2015年04月10日

読書雑記(123)高島俊男著『漢字と日本人』

 現在一般に使われている「ひらがな」の来歴とその字母、及び点字の「かなづかい」について考えるようになってから、明治33年を意識するようになりました。
 この明治33年に、国語政策の上で何があったのかが知りたくて、資料を探していたところ、『漢字と日本人』(高島俊男、文春新書、平成13年10月)という本を教えてもらいました。


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 現在使っているひらがなの「か」(字母は「加」)については、これまでの写本等の出現率からいえば、当然「可」の崩し字であるはずなのです。しかし、どうして「か」になったのか、ということについて、私はこれまでは冗談半分に、加藤さんがこのひらがなの「か」を決めたのではないか、と言ってきました。
 このことについて、本書で「国語調査委員会の委員長は加藤弘之で主事が上田萬年である。」(189頁)という説明に出会い、まんざらあてずっぽうではなかったのではないか、と思ったりしています。

 本書は、癖のある語り口なので、慣れるのに時間がかかりました。例えば、文末が「である。」「している。」「ことだね。」「ください。」「ますね。」「わけだ。」「ようにね。」「けどね。」「でしょう?」等々となっているので、読んでいて落ち着きませんでした。しかし、内容がおもしろく、具体例がわかりやすいので、最後まで読みました。

 以下、適宜個人的にチェックした箇所を抜き出しておきます。
 私はこの分野には疎いので、あくまでも私の興味のおもむくままに引用するものです。


 日本人の思想をあらわす日本語は、ないことはないが(たとえば、いさぎよい、けなげ、はたらきもの、等)、とぼしい。特に知的方面にとぼしい。われわれはそれらのほとんどを、中国人の生活からうまれた語にたよらざるを得ない。(27頁)
 
 「十一月の三日は祝日で、ちょうど日曜日です」
 こんなむずかしい文章を日本人は毎日のように相手にしている。ごらんなさい。「日」という字が四へん出てくる。最初の「日」はカ、二つめの「日」はジツ、三つめはニチ、四つめはビだ。これを日本人は一瞬にして判断し、よみわける。ほとんど神業としか思えないが、日本人はへっちゃらだ。よほど頭のはたらきのはやいのばかりがあつまった、世界でもめずらしい天才人種に相違ない。(44頁)
 
和語に漢語をあてるおろかさ
 よくわたしにこういう質問の手紙をよこす人がある。─「とる」という語には、「取る」「採る」「捕る」「執る」「摂る」「撮る」などがあるが、どうつかいわければよいか、教えてください。あるいは、「はかる」には、「計る」「図る」「量る」「測る」などがあるが、どうつかいわけるのか教えてください。
 わたしはこういう手紙を受けとるたびに、強い不快感をおぼえる。こういう手紙をよこす人に嫌悪を感じる。こういう手紙をよこす人は、かならずおろかな人である。おそらく世のなかには、おなじ「とる」でも漢字によって意味がちがうのだから正しくつかいわけねばならない、などと言って、こういう無知な、おろかな入たちをおどかす人間がいるのだろう。そういう連中こそ、憎むべき、有害な人間である。こういう連中は、たとえばわたしのような知識のある者に対しては、そういうことを言わない。「滋養分をとる」はダメ、「摂る」と書きなさい、などとアホなことを言ってくるやつはいない。ほんとに自分の言っていることに自信があるのなら知識のある者に対してでも言えばよさそうなものだが、言わない。もっぱら自分より知識のない、智慧のあさい者をつかまえておどす。
 「とる」というのは日本語(和語)である。その意味は一つである。日本人が日本語で話をする際に「とる」と言う語は、書く際にもすべて「とる」と書けばよいのである。漢字でかきわけるなどは不要であり、ナンセンスである。「はかる」もおなじ。その他の語ももちろんおなじ。(87頁)
 
