2014年12月10日

実践女子大学で気の遠くなる明融本の原本調査

 実践女子大学が渋谷から日野に移転したのは、昭和61年(1986)でした。コンクリートの打ちっ放しという、斬新なデザインです。


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 私は、渋谷の國學院大學大学院で勉強していた昭和50年に、すぐ斜め向かいにあった実践女子大学から講師としてお出での山岸徳平先生から、日本漢文学を教えていただきました。山岸先生は、岩波日本古典文学大系『源氏物語』の校注者として、『源氏物語』を牽引しておられたのです。

 しかし、授業を何回か休んだこともあり、山岸先生から単位を落とされました。当時は、厳しい先生が多かったのです。翌年、山岸先生の授業を再度受講しました。

 ある日、私が『源氏物語』の本文を調査していることをお伝えすると、すぐに陽明文庫の重要文化財となっている写本が見られるように、紹介状を書いてくださいました。これが、その後『源氏物語別本集成』の底本へと結実していきます。

 またある日、実践女子大学の常磐松校舎にあった先生の研究室に、國學院大學での授業が終わった後、すぐ前なので連れていってくださいました。先生ご自身が書写なさった貴重な本を、1つ1つ丁寧に説明してくださいました。その時、東海大学の桃園文庫にある9帖以外の明融本44帖も見せてくださったのか、今は思い出せません。

 杖を突いて歩いておられたので、介助しながらご一緒に、バスではなくて歩いて渋谷駅まで行ったように思います。写本にまつわる思い出話や、文学研究における文献の取り扱い方など、多くのことを教えていただきました。先生は昭和62年にお亡くなりになりました。実践女子大学が渋谷から日野に移転した翌年です。

 その後、実践女子大学の創立者である下田歌子の『源氏物語講義』の調査で同校を訪問しました。また、源氏物語千年紀の源氏物語展で、図録に収録する明融本の写真撮影のために、同校を訪問しました。いずれも、横井孝先生と上野英子先生のご高配をいただいてのものです。

 その実践女子大学が、本年平成26年(2014)に、文学部と人間社会学部が渋谷へ逆戻りしての移転を果たしました。渋谷の地には、立派な高層の新校舎が建ちました。國學院大學の若木タワーと共に、渋谷の丘に並び立つ、学問と教育の拠点となっています。

 いろいろと縁のある実践女子大学で、明融本の翻字の確認をすることになりました。文学部は渋谷に移転しても、貴重な資料の多くはまだ日野の校舎に保管されているので、あらかじめ横井先生のご高配を賜り、今日は日野の校舎に行きました。

 事前に紙焼き写真によって、44帖の翻字はしてあります。しかし、その紙焼きは裏写りが甚だしいものなので、原本を確認しないとみなさんに使っていただくデータとして利用に供することができません。

 今日は国文学研究資料館にアルバイトで来てもらい、連日この判読が困難を極める明融本の翻字をお願いしている方々を含めた6人で、直接原本の調査をしました。

 私は、「玉鬘」巻を担当しました。紙焼き写真が不鮮明で裏写りが激しいため、ナゾリやミセケチや朱の書き込みや濁点などなど、1つずつシートに書き込んでいきます。

 10時から17時までかかって、私が分担した「玉鬘」巻は、やっと8丁までを終えました。前途多難な原本調査です。

 来週は2日間をこの調査に当てています。新年から、また通うことになります。折角の機会を与えていただいたので、やれる時にやれることを全力でやり切るしかありません。
 根気に加えて時間との闘いは、まだまだ続きます。

 帰りのエントランスでは、クリスマスのイルミネーションが瞬いていました。


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posted by genjiito at 23:01| Comment(0) | ◎源氏物語
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