2015年07月16日

日比谷でハーバード本「蜻蛉」巻を読む(その16)

 日比谷図書文化館でハーバード大学本『源氏物語』の「蜻蛉」巻を読み進んでいます。
 今日は、一度書いた文字をその上からナゾる場合(重ね書き)を、5例あげます。
 &記号は、ナゾリを意味しています。「A&B」とあれば、まず「A」と書き、その上から「B」と重ね書きしていることを示しています。

(1)「は&と」


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 上掲写真の右行は、「なれと」とある「と」の下に「八」という変体仮名が確認できるものです。
 これは、「なれ八」と書いてしまい、すぐに「八」ではないことに気付いて「と」と重ね書きしたものです。この写本の筆者は、親本と違う文字を書写すると、ほとんどの場合、すぐに気付いて直しています。それだけ、神経を張りつめて書写していることがわかります。そして、小刀などで紙面を削らずに、上からナゾって補正する書写態度が各所で確認できます。
 
(2)「へ&へ」
 上掲写真の左行は、「さへ」と書いた後に、その「へ」が「ん」に見紛う形となったので、「ん」と見えるように書いてしまった「へ」の上から、念を入れて濃く強く「へ」と重ね書きしています。ここも、次の文字を書く前に、すぐに「へ」と強くナゾっています。
 
(3)「こ&心」


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 まず「こ能三」と書き、その「こ」が間違いであることに気付いて、「こ」の上から「心」をナゾっています。ただし、この「心」という文字の墨色が次の文字と比べても極端に濃いことから、少し時間が経ってから気付いて重ね書きしたものです。しかも、ご丁寧に何度もナゾっているようです。この「心」という文字を書いたのは、本書を書写している人と同一人物であることは、次の例の行頭に書かれた「心」という文字との近さからも類推できます。なぜ「こ」と「心」を間違えたのか、今その理由が私にはうまく説明できません。ここでは、親本と同じ文字を書くのだ、という本書の書写者の強い意思を読み取っておきたいと思います。

(4)「い&伊」


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 右側の行末では、「いまいましう」と書いてしまった後に、後の方の「い」を変体仮名の「伊」に訂正する意思が強く伝わってきます。普通は、「いま/\しう」とあるところです。しかし、どうしたわけか、「いまいましう」と書いてしまったのです。親本には、「いま伊ま」とあったと思われます。そのために、踊り字である「/\」を使わずに平仮名を続けて書くことになりました。その際、あまり使い慣れていない変体仮名「伊」が自然に書けなかったために、日常的によく使う文字である「いま」となったように思われます。頭の中で親本の字母が再現できなかったのでしょう。上記(2)の「へ」のように、「い」の上から「い」とナゾってもよさそうなのに、あえて字母の異なる変体仮名で書き直しているのです。親本の文字遣いに起因する訂正文字と考えられます。
 また、墨色が濃くて太字となっていることから、この「伊」も少し時間を置いてから気付いた補正のナゾリだと思います。
 
(5)「く&き」
 上掲写真の左側の行です。
 これは、「なけく」と書くつもりが「く」を書き終わらないうちに「く」ではなくて「き」であることに気付き、「く」の字形が完成する直前に、その「く」と書くのを中断して、その上から「き」を重ね書きしています。ここで、「き」が字母である「幾」に近い漢字体であることは、書写者の心理の綾が読み取れます。ここでは、「起」でもなく「支」でもなく、あくまでも「幾」の文字を用いているのです。字母の違いに対する本書の書写者の高い意識は、各所で確認できます。つまり、ここで親本は、あくまでも「幾」を字母とする「き」だったのです。この写本の筆者は、字母を変更して書写することはめったにないと思われます。もちろん、ケアレスミスはあります。しかし、それは少ないと思ってよさそうです。しかも、自分の書写間違いをごまかそうとする姿勢が希薄です。素直というか、正直な性格の、僧籍にある男性だと私は思っています。伝慈鎮(慈円)とされていることとは別の観点から、この写本に書写されている文字を丹念に追ってきての、現時点での印象にすぎませんが。
 
 このハーバード大学本「蜻蛉」巻には、多くの重ね書きの箇所があります。それらをすべて確認すると、書写者の人柄をはじめとして、書写態度に至るまで、いろいろなことがわかります。このことは、また機会をあらためて記します。

 今日は、ナゾリが集中している1丁半の箇所に限定して、確認してみました。

 日比谷からの帰りには、お客様と一緒に話をしながら帰途につくことになったこともあり、地下鉄沿いに霞ヶ関から国会議事堂前までを歩きました。
 昨日の国会での強行採決に抗議する声が、議事堂を包んでいました。警備関係者も相当動員されていました。しかし、当の国会議事堂は無表情です。この喧騒と静寂が写真にうまく写し込められないのが残念です。


150716_kokkai




 700年前の写本を読んだ後だったからでしょうか。
 2015年7月16日という今日の現実に戻るのに、国会議事堂周辺の景色や音声を見たり聞いたりしているうちに、急激に強い力で今にぐいーっと引き寄せられました。このタイムスリップ感は、なかなか説明し難いものです。目に見えない力というものが、この世には存在することを実感しました。奇妙な感覚を味わうことになりました。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎NPO活動
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