2014年07月10日

読書雑記(102)足羽隆著『松本清張と日南町』の奨め

 先月、池田亀鑑賞の授賞式のために鳥取県の日南町に行った折、いつも参加してくださっている足羽隆先生から自著『松本清張と日南町 ─父の故郷への熱い思い─』(私家版、2013年10月1日)を拝受しました。143頁の冊子です。


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 その中身は、ご自身の足で集め、町内外のみなさんから聴き回って収集された情報で組み立てられた、松本清張と父峯太郎の人間像を浮き彫りにするものです。松本清張と日南町のつながりの輪を探索する中で、独自の視点で清張親子の歴史が綴られています。

 私と日南町との縁は、一面識もなかった久代安敏さんからメールをいただいた時からです。まず、そのことから確認しておきます。

 2009年11月4日に「予期せぬ夜の祝祭」と題する記事をブログに書きました。それをご覧になった日南町の「池田亀鑑文学碑を守る会」の事務局長である久代安敏さんから、11月3日に池田亀鑑の碑の除幕式をしたというコメントをくださったのです。「わたしの町には井上靖と松本清張と池田亀鑑の文学碑があります。」とも。

 このことは、「日南町議の久代氏と思わず握手」(2009/12/15)に詳細に記しています。

 この時、足羽先生に大変お世話になりました。これまた、「松本清張ゆかりの日南町」(2009/12/11)に記した通りです。

 松本清張との縁で日南町とつながり、そして井上靖、さらに池田亀鑑へと、この町は私にとって赤い糸なくしては語れません。

 その、最初の日南町訪問の折にお世話になった足羽先生が、待ちに待ったご本『松本清張と日南町 ─父の故郷への熱い思い─』を刊行されたのです。

 本書の内容について、現在の学会でどのように研究が進められ、本書の調査結果と足羽説がどのような評価を受けるものなのか、今の私には専門を異にすることもあり、まったくわかりません。
 しかし、こうして現地を歩き回り、聴き回ってまとめられた調査は、確かな重みを持っていると思います。そして、非常に興味深いことが語られており、私は一気に読みました。

 ここでは、その概要や私感を記すよりも、この本の主要部分を抜き出すことで紹介に代えます。

 まず、「はじめに」において、足羽先生は次のようにおっしゃっています。
 矢戸は日南町にある、清張の父峯太郎が生まれた地名です。


 峯太郎にとっては、不遇な人生のスタートになった矢戸でありながら、生涯矢戸のことが心から離れず、いつか必ず矢戸を訪れることを夢見ながら生き抜いたことに驚きました。そして、清張もまた、「私の故郷は日南町である」と言い切るほどまでに日南町に強い愛着をもっていたことに感動しました。
 この本は、いろいろな機会に書いてきたこと、県内の研修会などで発表してきたこと、さらには最近になって新たにわかったことなどを含めて、雑多な内容を個人的な思いのままに一冊にまとめたものです。
 私もすでに八〇歳を過ぎましたが、少しでも元気な今のうちに手元の資料をまとめておきたいという個人的な思いと、清張の作品や講演を通して強く感じた峯太郎と清張の「日南町に寄せる熱い思い」を広く町民のみなさんに知っていただき、さらに理解の輪を広げていきたいという思いを込めて書いたものです。
 検証も不十分なために、今後の研究によって修正されるところが多いと思いますが、「文豪松本清張と日南町のつながり」について理解を深めていただく上で、少しでも役立つことができれば幸いです。


