2015年07月28日

読書雑記(137)山本兼一『神変─役小角絵巻』

 山本兼一の作品としては、これまでとは異質な世界が語られます。
 それだけ、新たな世界を構築しようとする意欲をもって取り組んだ作品です。
 この『神変』を刊行したのが2011年7月、山本兼一の急逝が2014年2月なので、このテーマの進展を見られないままになってしまったことが、返す返すも惜しまれます。


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 飛鳥に都があった時代から藤原京へと移る頃の話です。役小角は鵜野(後の持統天皇)の政治をはじめとして、あらゆることに腹が立っていました。その逆もまた真であり、鵜野も役小角が好きではありません。

 鵜野は、柿本人麻呂の歌を好んでいました。文化としての和歌が、作中から実感として伝わってきます。作者は、言葉を大切にする姿勢を見せています。

 役小角は、一言主を越えようとして、吉野の山の精気を取り入れるべく修行に励みます。飛鳥の組織力に対抗するために。
 天地は、すべての人間のものであって、飛鳥の一部の政権のものではない、という信念のもとに、役小角は邁進します。すべて、民草のためであり、ひいては山の民のためです。

 しかし、役小角が修行に出ている間に、葛城山の村が藤原不比等の采配で焼き討ちにあいます。
 作者の筆は、視点を巧みに移しながら、多くの民草の活躍と苦悩を活写します。

 藤原京という新しい国を造ろうとする鵜野と不比等たちの存在が、役小角には認められないのです。力で人間を支配することには従えないのです。権力と法律で人民を縛ることに、最後まで反抗します。

 この新都では、柿本人麻呂と軽皇子(後の文武天皇)が、言の葉が持つ力が多くの人々を動かし、国を造ってきた、と語り合います。その言の葉で国の物語を語り伝えようとも。『古事記』を意識してのことです。

 役小角は、山の民に向かって「神仏にすがるな」と言います。すがっても、何も変わらぬと。変えるのは自分であり、変えられるのは自分だけだとも。

 やがて、蔵王権現が役小角に降臨し、乗り移りました。
 そして、役小角は大極殿の玉座から、鵜野や不比等や軽皇子に命令を下すのです。有り得ない事態が進展していきます。現実味を帯びた、気迫溢れる空想話です。この奇想天外な話が実におもしろいので、つい読み耽ってしまいました。

 ここで軽皇子が、稗田阿礼が語り継いできた国造りの物語を、役小角に向かって語り出します。
 しかし、役小角は作り話だと一笑に付します。このやりとりが秀逸です。新しい山本兼一の筆の冴えが見られます。そして、天皇というものの存在に、真正面から疑問を呈します


「そんな話がまともに信じられるものか。そもそも、なにもない混沌とした泥のごとき世界を、いったいだれが見ていたのだ」
「イザナギの尊とイザナミの尊である」
「世のすべてが混沌としておったというのに、その二人は、どこにおったのか」
 軽皇子は、言葉を詰まらせたが、すぐに口を開いた。
「神であるゆえ、どこにでもおわします。埃ほどに小さくもなり、かたちがなくとも漂っておられるのが神である」
 小角が大声で笑い飛ばした。
「ずいぶん都合のよい神だな。では、天の浮橋とやらは、どこから、どうやってあらわれた」
「それは……」
 軽皇子がくちびるを嘗めている。天の浮橋がどうやってあらわれたかについて、稗田阿札は語ったことがない。それは、そこにあったものだと、鵜野は思っていた。
「どうした。混沌の世界に橋だけがあったのか」
 せせら笑う小角の顔が憎たらしい。
「いや……、神であるゆえに、望めばそこに橋があらわれる」
 そうなのだ。神なのだから、それくらいの力はお持ちであるはずだ。
「ならば、おのころ島も自分の力でつくればよいではないか」
「………」
 軽皇子の眉が曇った。
「どうした。神ならば、望めば、天の浮橋があらわれるのであろう。おのころ島はあらわれぬのか」
「島は…、島は大きいゆえに矛の力を頼られたまでのこと。なんの不思議もありはせぬ」
「ふん。中途半端な神だな」
「なにをほざくか」
 激昂した皇子の声が響いた。
「われらの神々を冒瀆すると許さぬぞ」
 思わず鵜野は、声をあげていた。できれば、小角に飛びかかって首を絞めてやりたいが、いかようにもがいても、からだは動かない。皇子も動けぬまま、顔を苦悶させている。
「おう。鵜野の婆さんも、あいかわらず威勢がよいな。けっこうなことだ」
「なにを白々しいことを。勝手な振る舞いは許しませぬ」
「勝手はそちらだ。この天地の物語をでっち上げ、自分たちのものだなどと言いだす騙りの罪は重い」
「騙りなどではない。これぞ、わが家系に伝わる真実の言の葉である」
「ふん。猿の寝言より始末が悪い。そんなたわごとで、この天地の由来が説明できるものか」
小角の言葉に、軽皇子が顔をひきつらせた。(412〜414頁)


 続いて役小角は、宇宙界について語るのです。そのスケールの大きなこと。気持ちがいいほどです。

 やがて、鵜野も軽皇子も、天空の霊の世界で役小角と問答となります。身体は浮遊しているのです。
 そこで、アマテラスと蔵王権現の偉大さが比べられるのです。

 とにかく、第13章は圧巻です。山本兼一の面目躍如といえます。
 この一大スペクタクルは、これまでの山本になかったものでしょう。

 「命令しない」「奪わない」「助け合う」をモットーにして、役小角は国を造ろうとするのでした。
 その想いが現実と乖離していくことを感じながらも、それでも役小角は自分の理想を追い求めて生きるのです。最後まで、律令によって国家を統一することには疑問を持っているのです。
 このテーマのさらなる進展が、大いに期待されるところです。しかし、もう山本の語りを聞くことはできません。【4】
 
 本作は2011年7月に中央公論新社より刊行されました。
 今回は、中公文庫(2014年6月)で読みました。
 巻末に置かれた「解説 もうひとつの国のかたち」(安部龍太郎)は、亡き友への追悼文ともなっています。必読です。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ■読書雑記
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