今回は、かつて通読した新潮文庫(昭和48年、3刷)を取り出して、一気に読み終えました。
白い雉が見つかったのが大化6年(650)。それを難波の新宮殿で披露された日に、中大兄皇子の弟である21歳の大海人皇子は、女官たちの中に額田王を見かけます。神事に奉仕して歌を詠むその女性を、大海人皇子は苦手としていました。
その2人のことが、夢語りのように描かれます。
遣唐使の派遣や難波から飛鳥への都移りの話の中に、難波宮に残った額田王のことが点綴されます。そして、額田王と大海人皇子との微妙にずれたお互いの想いが、複雑な政治や社会の中で巧みに展開してゆきます。
額田王は、自分が女であることも、母であることも禁じて生きていました。神の声を聞く女として、その生を貫いたのです。それが、額田王の強いところだ、としています。
月光の下で中大兄皇子と額田王が会う場面は、大海人皇子のことがその背後に揺曳するだけに、ことのほか美しく語られています。
熟田津から船団が発航する夜、出陣の儀式は月明の中で行われました。その月光の中で、中大兄皇子が描き出されます。また、有名な歌「熟田津に 船乗りせむと 月待てば」という歌を額田王は月明の海に向かい、中大兄皇子になりかわって歌います。
額田王は、中大兄皇子を「火」に、大海人皇子を「水」に例えています。さしずめ、『源氏物語』で言えば、匂宮が「火」で薫が「水」でしょうか。
斉明女帝が亡くなり、大海人皇子と額田王は一緒に九州から飛鳥に戻ります。そして、また共に九州に行くとき、月光の船上で2人は言葉を交わします。2人の男に挟まれながらも、毅然とした額田王が印象的に描かれています。そして、2人の皇子も見事に描きわけられています。
大海人皇子と一緒の時の額田王の方が、私には心浮き立つ女として描かれているように思われました。
戦を通して、額田王は歌が持つ命や力を知ります。歌人としての自覚に目覚めていきます。
飛鳥での観月の宴では、2人の皇子の后妃たちが絶妙なバランスで描き出されます。井上靖は、こうした複数の人間を描くのが得意だと思います。
その宴席で、大友皇子の次の言葉が記憶に残りました。
女はいつも月に慰められる。月から一つの言葉しか聞かぬ。
男はそういうわけには行かぬ。男は月と話をする(253頁)
この月下の宴に集うのは、本作品のオールキャストとでもいうべき豪華さです。この場にいた額田王に、嫉妬というものを感じさせているのが、作者の眼力です。
その後の白村江の戦いの話は、読むものの気持ちを引き付けて展開します。これも、井上靖の得意とする戦語りです。
近江京に都を遷したとき、琵琶湖について次のようにいいます。
琵琶湖が美しいというのは、その湖畔を旅する旅人たちの言うことであって、いざその湖畔に住みつくということになってみると、誰にもいやに水のぶさぶさしている不気味な拡がりにしか感じられなかった。(343頁)
ただし、額田王だけはこの近江の新都を美しいと思いました。中大兄皇子が新政を布くのにふさわしい舞台だと思ったというのです。
私はいつも、『星と祭』という作品が生まれた背景を意識して、井上靖の小説を読みます。この『額田王』が書かれた昭和42年から44年頃には、まだ琵琶湖に対する意識が薄かったように思えます。
『星と祭』は、昭和46年5月から翌年7月まで、朝日新聞に連載されました。琵琶湖とその周囲に点在する十一面観音に注視する作品です。
勝手な想像をめぐらすと、『額田王』で近江京のことを書いているうちに、後の『星と祭』の舞台が具体的なイメージで脹らんできたのではないでしょうか。
また、『額田王』で月光の下での場面が点綴されているのも、『星と祭』における月に対する拘りに引き継がれているようにも思うのです。
あくまでも無責任な感想に留まりますが……
そうした中で、「大和の高安山の築城のことが発表になり、そのための徴用が行われた」(346頁)とあります。この後にも、高安山のことが出てきます。この山の裾の高安の地に住んでいた者としては、こうした些細なことにも目が留まります。
この時代に疎いので、史実を知らない私は、細部までよく調べて書いているな、と感心して読み進みました。
物語の最後は有名な蒲生野における、額田王を中に置いて天智天皇と後の天武天皇の歌の掛け合いの場面です。お待たせしました、という感じです。
この場面を『額田王』という作品のどこに置くのかと思っていたら、最後だったのです。
物語は、あくまでも時系列に展開しています。
近江を舞台にして、大友皇子と大海人皇子の戦乱が語られます。そして、このあたりから額田王の姿が朧気になります。
飛鳥浄御原宮で即位した大海人皇子は天武天皇となります。その後の登場人物は、ナレーションで語られるスタイルとなります。よくある、井上靖の語り納めのパターンです。
このあたりになると、飛鳥に戻った額田王の姿は、ほとんど語られません。資料がないせいでもあります。しかし、井上靖の豊かな想像力で、この最後の額田王の姿を描き出してほしかったとの思いを強く持ちました。
なお、最後に付された山本健吉氏の解説(昭和47年9月)に、次のような文があります。
これまでの国文学者のような、あまりに安易に彼女を悲恋の女王に仕立ててしまう感傷的解釈から遠く脱け出ている。しかしまた、それゆえにこそ、底の方ではいそう烈しい心で対かい合って立っている二人の貴人の様相を思って、彼女はその怖ろしさに身ぶるいするのである。壬申の乱は、すぐ眼の前に迫っている。
私はこの歴史小説を解説しようとして、作品を離れて額田女王の肖像に触れることが多かった。それはこの作品を読む読者が、それを知っておいた方がこの作品の世界にはいりやすいと思ったからである。そのことが作者の額田女王に付与した肖像に、いくぶんでも近づく手がかりとなるだろう。そして、歴史の「自然」の上にどのような逸脱─「歴史離れ」を作者は企てたか、その機微を察知することも出来るだろう。(478〜479頁)
井上靖の作品における「歴史離れ」を考える時、この『額田王』は貴重なヒントを与えてくれそうに思えます。【4】
初出誌:サンデー毎日
連載期間:1968年1月7日号〜1969年3月9日号
連載回数:62回
新潮文庫:額田女王
井上靖小説全集29:額田女王・後白河院
井上靖全集18:長篇11
〔参照書誌データ〕
「井上靖作品館」
【□井上卒読の最新記事】
- 井上靖卒読(215)リニューアルオープン..
- 井上靖卒読(214)1964年の東京オリ..
- 井上靖卒読(213)1964年の東京オリ..
- 井上靖卒読(212)『星と祭 下』で書名..
- 井上靖卒読(211)『星と祭 上』の一節..
- 井上靖卒読(210)井上靖が四高時代に住..
- 井上靖卒読(209)北陸加賀の湖畔の宿で..
- 井上靖卒読(208)金沢の井上靖を訪ねて..
- 井上靖卒読(207)茨城県の大洗海岸で「..
- 井上靖卒読(206)小説全357作品で評..
- 井上靖卒読(205)小説全357作品で評..
- 井上靖卒読(204)小説全357作品を気..
- 井上靖卒読(203【最終回】)『幼き日の..
- 井上靖と千利休に関する講演会に参加して
- 井上靖卒読(202)『わだつみ』
- 標識が設置された井上靖ゆかりの曽根の家
- 井上靖卒読(200)『おろしや国酔夢譚』..
- 井上靖卒読(199)『本覚坊遺文』
- 井上靖卒読(198)『城砦』
- 井上靖卒読(197)『忘れ得ぬ芸術家たち..
