2016年06月09日

吉行淳之介濫読(17)未発表原稿が見つかったこと

 今日(2016年6月9日)の毎日新聞(東京夕刊)に、次のタイトルで吉行淳之介の自筆原稿が見つかったというニュースが報じられていました。


吉行淳之介 未発表の原稿発見
 散文移行期、貴重な資料
 作家・中井英夫の遺品に


 この記事では、次のような紹介がなされています。


 吉行は10代の頃から詩作を始め、『新思潮』の当時は<詩から散文に移ろうとして>(『私の文学放浪』)いる時期だった。「挽歌」は46年、吉行が22歳の年に作った詩で、『吉行淳之介初期作品集』(67年)『吉行淳之介の本』(69年)などに収録された。お金持ちの貴婦人が、貧しい子供たちにバナナを投げ与えている場面の悲しさや、元兵士の腕のない袖が揺れている様子など、混乱した時代を戦争後の心象風景と重ねて詠んでいる。


 新聞記事の後半では、「改稿された未発表の詩「ポンポン蒸気船」」と「既に発表されている詩「挽歌」」の2つについて、次のような翻字と引用がなされています。


改稿された未発表の詩「ポンポン蒸気船」



支那人街(まち)の児どもたちは 運河沿いに舟を追いかけ/(狂喚また狂喚)/とめどもなくわらいわらいバナナを投げる未亡人の/象牙の腕輪が カチッカチッ 鳴りひびくと……/あたりいちめん 溝泥(どぶどろ)の臭いだった

ゆうがた 海ははたして大時化(おおしけ)で/日はひがしにうららかに蒸気の音もかろやかな……おもかげなく/(ぼくは未亡人の膝に載るほどちいさくなり 彼女は/そのままであるほど母親めいておらなかった)おもかげもなく/舵を握った退役伍長<ごちょう>の ぷらんぷらん 片袖だけが/疾風(はやて)のなかで さも頼もしげにはねていた

はるかな沖合の沈没船は もうもう赤錆<さ>びた鉄板だった
 
 

既に発表されている詩「挽歌」



南京街の子供たちは/運河沿いに小さな蒸気船を追いかけ/(狂喚また狂喚)/とめどもなくわらいわらい/バナナを投げあたえる未亡人の/腕の脂肪が 舟の上できらめくと/あたり一面 溝泥の臭いだった

ゆうがた 海ははたして大時化(おおしけ)で/(陽はひがしにうららかに/蒸気の音もかろやかな−−おもかげなく/ぼくは未亡人の膝に載るほど矮(ちいさ)くなり/彼女は そのままであるほど/母親めいておらなかった−−おもかげもなく)/舵を握った戦傷兵曹の/ぷらんぷらん 片腕の袖が/疾風のなかで さも頼もしげに揺れていた

遥かな沖合の 沈没船は/もうもう 赤錆びた鉄板だった

 ※字の横のルビは詩にもともとあるもので、< >の中のルビは本紙がつけた。


 ここで「改稿された未発表の詩「ポンポン蒸気船」」として毎日新聞に翻字されたものは、実際の原稿を正確に翻字したものではありません。新字新仮名に直して翻字したものです。

 吉行は『吉行淳之介初期作品集』(冬樹社、昭和42年5月)の「あとがき」(230頁)で、自身の仮名遣いについて次のように言っています。


 私は、昭和二十四年以後は、新仮名づかいを使っている。したがって、二十三年以前の作品(「詩」および「遁走」から「藁婚式」まで)は旧仮名だが、この本では新仮名に改めておいた。漢字制限には反対なので、漢字については原のままになっている。現在の送り仮名は納得できないのだが、新聞雑誌で見馴れているし、私自身混乱し曖昧になっている。この本の送り仮名は、そのときどきの原稿どおりにしておいた。
昭和四十二年早春
         著者


 『吉行淳之介初期作品集』に収められた「挽歌」は、昭和21年の作品です。そこでここでは、今回見つかった原稿は自筆のままに、旧漢字旧仮名で翻字しておくことにしました。
 毎日新聞の電子版には原稿の写真がないので、印刷された新聞紙面の写真をもとにして、私に翻字すると以下のようになりました。


160609_





   ポンポン蒸氣船
             吉行淳之介
 
支那人街《まち》の兒どもたちは 運河沿ひに舟を追ひかけ
(狂喚また狂喚)
とめど[も]なくわらひわらひバナナを投げる未亡人の
象牙の腕輪が カチツカチツ 鳴りひびくと……
あたりいちめん 溝泥《どぶどろ》の臭ひだつた
 
ゆうがた 海ははたして大時化《おほしけ》で
日はひがしにうららかに蒸氣の音もかろやかな……おもかげなく
(ぼくは未亡人の膝に載るほどちひさくなり 彼女は
そのままであるほど母親めいてをらなかつた)おもかげもなく
舵を握つた退役伍長の ぷらんぷらん 片袖だけが
疾風《はやて》のなかで さも頼もしげにはねてゐた
 
はるかな沖合ひの沈没船は もうもう赤錆びた鐡板だつた

《 》ふりがな
[も]補入文字1文字


 新聞の翻字も、へたに現行の漢字仮名遣いに置き換えるのではなくて、原稿用紙に書かれたままに翻字するのが正しい対処ではないでしょうか。なんでもかんでも現行のルールに統一して書き換える、というのはどうかと思います。こうした資料を紹介する時には、資料を改変した表記で紹介すべきではないと考えます。

 『吉行淳之介初期作品集』に発表された詩と、今回見つかった改稿版の違いは、おおよそ以下のような表現の箇所となります。
 数字の 01〜 51 の番号は、吉行の詩を文節に区切って比較しやすくした際に、私が振った通番号です。
 改稿版では、簡潔でわかりやすい表現になっています。


番号─改稿原稿「ポンポン蒸氣船」─単行本「挽歌」
01:支那人街《まち》の─南京街の
04:舟を─小さな蒸気船を
07:とめど[も]なく─とめどもなく
10:投げる─投げあたえる
12:象牙の─腕の
13:腕輪が─脂肪が
14:カチツカチツ─舟の上で
15:鳴りひびくと……─きらめくと
44:退役伍長の─戦傷兵曹の
46:片袖だけが─片腕の袖が
51:はねてゐた─揺れていた


 もっとも、「バナナを投げあたえる未亡人の(改行)腕の脂肪が 舟の上できらめくと」が「バナナを投げる未亡人の(改行)象牙の腕輪が カチツカチツ 鳴りひびくと……」というように大きく書き換えられると、その意図を知りたくなります。

 ただし、吉行は作品を再度公開する時などに、大きく手を入れることが多いのです。
 例えば、『星と月は天の穴』を例にとると、こんなに違っているのです。
 これは、講談社文庫本(昭和46年7月)に、初出誌である『群像』(昭和41年1月)に発表された本文を、私が手書きの赤字で校合したものです。


160609_hoshito




 こうした吉行の改変の傾向は、いつか明らかにしたいと思っているところです。
 吉行は私の好きな作家なので、作品本文の異同を個人的に調べては、その書き換えのおもしろさも楽しんでいます。

 なお、今回話題になっている「挽歌」が収録された『吉行淳之介初期作品集』については、「吉行淳之介濫読(6)「ある脱出」「詩編」」(2010/12/15)で少しだけ触れていますので、おついでの折にでもご笑覧ください。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | □吉行濫読
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