2015年07月11日

古写本『源氏物語』の触読に関する【朗報】(共立女子大学の事例)

 こんなにも早く、古写本『源氏物語』の触読ができる人と出会えるとは思っても見ませんでした。
 ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」巻の巻頭部分を、初見にもかかわらず、たどたどしくではあっても、目の前で一人の若者が触読する場に身を置き、感動とも感激とも違う不思議な思いに包まれていました。

 目の前で起こっていることは、紛れもない事実であることは明らかです。
 触読できるはずだ、できるに違いない、という自分勝手な思いが、しだいに確信に変わっていく時間は、予想外というべきか、そんなに時間はかかりませんでした。

 先週、福島県立盲学校高等部国語科の先生から、私が送った立体コピーが読めたので翻字テキストを添削してほしい、という連絡を受け取っていました。ほとんど正確に読み取られたテキストを拝見し、私の到達目標の一つが達成されたことを実感しました。
 読めるはずだ、という期待が現実のものとなり、朗報をうれしく噛み締めました。
 直接お目にかかり、触読ができた経緯を聞き取り、今後の対処を話すための打ち合わせの日程調整に、一昨日から始めていたところです。

 それが今は目の前で、古写本『源氏物語』の触読が実証されたのです。その確証が、明らかに確信に変わったのです。
 自分の中で、また一歩前に進んだことが身震いをさせました。

 この私にとって記念すべき舞台は、千代田図書館の近くにある共立女子大学本館の14階でした。


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 この大学の校舎は、以前に一度、『十帖源氏』の輪読会の会場として借りたことがあります。
 今回の学生の指導にあたられた先生は、かつて一緒に大学院で学び、『源氏物語別本集成 全15巻』の翻字のお手伝いもしていただいた、旧知の仲間です。
 不思議な縁があり、私が触読研究に取り組んでいることを聞かれ、連絡をくださったのが発端です。

 今回の触読の現場に立ち会えるまでには、1人の全盲の学生の指導をしてこられたお2人の先生と、メールで何度かやりとりをしていました。
 さらには、昨日は東京芸術大学の先生などの美術分野の専門家も交えて、お互いの取り組みに関する情報交換と今後のことを綿密に打ち合わせた後に、この学生との面談と触読実験に臨んだのです。

 共立女子大学の先生からは、3年前に初めて全盲の学生を受け入れることとなったことから、これまでの指導の内容や経緯を詳細に伺いました。
 しかも、昨年の2年次からは学生が日本の古典文学の勉強を希望したこともあり、変体仮名の触読に取り組まれることになったのです。前代未聞の学習指導に、さまざまな試行錯誤と可能な限りの手を打たれたのです。

 『首書源氏』や『竹取物語絵巻』を教材にして、立体コピー機を最大限に活用した指導に取り組んでおられたことは、学生の希望を叶える上では最良の選択だったと思います。
 このことを知らずに、私は独自の視点と立場で、この学生が触読を始めた同じ昨秋、科研費「挑戦的萌芽研究」に応募し、今春採択されてから本格的に触読研究に取り組んだ矢先のできごとです。

 学生本人の意欲と共立女子大学の先生方の熱意が相俟って、すでに江戸時代の変体仮名はほぼ習得できたと言える状態にありました。この学生が古文が好きだ、というのが学習における一番の原動力となっています。

 大学側が、本人にとって理想に近い環境を作ろうとしておられるのが、お話しを伺っていてひしひしと伝わってきました。

 とにかく、昨日の千代田図書館での午前のみならず、午後も濃密な時間を持つことができました。
 先生方や学生及び講師のみなさまと、このような貴重な時間を共有することができ、すばらしい日となりました。

 学生には、今後とも、いろいろと無理難題を持ちかけることになるはずです。それを心して、諦めないで、粘り強く付き合ってください、とお願いしました。

 全国の盲学校の生徒及び卒業生のみなさんたちをも巻き込みながら、変体仮名を読むことで、触常者と見常者ともども、日本の伝統的な文化の共有を目指すことに加速していきたいと思います。

 とにかく、目が見えないことは、何も障害ではありません。障害や障壁は、触常者と見常者の間に立ち塞がっているだけなのです。その意味では、この学生さんは、この障壁を文化の共有という面から往き来できる、点字ばかりではなくて墨字も触読ができる、2種類の能力を発揮できる存在なのです。文化の橋渡し役もできるのです。

 さらに私からは、点字のすばらしさはそれとして認めながら、それに加えて日本文化としての縦書きの仮名文字を、一日も早く自在に操ってほしいことを、そして、仮名文字で自由に自分の気持ちを伝えられるようになってほしい、との願いを伝えました。この学生は、点字で日記はつけているとのことでした。

 国文学研究資料館には、25万点もの日本の古典籍の画像資料があります。
 変体仮名が読めるようになると、この膨大な資料を解読できる可能性が生まれるのです。
 また、古典籍の資料紹介も、思うがままにできるようになります。

 目が見えるにもかかわらず、国文学研究資料館が所蔵する基礎資料を活用することもなく、活字の市販本で読書感想文を書くことで古典研究をしているつもりになっている研究者が多いことを、私は憂えていることも伝えました。
 研究は、やはり基本的な文献をもとにしてすべきなのです。安易に活字本や校訂本文で誤魔化してはいけないのです。その意味では、自力で変体仮名が読めることは、研究という世界への入口に立ったとも言えます。

 私の以下のブログの記事も読んでほしいと伝えました。

「京都府立盲学校の資料室(その2)」(2014年08月05日)

「視覚障害者が古写本『源氏物語』を書写できるか?」(2014年08月22日)

 これを読むと、書道に挑戦したくなるはずだからです。変体仮名が読めるだけでは、まだ道半ばです。仮名文字が書けることが、コミュニケーションのありがたさと喜びを我が身のこととして実感できるものへと変質していくはずです。

 なお、現行の平仮名は、ほとんど自由に触読できるそうです。彼女は、私が要求するハイ・レベルな〈変体仮名〉〈源氏物語〉〈700年前の写本〉という課題をクリアできるのですから、現代のひらがなが触読できるのは当然でしょう。
 とすると、図書館で立体コピーのサービスが容易に受けられたら、子供向けやジュニア向けの本に留まらず、総ルビ付きの文章であれば自在に触読できることが実現するのです。これは、いますぐにでも実現可能なこととなったのです。

 これは、図書館のサービス業務を豊かにします。図書館の風景も変わります。
 視覚障害者も、自分の意思で、自分のペースで、思うように行きつ戻りつしての読書ができるようになるのです。対面朗読者への気遣いや、点訳ボランティアへの感謝、そして朗読メディアの貸し借りの煩わしさから開放されます。

 こうした展開は、今後ともさらに教育システムと指導方法を含めて、幅広い展開が可能となります。そして、あらためて検討課題として浮上します。

 この詳細は、後日また記します。
 ここに書きたいことは溢れるほどあります。

 今回は、2人共に女性です。それでは、男性ではどうだろうか。
 触読はゆびだけだろうか。また、そこに音声によるガイドやアドバイスを取り入れると、どのように学習が促進されるのか。などなど、あげればきりがありません。

 しかし、今は、二十歳の1人の女性が、ハーバード大学本「須磨」の巻頭部分を触読できた、という朗報を記すことに留めておきます。

  (数日後に、福島県立盲学校の話としてつづく)
posted by genjiito at 21:05| Comment(0) | ◎源氏物語
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