2015年11月20日

吉行淳之介濫読(14)『闇のなかの祝祭』

 主人公である沼田沼一郎の背中が印象的です。

 愛人である女優で歌手の奈々子と、妻の草子の描き分けがみごとです。
 「別れろ」「別れない」という、通俗小説ではいわばありふれたものです。しかし、そのことへの拘りと展開がおもしろいのです。

 この3人の微妙な心の起伏と関係が、卓上電話を挟んで展開する場面があります。
 公衆電話を利用していた時代があり、やがて自宅に電話が敷設されて黒電話が普及しました。
 この電話のありようの変転を背景に持つ小説の同時代性を、現代の読者は共有しにくいでしょう。
 この作品における固定電話の役割と人間関係における意義は、携帯電話が普及することで1対1の対応が可能な現代において、どう読まれるのでしょうか。非常に興味があります。

 文明の利器という道具だてが果たす役割や効果を読み取ることは、異文化に対する理解に及ぶものです。これは、物語や小説が抱える永遠の課題なのかもしれません。

 「浮気」と「本気」というテーマも、吉行淳之介ならではの解釈で語られます。私が高校生時代に読んで吉行淳之介の作品に手を出したのは、『浮気のすすめ』(新潮社、1960.12)の軽妙さと理知に惹かれたからです。本作でもこの視点が読みとれて、大いに楽しめました。

 奈々子の手紙に、ひらがなが多用されています。


『もう少しお話をしたかったんですけど、この方が好かったかも知れないと、今おもっております。さっきから、一ぱい字を書きましたけど、うまく表現できません。もしかしたら、お電話かかるかなと思って、椅子にすわって待っていましたが。
 今まだあなたが、なな子のことを好きだと思っていらっしゃる間に、さよならしたいと思います。
(中略)
 もっと後になったら、一緒に暮そうとか、奥さんと別れられないのとか、そんなわがままをいうなな子がきらいになり、私ものぞみがききいれられないから悲しむことでしょう。ケンカしてあなたをきらいになるのはいやです。
 舞台なんか、出なくてよかったら、どんなに好いかと思います。
 さようなら。
                      なな子
沼田沼一郎さま。   』

(『われらの文学 14 吉行淳之介』講談社、278頁)


 これまで、吉行淳之介のひらがな文の書き方に注意していませんでした。
 今後、かなと漢字の使い分けにも気をつけてみたいと思います。

 2人の女に挟まれて、お互いを刺激しないように気を使い神経をすり減らす沼田が、実に丹念に描かれています。これが、男の本性なのかもしれません。
 妻との気持ちは完全に絶たれているのです。それでいて別れることのできない状況が、男の決断を先延ばしにするのです。

 3人の関係に結論は示されません。しかし、薔薇の花束がこれからのことを暗示しています。吉行淳之介がよく取り上げる花束です。思索の中を彷徨い続ける人間の感情と生き様を、この薔薇に託しているようです。
 乾いた筆致を通して、心の闇という領域がみごとに掬い取られました。【3】
 
 
■メモ:「妻と恋人との間で振り回される男の姿を描いた作品。当時の宮城まり子との恋愛からディテールを構成したため「女優との交際の告白」として物議をかもした。のち『春夏秋冬女は怖い』で事実だと書いている。」(「ウィキペディア」より)
■初出誌:『群像 11月』(昭和36年11月)
■単行本:昭和36年12月(1961、37歳)講談社より刊行
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | □吉行濫読
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