 なおまたついでに申しておきます。漢字をよく知っている人は漢字の多い文章を書く、と思っている人があるようだが、それは逆である。漢字の多い文章を書くのは、無知な、無教養な人である。これは、第一に、かなの多い文章を書くと人にバカにされるんじゃなかろうかと不安を感ずるからである。第二に、漢字をいっぱいつかった文章を書くと人が一目おいてくれるんじゃないかというあさはかな虚栄ゆえである。第三に、日本語の本体は漢字で、どんな日本語でもすべて漢字があり漢字で書くのがほんとうだと信じこんでいる無知ゆえである。ボラはどう書くのムジナはどう書くのナメクジはどう書くのと言っているのは、かならずこういう程度のひくい連中である。ワープロが普及してからいよいよこういう何でも漢字を書きたがる手合がふえてきた。(90頁)
 
 英語を日本の国語にすることをとなえた人たちはみな、日常の会話はともかくも、すこし筋道立ったことを話す際、特に文章を書く際には、日本語よりも英語のほうが容易であった人たちである。明治の前半ごろに教育を受けた人たちは、日本語の文章を書く訓練を受けたことはなく、もっぱら西洋人の教師から西洋語の文章を書く訓練をきびしく受けたのであるから、日本語の文章は書けないが、英語やフランス語なら自由に書ける、というのはごくふつうのことであった。その点、昭和の敗戦後に、フランス語を国語にするのがよいと言った志賀直哉などとは選を異にする。なおまた、言うまでもないことだが、明治前半ごろまでの日本語の文章というのは、それを書くのに特別の訓練を要するものであった。こんにちの日本人が書くような、だらだらした口語体の文章というのはまだなかった。文章は、話しことばとは別のものであった。(172頁)
 
 明治の国語政策(音標文字化)を指導したのが上田萬年である。慶応三年生れ、帝国大学和文学科卒、明治二十三年博言学研究のためドイッに留学、同二十七年帰朝、帝国大学博言学科教授。三十一年国語学研究室創設とともに教授。三十三年文部省国語調査委員。ミ十五年同国
語調査委員会委員、同主事。昭和十二年没、七十一歳。(184頁)
 
 国語調査委員会の委員長は加藤弘之で主事が上田萬年である。ほかに委員が十一人と補助委員が五人いる。実質的に委員会をリードしたのは加藤と上田である。加藤は、日本の国語改革のために秀才を一人選んでヨーロッパに派遣し博言学を研究させるよう政府に建議した人で、上田はその選ばれてヨーロッパへ行った秀才である。この両人に次ぐ領導的位置にあったのが大槻文彦と芳賀矢一である。これらは大物だ。対して補助委員は若手の俊秀で、たとえば新村出(当時二十七歳)がはいっており、新村が京都へ行ったあとは山田孝雄がくわわった。(189頁)
 
 わたしも、「假名」はよくないと思う。本来はまさしく「假名」(ほんとうでない字)の意で命名されたのであり、また実際一段価値のひくい文字とされたのであるから「假名」でいたしかたなかったのであるが、これこそが日本の字なのであるから、「假名」(「仮名」と書いてもおなじこと)ではまずい。さりとて新村の言うごとく新名称をつけるのもむずかしいから、わたくしはかならずかなで「かな」と書くことにしている。(236頁)
 
 漢字を制限してはならない。字を制限するのは事実上語を制限することになり、日本語をまずしいものにするから─。制限するのではなく、なるべく使わないようにすべきなのである。たとえば、「止める」というような書きかたはしないほうがよい。これでは「やめる」なのか「とめる」なのかわからない。やめるは「やめる」と、とめるは「とめる」と書くべきである。あるいは、「その方がよい」では「そのほうがよい」のか「そのかたがよい」のかわからない。しかし「中止する」とか「方向」とかの語には「止」「方」の漢字がぜひとも必要なのであるから、これを制限してはならないのである。あるいは「気が付く」とか「友達」とかの書きかたをやめるべきなのである。ここに「付」の字をもちい「達」の字をもちいることに何の意味もない。こうした和語に漢字をもちいる必要はないのである。しかし「交付する」とか「達成する」とかの字音語は漢字で書かねばならない。すなわち「あて字はなるべくさける」というのは、和語にはなるべく漢字をもちいぬようにする、ということである。漢字はなるべく使わぬようにすべきであるが、それは、漢字を制限したり、字音語をかながきしたりすることであってはならぬのである。(238頁)
posted by genjiito at 23:41| Comment(0) | ■読書雑記
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