2015年02月14日

「Kindle for Mac」の提供とネットショッピングに思う

 昨日のニュースで、アマゾンが2015年2月13日より、電子書籍に対応した「Kindle」用の無料アプリケーション「Kindle for Mac 日本語版」を提供し出した、ということを知りました。
 Windows向け閲覧アプリ「Kindle for PC」は、先月公開されていたそうです。

 これには、本文を検索する機能もあるとのことです。それがどの程度のものなのか、今はわかりません。ただし、以下の事情から、手に入れて調べてみようとは、今は思っていません。

 ちょうど一昨日の12日に、私は本ブログで「電子書籍は検索と参照に特化したものになってほしい」(2015年02月12日)という記事を書いたばかりでした。

 その中で、《Macintoshに非対応》のストアを列記した後、次のように書きました。

「アマゾン」には、私が探し求めている『源氏物語』に関する資料的価値の高い電子書籍(Kindle 版)は、まだないようでした。


 また、その前日には、「マックで読めない電子書籍を購入後にキャンセル」(2015年02月11日)という記事を書き、電子書籍の使い勝手の悪さを指摘しました。

 こんな記事を書いた直後にアマゾンのニュースを目にしたので、その偶然がなせるタイミングをおもしろく思っています。

 もっとも、私はアマゾンは意識して利用しないようにしています。
 近年、「アメリカ抜きで考える」ということを実践しているので、このいかにもアメリカ的な強引な押し売りに嫌悪感を抱いています。

 もちろん、現代社会が「アメリカ抜き」にしては考えられない状況に落とし込められていることは、十分に承知しています。
 今こうして文章を書いているパソコンは、さすがに Windows は忌避していても、アップルというアメリカの企業の商品を大いに活用しているところです。

 私は、ソニーとアップルの製品に心酔していました。それが、今はソニーが瓦解してしまい、情報文具に関して、私にとってはソニーが消えてアップルだけになってしまったのです。アップルというアメリカの企業しか選べないのは、「アメリカ抜きで考える」上での対応関係とバランスが崩れています。

 大学に関しても、ハーバード大学、コロンビア大学、カルフォルニア大学や、米国議会図書館などなど、お世話になっている所はたくさんあります。しかし、それは「アメリカ抜きで考える」上でのバランスを取る意味では、これでいいのだと自分勝手な理屈を捏ねくり回して、自分を納得させています。

 私は、ネットショッピングを、これまた意識して利用していません。
 本を買うのに、大急ぎで子供に本を届ける時に、アマゾンは避けつつも他のサイトの書店を利用したことがあります。このことは今でも、罪悪感として気持ちの中にしっかりと残っています。
 それは、日本各地にある本屋さんの存在を無視し、小売り店の頭越しに本を移動したことに対してのものです。

 居ながらにして物流を我が物にできるネットショッピングは、確かに便利です。しかし、歴史と文化とこれからの人間のありようを考える時、その存在に大いなる疑問を持っているのです。

 社会の流れに棹さすことはできない、とは理解しています。しかし、気持ちの問題として、ネットショッピングはしたくないのです。

 商品の内容や性能や価格について、ネットで調べられることは便利です。関連して何が必要になるかも、その段階でわかるので、ネットの情報検索は重宝しています。しかし、買う段になると、やはりお店に足を運び、店頭で実物を見て買うようにしています。

 本にしても、情報文具にしても、実際に手にして現物を見て触ることで、購入を見送ったことは数知れずあります。虚像と実像、視覚と触覚の違いが、購買行為に密接に関わっているようです。

 以前、「インドで思ったこと」(2011/2/24)という拙文で、変わりゆくものへの躊躇いを記しました。変わらないでほしい、という気持ちは、どうしようもないと思います。そんな中に、本屋さんの存在が明滅します。

 書店に留まらず、図書館や資料館をも巻き込んで、ネットショッピングで本を買うことの意味を、あらためて自問してみたいと思うようになりました。
 何かすっきりとした解決策や妥協点に思い至ったら、またここに書くことにします。
posted by genjiito at 22:01| Comment(0) | ◎情報社会
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