391713311/
「ひき逃げ」をしておいて、逃げ得を謀ろうとしてはいけないと思います。
何度も繰り返しになり恐縮です。
面談の日時と場所をご提示いただければ、私の都合をも勘案して可能な日時をお返事いたします。
Posted by genjiito at 2018年09月03日 11:20
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