人前でのスピーチから始まるのは、後に『星と祭』に引き継がれる井上靖の手法です。
場所は銀座から郊外へ。その途中で、60歳近くで引退する主人公桂正伸と、26歳で女に振られた藤代了介という若者の愛情論、結婚観、人生論がたたかわされます。15頁にもわたる談義です。理詰めなところは、井上靖の特徴でもあります。
その中で、「しんねりした言い方」(『井上靖全集』59頁上段)という表現があります。時々井上は、私にわからない言葉を使います。
釣り好きの桂が行ったのは、私がスクーバ・ダイビングをした伊豆の波勝岬。
物語の舞台で知っているところが出ると楽しく読み進められます。
そこで一緒になった姉弟は、藤代が振られた姉たちでした。弟江上淙一朗は音楽家です。その姉透子は、興福寺の阿修羅像に似ているのです。ヒロインの登場です。
話は、考古学者高津恭一に移ります。桂は、この高津のイラクでの海外調査に資金を提供していたのです。さらには、高津の婚約相手が、坂田由布子であることが後にわかります。ただし、この2人には3年の空白がありました。そして、江上透子と高津との仲も語られます。
これは、『異国の星』の話に類似するものだと思いました。
イラクでの月光の話(109頁)は、井上の世界です。異国と月光は、いつかまた確認したいと思っています。135頁では、月光の夜のモヘンジョ・ダロのことが出てきます。
3年ぶりに帰国した高津は、空港で桂と出会います。
人間関係が複雑なままに展開していきます。
「ふいに自分の気持ちを押えることができなくなって行ったのであった。」(148頁下段)の「行った」は「言った」でもいいところです。井上靖の文章には、時たまこうした表現があるので、記し留めておきます。
高津は、銀座で江上透子と出会います。会話は甘いものでした。しかし、冷めています。直接は逢わないで、遠く離れてお互いが想い合う関係なのです。愛の告白をお互いがしているのに。
高津は、来春の坂田由布子との結婚式を進めながら、こうして透子と想いを交わしているのです。
藤代は透子と淙一朗姉弟の3人で東北旅行をします。
大洗で見た月の話も出てきます(188頁)。
このあたりは、読者を振り回す意図がありそうです。
新聞小説なので、作者は考えながら物語を展開させているのでしょう。
半ばをすぎたあたりから、長崎で江上姉弟が被爆していたことに及びます。
しかし、作者はこのテーマには深入りしません。この姿勢が、本作のテーマを曖昧にしているように思われます。
相思相愛の仲にある、高津と透子の今後が楽しみです。高津には、婚約者である坂田由布子がいるのですから。しかし、それも風前の灯です。それにしても、高津は透子が愛を口にしながら拒絶する心が読めないでいます。透子が考えている愛の崇高さが、まだ理解できていないのです。
このあたりの男女の想いのズレが、井上らしい展開です。由布子との婚約を破棄しても、透子の心にくすぶる問題が解決しないことには、話は進展しないからです。長崎での原爆の被災者であることは、後半にかけて伏流するのです。ただし、真正面からは取り上げられません。
この思案を背景にして、「中天に白い光りの冬の月」が出ています。(244頁上段)
藤代了介は背後で透子を支えています。これは、好きだからであり、この後で勘違いからさらに想いを深めることになるのです。
兄弟で長崎の被爆地を訪ねます。
桂に言われるまで、高津が婚約していることを透子は知らなかったのです。
桂は、高津と透子の恋愛の相談役でもあります。
この3人は、それぞれに恋愛論や結婚観を戦わせます。その中で、透子が言う「自分の血を、わたくし一代で失くしたいんです。─絶滅思想」(284頁上段)というのは、後半の展開を陰で支配しています。
愛情の延長線上に結婚があるとは、必ずしも言えないというのが、透子の考えです。そこには、長崎での被爆体験から来る、子供を産まないという意志が横たわっているのです。
春の朧月夜に、透子は高津との別れの手紙を、弟の手を借りて投函します。純粋な人間がたち現れて来ます。
藤代了介もまた、透子との間で苦しみ悩み、自らの運命を見つめます。
この3人の想いと行動と決断が、後段での中核となって展開するのです。
井上靖らしい、息苦しくなる物語の詰め方です。その中心に、逡巡する透子がいます。
お互いの連絡の手段が、手紙と隣家の電話というのが、人間の心の動きを描く上でいい間合いとなっています。一進一退の展開が、読者をつなぎ留めるのです。
そして、心の苦しさを死で解決しようとする展開も、これまた井上靖の手法の一つです。
ただし、最後の金沢行きからは、登場人物の行動と言動が、うまく噛み合っていません。作者の物語展開に対する姿勢が追いついていないように思いました。
桂は、次のように言います。
「愛が信じられないんなら、愛なしで生きてごらん。世の中が信じられないなら、世の中を信じないで生きてごらん。人間が信じられなかったら、人間を信じないで生きてごらん。生きるということは恐らく、そうしたこととは別ですよ。─この石のように生きてごらん。僕は宗教家でも、哲学者でもないから、こんなことしか言えない」(407頁下段)
このことばは、作者のまとめのことばとして読みました。しかし、ここには、それまでの物語展開を引き受ける力も大きさも感じられません。物語を閉じるにあたって、作者の苦し紛れの逃げのことばのようにしか読めないのです。
日比谷音楽堂での演奏シーンと、金沢の海岸の星空が印象的に語られて終わります。
本作は、2段組みの『井上靖全集』で400頁にもわたる長大な小説です。それでも、作者としては、語り尽くせなかったのではないか、との思いが残っています。
題名の「城砦」というのも、読み終えた今もしっくりときません。最初は、戦国物かと思っていました。
最後に、次のように女主人公である江上透子に言わせます。
透子はさすがに立っているのが辛くて、路傍の石の上に腰を降ろした。透子は四辺を見廻した。そしていま自分は砂に半ば埋もれた城砦の中にでも居るのではないかと思った。そんな荒涼とした風景であった。しかし、城砦の中に居ると言えば、自分はもう長いこと城砦の中に居たと思った。どこへも出ることのできない無人の城砦の中に、自分は弟と二人で神に囚われて住んでいたのだ。(408頁下段)
長崎での被爆体験をテーマからそっと外した作者は、その配慮がこうしたところに片鱗として見えています。それでもやはり、書名とうまく結びついていないのが惜しまれます。【2】
初出紙:毎日新聞
連載期間:1962年7月11日〜1963年6月30日
連載回数:352回
角川文庫:城砦
井上靖小説全集23:城砦
井上靖全集15:長篇8
〔参照書誌データ〕
「井上靖作品館」
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