2015年07月07日

谷崎全集読過(23)『蘆刈』

 後鳥羽院の離宮があった水無瀬行きから語り起こされます。『増鏡』の文章を引きながら、和歌を踏まえた滑らかな美文で進みます。
 読点が極端に少ない、息の長い文章です。漢字も少なく、大和言葉で綴られていきます。

 「まだをかもとに住んでゐたじぶん」とか、「関西の地理に通じないころは」とあり、大阪に馴染みだした頃の作者が顔を覗かせます。
 また、関西人の特徴も、次第に心得て来ていることがわかります。


見も知らぬ人がかういふ風に馴れ/\しく話しかけるのは東京ではめつたにないことだけれどもちかごろ關西人のこゝろやすだてをあやしまぬばかりかおのれもいつか土地の風俗に化せられてしまつてゐるのでそれは御ていねいなことです、ぜひ聞かせていただきませうと如才なくいふと(163頁)


 歴史風土記の語り口で、阪急沿線の昭和初年当時の様子もわかる、大和絵風の旅の記でもあります。旧跡の記録としても貴重なものです。水無瀬の風景への感懐を、次のように述べています。


ちよつと見たゞけではなんでもないが長く立ち止まつてゐるとあたゝかい慈母のふところに抱かれたやうなやさしい情愛にほだされる。(156頁)


 『源氏物語』への言及もあります。


「あはれいにしへの紫式部こそはいみじくありけれ、かの源氏物語にも近き川のあゆ西山より奉れるいしぶしやうのもの御前に調じてとかけるなむすぐれてめでたきぞとよ、」(154頁)
 
「あはれいにしへの紫式部こそはいみじくありけれ、只今さやうの料理つかまつりてむや」と仰せられたり、(157頁)
 
「父には大名趣味と申しますか御殿風と申しますかまあさういつたふう好みがござりまして、いきな女よりも品のよい上臈型の人、裲襠を着せて、几帳のかげにでもすわらせて、源氏でも讀ませておいたらば似つかはしいだらうといふやうな人がすきなのでござりましたから藝者では氣に入るはずがないのでござります。」(173頁)


 「耳ざはりのいゝ」(160頁)という表現に出くわしました。この昭和初期における谷崎の日本語の使い方に当惑しています。

 谷崎が手帳に鉛筆でメモを記す様子も垣間見えます。


わたしはあたまの中に一つ二つの腰折がまとまりかけたのでわすれないうちにと思つてふところから手帳を出して月あかりをたよりに鉛筆をはしらせて行つた。(162頁)


 本話の背後に、父の存在がちらつきます。
 谷崎と父について、これから意識して読みたいと思います。
 父とお遊さんとの話は、非常に具体的です。実話が背後にありそうです。その妹のおしずさんについては、叶わぬ恋の形代として親族への情愛の移り香が、『源氏物語』を連想させます。

 このおしずさんが、本作の語り手の母親なのでした。
 おしずさんが、婚礼の晩に、自分は姉であるお遊さんの身代わりであることを口にします。


ある日のことお遊さんは父にむかつて、あなたはお静がきらひですかと尋ねるのでござりました。父がきらひではありませんといひましたらそれならどうぞ貰つてやつて下さいましといつてしきりに妹との縁組みをすすめるのでござりましたが叔母に向つてはもつとはつきりと自分はきやうだいぢゆうであの兒といちばん仲好くしてゐるからどうかあの兒を芹橋さんのやうな人と添はしてやりたい、あゝいふ人を弟に持つたら自分も嬉しいといふことを申したさうにござります。父の決心がきまりましたのはまつたく此のお遊さんの言葉がありましたゝめでござりましてそれから間もなくおしづの輿入れがござりました。左様でござります、でござりますからおしづは私の母、お遊さんは伯母になるわけでござりますけれどもそれがさう簡單ではないのでござります。父はお遊さんの言葉をどういふ意味に取りましたのか分りませぬがおしづは婚禮の晩にわたしは姉さんのこゝろを察してこゝへお嫁に來たのです、だからあなたに身をまかせては姉さんにすまない、わたしは一生涯うはべだけの妻で結構ですから姉さんを仕合はせにして上げて下さいとさういつて泣くのでござりました。(179頁)


 まさに、『源氏物語』の世界です。
 そして、姉を思う妹お遊の献身的な奉仕も、その後の谷崎の作品の核となっていきます。
 また、お遊さんは「田舎源氏」の絵にあるような世界に生きた女性としています(197頁)。

 この不思議な物語をする男も、やがては「いつのまにか月のひかりに溶け入るやうにきえてしまつた。」(198頁)と結ばれます。

 女性うまく描く、谷崎好みの夢幻的な作品に仕上がっています。【3】
 
 
初出誌︰『改造』昭和7年11月号・12月号
『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(昭和33年1月発行、中央公論社)所収
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | □谷崎読過
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