2014年10月14日

江戸漫歩(89)畠山記念館で見た不昧公の逸品

 秋季展として、「開館50周年記念特別展 大名茶人 松平不昧の数寄―「雲州蔵帳」の名茶器―」が開催されています(平成26年10月4日(土)〜12月14日(日))。
 これまでにない大型台風が来る直前の間隙を突いて、不昧公のお茶道具を拝見しに畠山記念館へ行きました。


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 お茶の良さなどはまだまだわかりません。しかし、名茶器といわれるものは見られる時に見ておきたいと思っています。良いといわれるものは何でも見て、目を慣らしたいのは、古写本や古筆切を見る時の気持ちと同じです。

 不昧公(1751〜1818)は、出雲国松江七代藩主です。茶の湯を極めた、江戸時代を代表する大名茶人として知られています。
 その「不昧公」という名前は、私の出身が島根県出雲市ということもあり、幼い頃から両親に「松江」「山川」「若草」という言葉とセットで聞いていました。
 本家のお爺さんがお茶人で、わけもわからずにお茶室の茶碗などを玩具がわりに悪戯していたころから、不昧公は何となく耳にしていた名前です。

 父に連れられて松江に行き、お茶席で蓮華とお菓子をもらって帰ったことは、今でも記憶に鮮やかです。お茶をいただいたのかどうか、今となっては定かではありません。しかし、緋の毛氈と大きな傘と桜が、微かながらも残映として残っています。

 昨春(2013年4月6日(土)〜6月2日(日))、逸翁美術館で「小林一三生誕140周年記念T 復活!不昧公大圓祭−逸翁が愛した大名茶人・松平不昧−」が開催されました。逸翁美術館館長の伊井春樹先生から連絡をいただいていました。
 4月28日には、「池田亀鑑賞の選考委員会が逸翁美術館で」あったので、会場までは足を運んでいました。しかし、当日は慌ただしかったため、また改めて、と思ったのがいけませんでした。その後も何かと多忙だったこともあり、とうとう拝見する機を逸してしまったのです。
 逸翁が収集した不昧公に縁のある名品を見られなかったので、今でも再会を待ち望んでいるところです。

 そんなことがあったので、どうしても畠山即翁が集めた名茶器を見たくて、並の勢力ではないと警戒されている台風の中を、それこそ見られる内にとの思いから出かけたのです。

 国宝の藤原佐理筆『離洛帖』(平安時代)は、展示期間が来月(11月8日〜12月14日)なので今回は見られませんでした。
 それでも、重要文化財となっている『唐物肩衝茶入 銘 油屋』(南宋時代)と『井戸茶碗 銘 細川』(朝鮮時代)の2つは、しっかりと見てきました。

 次に興味を持ったのは、『観音蒔絵硯箱 銘 玉河』(室町時代)です。これは、平仮名が装飾絵の中に紛れ込むように隠されているものです。「葦手絵」と言われる、絵文字の一種です。平安時代に遡る散らし書きの中に、平仮名の連綿体が絵画の中に溶け込むようにして書いてあるのです。
 近年は、絵文字がメールなどで頻繁に使われています。この絵文字も、由緒正しき遊び心溢れる葦手の流れなのです。

 『源氏物語』では第32巻「梅枝」に、光源氏が「葦手、歌絵を、思ひ思ひに書け」と言っています(『新編日本古典文学全集』第3巻、417頁)。
 また、その後に「葦手の草子どもぞ、心々にはかなうをかしき。」(同、420頁)と、若い人が草子に葦手書きをしていることをおもしろがっています。

 今日拝見した硯箱の蓋裏には、千鳥が飛ぶ模様の中に、崩し字で「ゆふ」と「され」が隠れるようにして書いてありました。また、硯箱の身には「しを」と「かせ」が装飾絵の中にかすかに読めます。
 もっとも、読めますと言えるのは、ここに書いてありますよ、という指示があるのでわかる程度です。ここまで平仮名を崩されると、目を凝らさないと識別できません。おまけにガラスケース越しなので、なおさら判読が大変です。

 これは、平安歌人である能因法師の和歌
ゆふされしほかせこしてみちのくの のだの玉河千鳥なくなり」(新古今和歌集、巻6、冬)
の歌意を装飾的に意匠化したものでした。
 この硯箱の銘が「玉河」となっているのも、この能因の和歌から来るものです。

 葦手絵は、平仮名の特性をうまく引き出した遊び心満載のデザインです。文字で遊ぶなど、海外の装飾文字とはまた違う、一風変わった言葉遊びと絵画化が融合したおもしろい文化です。

 帰りには、小雨が降り出しました。
 今夜から明日にかけて、関東地方も大荒れになりそうです。
posted by genjiito at 00:06| Comment(0) | ■古典文学
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