2015年04月02日

読書雑記(121)中野真樹著『日本語点字のかなづかいの歴史的研究』

 中野真樹さんの『日本語点字のかなづかいの歴史的研究 日本語文とは漢字かなまじり文のことなのか』(三元社、2015.1)を読みました。


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 これまであまり取り組まれなかった研究テーマということで、目が不自由な方々が読み書きに使っておられる点字の性格について、非常に多くのことを学びました。

 中野さんは、昨日採択の内定を受けた科研で、連携研究者として協力してくださる、得難い若手研究者です。その意味からも、研究分野を異にするとはいえ、真剣に一文字ずつを読み解いていきました。

 著書の献辞には、次のような文言があります。


 本書は明治期に考案されたかな専用文である日本語点字の表記法のうち、とくにかなづかいについて調査をしてまとめた博士論文を書籍化したものです。
 日本語点字は独自の文字体系と文字文化をもつ日本語文字ですが、日本語学の資料としてもちいられることもあまり多くはなく、特に明治大正期のものを資料としてとりあげたものはほとんどないのかと思います。本書は日本語学文字論・表記論の観点から、日本語点字の文字としての特徴や、表記の歴史などを研究したものです。
(中略)
 また、日本語点字は日本語の視読文字である墨字(すみじ)と平行してつかわれている文字です。明治期からの資料の蓄積もあります。「日本語文は漢字かなまじり文でないと“まともな”文章にはならない」などという偏見により、かな専用文である日本語点字を「不完全な文字体系」とみなすようなこころない言葉をきくこともあります。しかし、こころみに点字文の語種の比率や品詞比率などを調査し、墨字文と比較したところそれらの数値はどちらかというとジャンルや時代差、文体に影響され、点字か墨字かという文字種、表記体の違いにはそれほど影響されていないような調査結果が出ています。漢字が日本語文の可読性に及ぼす機能負担については、言われるほど大きなものではないのではないか、という可能性について考えています。今後はこのような点字文の語彙調査や、分かち書きの規則などの研究にも手を広げていきたいと考えております。


 筆者のこのことばは、本書のテーマがこれまでにあまり触れられなかった視点で論ずるところから、本書を読み進む上で大いに参考になりました。
 もちろん、「テキストのデジタル化にともなう情報処理から日本語点字をどう取り扱っていくか」という課題が残されていることも、著者は十分に認識しています。
 今後の調査と研究の成果が楽しみです。

 私は本書を読み終わってから、「あとがき」に目を通していくうちに、著者である中野さんの生のことばを聞いた思いがしました。この「あとがき」を最初に読んでから本論部分を読むと、筆者の問題意識の根源が見えて来て、論点を理解する上で大いに参考になることでしょう。

 以下、いくつか抜き出しておきます。
 まずは、「あとがき」から、左利きの者が文字を書くことに関連した箇所を紹介します。ここからは、カルチャーショックを受けました。


 日本語の墨字漢字・かなは、もともと右手書字につごうのよいつくりになっている。「正しいペンのもちかた」「正しい筆順」「ただしいとめはね」も右手書字者のものであり、それをおしつけてきた国語科書写教育は、左手書字者への教育的配慮をかいている。そのような状況で、左手書字者に、「右手書字者なみ」であることを要求するのは不当であろう。このような観点から、私は論文「左手書字をめぐる問題」をかき、雑誌『社会言語学』へ投稿した。(179頁)
 
 よみやすさ・かきやすさなどといった実用面から飛躍した、「正しい筆順」や「美しい文字」「格式の高い毛筆でかかれた字」に過剰に意味をもたせる文化に拘泥するひとびとがいること、そしてうまれつきの身体の都合を考慮しない文字の社会的な暴力性に興味をいだくようになり、私は文字論に興味をもつようになった。(180頁)


 今まで、こうしたことに気付きませんでした。確かに、さまざまな面で少数者を無視して物事が進行していることへの警鐘は、耳を傾けるべきことだと思います。
 とにかく、点字に関する研究は、これまでになされていなかった分野です。そこへ、意欲的な切り込みを入れた成果として、本書は大いに称賛すべきものとなっています。

 現代仮名遣いと点字仮名遣いの違いから、それぞれの特質が浮かび上がります。
 点字新聞である『点字大阪毎日』と『点字毎日』を調査した結果は、興味深いのがあります。これは、他の年度も含めて現在も発行し続けているものなので、今後とも継続することで貴重な調査となることでしょう。

 文部省の第1期国定教科書であった『尋常小学読本』(明治37年から8年間使用)の仮名遣いの研究などは、これまでまったく手付かずの分野でした。そこへ果敢にも挑んでいく気持ちのよさに、頼もしさも感じました。

 調査対象とする文献に書かれている仮名遣いについては、資料を直接確認しているために論証過程はあまりおもしろくありません。単調になっています。しかし、そこから導き出される結論は説得力を持っています。

 さて、本書の冒頭に立ち返って、私がチェックした箇所を記録として抜き出しておきます。
 まず、「触読」「体表点字」「耳で読む」「視読」など、文字へのアクセス方法に関して。


 点字は、指先をつかってよまれることがおおいが、舌など指以外のからだの部位をつかって触読する場合もある。また、「体表点字」という電波等による信号を体表につたえるよみかたもある。点字でかかれたテキストをよみあげるといったかたちで、墨字とならんで点字を「みみでよむ」利用法もある。点字の凹凸を視読するという方法もある。(9頁)


