2015年09月03日

日比谷でハーバード本「蜻蛉」巻を読む(その19)

 今日は気分転換を兼ねて、立川から日比谷へ行く経路を変えてみました。
 立川から吉祥寺乗り換えで渋谷と赤坂見附を経由して、目的の霞ヶ関へ行ったのです。

 赤坂見附で乗り換えるのは初めてです。銀座線の渋谷から赤坂見附で降りると、無意識に国会議事堂前と書かれた駅名に引かれて階段を上りました。ところが、上がった先は、丸の内線でも反対方向に行くホームでした。またもとに戻ると、なんと先ほど降りた電車の反対側に、霞ヶ関へ行く電車が来たのです。

 まだ、東京の電車は乗りこなせていません。駅の構内にある路線図を探し、それと睨めっこしながらの移動です。

 今日のハーバード本「蜻蛉」を読む講座は、「列帖装」の説明から始めました。
 林望氏の『謹訳源氏物語』と歴博本「柏木」の複製本を回覧し、その装幀が同じであることを見てもらいました。そして、「列帖装」を「綴葉装」とも言うことや、国文学研究資料館では「列帖装」と言っていることの説明をしました


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 この説明には、国文学研究資料館で開催された平成26年度古典籍講習会において配布され、現在はホームページからダウンロードできるようになっている「写本の書誌における諸問題」(落合博志担当)を使いました。
 そこには、次のように記されています。


列帖装(れっちょうそう)
 紙を二枚以上重ねて二つ折りにしたもの(一括り・一折)を複数並べ、糸や紐などで繋ぎ合わせたもの。各括りの折り目の部分に上下二つずつ、計4箇所の穴を開け、糸を順次通して行く綴じ方が一般的であるが、古くは紙縒などで結び綴じにした例もある。紙の両面に書写する関係で、鳥の子や厚手の楮紙など墨が裏映りしにくい料紙を用いるのが普通。年代の判明する最古の遺品は元永3年(1120)書写の元永本『古今和歌集』であるが、それより早く11c初め〜中頃の歌集や真言宗の仏書の例がある。版本にも見られるが、一部の謡本や声明本など特定の種目にほぼ限られる。
 「綴葉装」という呼び方もあるが 「葉」を「綴じる」のは粘葉装・画帖装以外の冊子本に共通の製本法で、特定の装訂の名称としてはふさわしくない。


 今日、一番時間をかけたのは、変体仮名の標準化を目指した追加提案です。
 一昨日(2015年09月01日)『情報管理』(vol.58 no.611)に発表されたばかりの、「変体仮名のこれまでとこれから 情報交換のための標準化」(高田 智和、矢田 勉、斎藤 達哉)を配布し、その趣旨を丁寧に説明しました。

 その著者抄録をあげます。


変体仮名は平仮名の異体字であるが,現代の日常生活ではほとんど用いられていない。しかし,1947年以前には命名に使われ,戸籍など行政実務において変体仮名の文字コード標準化のニーズがある。一方,日本語文字・表記史や日本史学の学術用途においても,変体仮名をコンピューターで扱うニーズがある。そこで,活版印刷やデジタルフォントから集字し,学術情報交換用変体仮名セットを選定した。このセットには,変体仮名の機能的使い分けを表現するため,同字母異体も収録した。行政用途の変体仮名と合わせ,2015年10月にISO/IEC 10646規格への追加提案を予定している。


 専門的な内容なので、わかりやすく説明したつもりです。
 特に、女性の名前を例にして、具体的な話をしました。
 この国際文字コード規格への追加提案は、現在の日本におけるひらがなの現状に強烈なインパクトを与えるものです。ひいては、現在ハーバード大学本「蜻蛉」を日比谷図書文化館で翻字しながら学習していることの意義を、あらためて再認識するものとなります。

 その意味からも、つい説明に力が入ってしまいました。
 前回の講座で確認した、鎌倉時代の古写本を読むために覚えておくべき変体仮名85種の復習をしながら、今回の国際文字コードとして提案されている変体仮名を見ていきました。


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 まずは、この変体仮名を若者たちがモバイルなどで使い出すことでしょう。また、海外の若者たちが、漢字をおもしろく着こなしているように、この変体仮名もおしゃれに身に着けることでしょう。それに引き摺られるようにして、日本の大人たちも遅ればせながら、日本語の文字の多様さとその豊かさを再認識し、明治33年に決められた現在の1字1音のひらがなの貧困さに気付き、変体仮名を使った日本語表記を見直すことになることでしょう。

 さらには、子どもの名前を付ける時に、楽しい命名が展開することも予想されます。
 ひらがなの再認識と変体仮名の復活は、古写本の翻字を仕事としている私にとっては大歓迎です。

 この変体仮名復権の問題は、明治33年以来、ずっとひらがなを軽視してきた日本人に対して、痛烈な一撃を与える変革となるものであることに違いありません。
 とにかく、若者たちの豊かで鋭い感性に期待しましょう。
 初等・中等教育を担当しておられる教育関係者が、この流れに棹さす存在になってほしいものです。

 と書いてすぐに、「棹さす』という言葉遣いがうまく今の日本で伝わるのか不安になりました。
 念のために「デジタル大辞泉」を見ると、次のような解説がありました。


流(なが)れに棹(さお)さす【流れに棹さす】

流れに棹をさして水の勢いに乗るように、物事が思いどおりに進行する。
誤って、時流・大勢に逆らう意に用いることがある。

[補説]文化庁が発表した平成24年度「国語に関する世論調査」では、「その発言は流れに棹さすものだ」を、本来の意味とされる「傾向に乗って、ある事柄の勢いを増すような行為をする」で使う人が23.4パーセント、本来の意味ではない「傾向に逆らって、ある事柄の勢いを失わせるような行為をする」で使う人が59.4パーセントと、逆転した結果が出ている。


 補説の後半は、現状が気がかりです。
 私のブログは、毎日多くの方が読んでくださっています。
 しかし、文科系の方が多いので、この「流れに棹さす」は正確に伝わっていると思います。

 変体仮名の問題は、また折々に取り上げます。
 現在私が推進している「変体仮名翻字版」は、この問題と直結するものなのですから。

 今日は、これ以外では、嵯峨野の時雨殿で『百人一首』がチタンパネルに彫られていて、それを目が見えないみなさんが一生懸命指で読もうとしておられた印象的な場面のことや、「蜻蛉」巻の前半を小見出しの文言を追うことで確認しました。

 ハーバード大学本は、16丁表の半丁分を確認しました。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◎NPO活動
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