舞台は日本橋八丁堀の裏長屋です。
主人公章三郎は、逆境に沈む身でありながらも、非凡なる天才としての素質を持て余す自分と戦っています。妄想の世界をさまようのです。
その章三郎は、根っから狡賢くて、奸計に長けた男でした。いやらしさを前面に押し出して、怖いもの知らずの学生生活を送ります。読者の誰もが好きになれない人物です。とにかく、自分勝手、身勝手な、青春真っただ中の男として振る舞っています。
章三郎自身も、自分を「卑しい品性」(44頁)と言っているほどです。
荒れすさんだ息子章三郎を中において、両親と妹、そして友達が冷静に立ち回ります。
最後の妹の姿は、それまで放蕩三昧だった章三郎から、哀れな一少女に目を転ずるものとなっています。読者のやるせない思いを、いや増しに掻き立てます。
このような人間の姿が描けるのも、谷崎の筆の力なのでしょう。
なお、「はしがき」によると、本作は前年の大正5年8月に脱稿していたそうです。しかし、発売禁止になることを惧れて、掲載が見送られていたものであったとのことです。
また、家族4人についてだけは、ありのままに描写したものだそうです。谷崎自身が「此の一篇は予が唯一の告白書である。」と、明言しています。
作者が32歳の時に発表したものなので、どうしても語っておきたかった自らの青春時代の記録なのでしょう。青年期の素直でない利己的な面を取り立てて描き出した点では、文筆家の手になる作品としては出色の出来だと思います。
もっとも、私は再読しようとは思わないので、好んで人には薦めないことにしています。人間としては見たくない姿が、これでもかと、あからさまに描かれているからです。若さゆえの傲慢さが押し付けられるのは御免だからです。
読んでいて不愉快なままで放置される本作は、私が求める文学を楽しむ領域を逸脱しています。
ただし、谷崎潤一郎という作家を論ずる際には、読む必要があるものだと思われます。【2】
初出誌:『中央公論』大正6年(1917)7月号
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