 そして、次に本書の目次のすべてを揚げます。
 これによって、本書の内容がわかると思います。


はじめに
一、日南町で生まれた父峯太郎
   松本清張の父峯太郎は日南町矢戸の出身
   峯太郎の父雄三郎は田中家の二男
   田中家と松本峯太郎・清張のつながり
   松本家に「里子」に出された峯太郎
   「里子」から「養子」へ
二、注目される田中家の嫁と姑
   カギをにぎる嫁と姑の関係
   峯太郎の母はなぜ一時実家に帰ったのだろうか
   母とよの復縁を知らせた手紙の謎
   田中儀一郎の遺言『心得書』が問いかけるもの
三、峯太郎の母とよの弟は、霞の足羽家の婿養子に
四、峯太郎の心に焼きついた矢戸
五、松本清張の誕生と作家への歩み
   北九州市で生まれた松本清張
   文学に心を惹かれた少年時代
   やがて朝日新聞社の広告部へ
   『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞
   思いがけない井上靖との出会い
六、清張の作品にみる事実と仮構
七、四回に及ぶ矢戸訪問
   初めて見る父の故郷「矢戸」
   二回目は米子での文化講演会のあと
   三回目は日南町中央公民館の落成記念講演会
   「私の故郷は日南町である」
   四回目は文学碑の除幕式と記念講演会
   「日南町を舞台にした小説」を約束
   この他にも矢戸訪問があったのでは
八、峯太郎の生家「西田中家」の墓地
九、松本清張直筆の文学碑
   何回も断られながら実現した文学碑の建立
   文学碑の建立にあたって二つの要望
   全国でも数少ない清張直筆の文学碑
   文学碑のそばに立てられた案内板
   国道の改修で大きく変わった松本清張記念公園
一〇、「日南町を舞台にした小説」の夢
   「日南町を紹介したい」という強い思い
   『数の風景』は日南町も舞台に考えていたのでは
   清張が書こうとしていた日南町の小説は
   日南町の「たたら製鉄」にも強い関心
一一、矢戸の「かえで」
一二、晩年まで続いた井上靖との交流
   心を許してつきあった間柄
   「日南町名誉町民」では異なる対応
一三、松本清張資料館の夢
   「蔵書は日南町に寄贈する」と言われていたが
   「井上文学展示室」と「松本文学展示室」
   日南町図書館には「特設コーナー」を置く
   日南町美術館には書と色紙が
一四、松本清張と日南町のつながりを大切に
一五、日南町が出てくる松本清張の作品
   日南町のことが出ているもの
   日南町のことが背景にあると思われるもの
   身近な地域が舞台になっているもの
終わりに

主な参考文献
松本清張略年譜
矢戸ガイドウォークマップ
写真・図版・資料等提供者一覧


 この中でも、特に松本清張と井上靖とのことは、自分のためのメモとして、あらためて書き出しておきます。


 井上靖は、松本清張の芥川賞受賞より三年前に小説『闘牛』で第二二回芥川賞を受賞していて、小説家としても活躍していました。それだけに、同じ芥川賞を受賞した清張を特別な思いで見ていたのでしょう。
 清張は、まだ小説だけで家族の生活を支えていく自信がなくて、今後の活動のありかたに迷っていましたが、この井上靖のことば(伊藤注:「わたしの顔を見て、もう新聞社に居る必要はないでしょう」)で自分の迷いがふっきれ、一九五六(昭和三一)年に朝日新聞社を退職して、本格的に小説を書くことになりました。(48頁)


 本書の最終章に「日南町が出てくる松本清張の作品」という項目があります。松本清張と日南町のことを考える上で非常に参考となるものなので、その内容も抜き出して資料としておきます。



  一五、日南町が出てくる松本清張の作品

 日南町のことを中心に書かれた作品はありませんが、作品の中に日南町のことが出ているものがいくつかあります。また、直接日南町のこととして書かれていなくても、日南町のことが背景にあるものもあります。次に、その作品名をあげてみましたので、ぜひ読んでみて下さい。


    日南町のことが出ているもの

『父系の指』一九五五(昭和三〇)年
 「私の父は伯耆の山村に生まれた。……生まれた家はかなり裕福な地主でしかも長男であった。それが七カ月ぐらいで貧乏な百姓夫婦のところに里子に出され、そのまま実家に帰ることができなかった。……」で始まる自分のことを中心に書いた自伝小説です。故郷矢戸への熱い思いとともに、豊かな暮らしをしている親せきの人たちへの恨みゃ憎しみの気持ちも読みとることができます。

『ひとり旅』一九五五(昭和三〇)年
 大阪からの出張の帰り道に、ふと思い立って父の故郷を訪ねることになりました。広島から芸備線に乗りかえ備後落合の駅前で一泊し、翌日伯備線で生山駅に降りるまでのようすが書かれているエッセイです。

『山陰』一九六一(昭和三六)年
 文化講演会で井上靖らと米子を訪れた翌日、一人で父の故郷矢戸を訪ねました。このときの矢戸のようすや、親せきの人たちが集まってご馳走してくれたことなどが書かれているエッセイです。

『山陰路』一九六三(昭和三八)年
 これも米子での文化講演会のあとに矢戸を訪れたときのようすが書かれています。昭和三六年に書かれた『山陰』と同じような内容のエッセイです。

『半生の記』一九六六(昭和四一)年
 書き出しが「父の故郷」から始まる、自分のことを中心に書いた自伝小説です。父峯太郎が日南町矢戸で生まれたことと、里子に出されたいきさつから、小説家として独立するまでの四〇年間の自分の半生を振り返りながら書いたものです。これは、清張の生き方と作品を考える上で大変貴重な記録として注目されているものです。
 最初は『回想的自叙伝』として雑誌に連載されましたが、後に単行本として出版するときに『半生の記』に改題されました。