 点字かなづかいについて、明確な見解がいくつか出されています。以下、引用を続けます。


 今回調査した資料にあらわれる近代日本語点字のかなづかいは、日本語表記史の観点からは、明治33年式棒引きかなづかいとちかい棒引きかなづかいであると位置づけることができる。(118頁)
 
 明治33年式棒引きかなづかいのもう一方の特徴である和語は歴史的かなづかいでかき、字音語については表音的にかくという折衷的な性質については、日本語点字かなづかいの、古文をかきあらわすさいにうけつがれている。(126頁)
 
 二語に分解しにくいかどうかが問題となる連濁の「ぢ」「づ」についても、たとえば「せかいじゅう」か「せかいぢゅう」かについても、「世界中」と漢字で表記すれば悩むこともない。また、「布地」を「ぬのぢ」ではなく「ぬのじ」とかくその根拠は、この事例は連濁ではなく「地」という漢字に「ち」と「じ」という2通りの音をもっているためであるという説明がされるが、これも漢字で「地」とかいてしまえぼよい。このように、「現代仮名遣い」をつかうには、漢字のたすけをうけ、「漢字かなまじり文」でかかれることが前提となっている。いいかえると、「現代仮名遣い」がこのように複雑でむずかしいものでありながらそれが意識されることがすくないのは、漢字かなまじり文を習得してしまえば、そのむずかしさがみえにくくなってしまうためである。(147頁)
 
 国語教育では、学習者が漢字かなまじり文をかくことを目標としており、かな専用文は漢字に習熟するまでの過渡的な表記であるとかんがえられている。そのため、かなづかいの習得と並行して漢字学習がおこなわれる。漢字かな交じり文でかく場合には漢字でおおいかくすことができるかなづかいよりも、習得に膨大な時間を必要とする漢字学習が優先される。ただし、漢字未習語は「ただしく」ひらがなで表記するように求められる。(150頁)
 
 日本点字委員会(1985)は、「改定現代仮名遣い(案)」にたいして、2点の要望をだしている。1点は、助詞「は」「へ」に「わ」「え」の表記の許容を存続すること、もう1点は、オ列長音の本則を「オ列+う」とすることにたいして、「オ列+お」の許容を存続することである。しかしながら、昭和61年内閣告示第1号として公布された「現代仮名遣い」において、まえがきに「7 この仮名遣いは,点字,ローマ字などを用いて国語を書き表す場合のきまりとは必ずしも対応するものではない。」という一文が追加されたのみで、日本点字委員会の要望は反映されてはいないまま、現在にいたっている。点字と墨字の間は互いに翻字される機会もおおくあり、点字使用者と墨字使用者は無関係でいられるわけではない。日本点字委員会からだされた要望について、墨字使用者もむきあう必要があるだろう。(156頁)
 
 日本語点字と墨字は、どちらも日本語を書き表すための文字表記システムであり、並行してつかわれている。また墨字から点字への、そして点字から墨字への翻字がおこなわれる機会もおおくあり、お互いが没交渉でいられるわけではなく、時には対立する場合もあろう。そうであるならばお互いがどちらも同等に尊重されるべきものであり、表記の合理性をめぐっての議論がおこることもあるだろう。その場合は、墨字も点字も同等に、観察され分析される対象であるはずである。しかしながら、墨字漢字かなまじり文「現代仮名遣い」になれているひとびとは、「現代仮名遣い」を基準として、点字かなづかいがどれだけそこから「逸脱」しているかをしりたがり、そしてその「逸脱」の「理由」を説明するようにもとめる。つねに判断をするのは墨字使用者のがわであるとしんじている。もちろん、じぶんのつかいなれているものを基準にしてなにかほかのものを判断するということは、だれにでもおこりうることだろう。問題なのは、そのような墨字使用者が、日本の社会においては多数派であり、現状としては社会全体としての文字・表記のありかたに影響力や決定力をよりおおくもつマジョリティなのである。
 そして、この文字・表記における点字と墨字のマイノリティ/マジョリティのちから関係の不均衡は、日本語学の文字・表記研究分野においても反映されているといえるだろう。(162頁)
 
 1977年に刊行された『国語学研究辞典』には点字の立項がない。その新版と位置づけられる2007年に刊行された『日本語学研究事典』にも同様に、点字の立項がない。また、2011年に刊行された日本語文字論・表記論の概説書である『図解 日本の文字』にも点字にかんする記述はない。
 そして啓蒙的な目的で2007年に刊行された国立国語研究所編刊『新「ことば」シリーズ20 文字と社会』では、「公共サービスの文字」という節であっても公共サービスで長年使用実績のある日本語点字についてはのべられず、墨字のみの記述となっている。(165頁)


 いろいろなことを考えさせられました。
 今後の成果が、さらに楽しみです。

 そんな中で、昨日、連携研究者をお願いしていた科研の内定を受けたことを報告したところ、今日の返信に就職が決まった、とありました。
 群馬県にある関東短期大学に、急遽昨日より赴任したとのことです。
 嬉しい知らせです。
 今日のブログに取り上げる予定だったことを伝えました。
 本記事が、期せずしてお祝いを兼ねるものとなりました。
 新天地でのますますの活躍を祈っています。
posted by genjiito at 22:44| Comment(0) | ■読書雑記
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