『碑の砂』一九七〇(昭和四五)年
 昭和三六年に矢戸を訪問したときのことと思われますが、親せきの人たちの案内で祖父母の墓詣りをしたようすから書き始められているエッセイです。

『雑草の実』一九七六(昭和五一)年
 広島県出身の母のことを中心にしながら、清張自身の歩みをたどったものです。最初のページに父峯太郎のことが書かれていますし、最後のところでは、清張が井上靖と出会って励まされ、小説家として独立する決意をしたときのことが書かれています。

『骨壺の風景』一九八〇(昭和五五)年
 祖母カネは、清張が一七、八歳のころ亡くなりましたが、その骨壺はお寺に預けたままになっていました。祖母の夢がきっかけでそのお寺を探し歩くことから物語は始まります。この中に、ほんの少しだけ父の生い立ちのことが出てきます。

『数の風景』一九八六(昭和六一)年
 小説の最初に日野郡や日南町のことが数ページにわたって書かれていますが、中心になるのは石見銀山から始まって鳥取県の南部町で終わる推理小説です。


    日南町のことが背景にあると思われるもの

『田舎医師』一九六一(昭和三六)年
 小説の舞台は島根県になっていますが、日南町における峯太郎と清張の姿が作品の背景にあります。物語は、地主の家に生まれながら幼い時によその家に養子に出され、若い時に家を出たまま一度も帰ることなかった父の故郷を、主人公の杉山が出張の帰り道に訪ねるところから始まります。

『暗線』一九六三(昭和三八)年
 新聞記者の主人公が、父の故郷を訪ねて父の出生の秘密をさぐる物語で、島根県の奥出雲が舞台になっています。

『夜が怕い』一九九一(平成三)年
 胃の治療のために入院した主人公が、夜一人になるとよく亡き父のことを思い出します。島根県が舞台ですが、父峯太郎の生い立ちが背景になって書かれています。


    身近な地域が舞台になっているもの

『砂の器』一九六〇(昭和三五)年
 「砂の器」は松本清張の社会派推理小説の代表作の一つとして高く評価され、これまで何回となく映画やテレビドラマ化されています。
 事情があって住みなれた土地を離れていく親子をめぐる物語です。東京で起きた殺人事件の被害者が島根県奥出雲町で巡査をしていたことから、奥出雲町亀嵩も作品の重要な舞台になっています。事件は迷宮入りかと思われましたが、今西刑事の執拗な追求で解決に向かい、一人の若い芸術家の隠された足跡が浮きぼりになってきます。
 世の中にある偏見と差別が父と子を引き離していきますが、そんな社会に対する清張の怒りの気持ちを読みとることができる作品です。
(129〜135頁)


 最後に、巻末の「終わりに」の全文を引用します。
 足羽先生の人柄がにじみ出ているあとがきです。
 ますますのご活躍とご健筆をお祈りしています。


 終 わ り に

 松本清張没後二一年になりました。できれば二〇年の節目にまとめたいと思っていましたが、資料の確認や執筆とその整理に時間がかかり発行が遅れてしまいました。しかし、そのために収録できた貴重な資料もいくつかあります。「文学碑の建立にあたって二つの要望」もその一つです。年を経るごとに新しい資料の発掘はなかなか難しくなってきましたが、日南町での研究や啓発活動はまだまだこれからだと思います。
 私は、清張文学の愛読者でもなければ研究者でもありません。たまたま読んだいくつかの作品や日南町での講演を通して、清張自身の「父の故郷日南町への愛着と熱い思い」を知って心を動かされ、このことを町民のみなさんに伝えたいとの思いで、いくつかの活動に参加してきたに過ぎません。
 この本は、「松本清張の日南町に寄せる熱い思い」を伝えたい一心でまとめたものです。自費出版のために、苦手なパソコンに向かい失敗を重ねながら自分で編集しましたので、読みにくく誤字や脱字も多いと思いますが、松本清張と日南町のつながりを考える材料の一つに加えていただければ幸いです。
 最後になりましたが、松本清張と日南町のつながりをまとめる過程で資料の提供や助言をいただいた多くのみなさんと、出版にあたって格別のご指導とご支援をいただいた今井印刷の古磯宏樹さんとスタッフのみなさんに、心からお礼申し上げます。

   二〇一三(平成二五)年八月四日

                  足羽 隆


 なお、本書は自費出版のために書店での購入はできません。
 しかし、日南町総合文化センター(http://culture.town.nichinan.tottori.jp)に問い合わせることで、2,000円以内(送料込)で入手可能とのことでした。本書に興味をお持ちの方は、連絡を取ってみてください。
 
 
 
posted by genjiito at 22:02| Comment(0) | ■読書雑記
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