2014年06月09日

「樂友舎」と池田亀鑑についてご教示を乞う

 池田研二先生より先般、池田亀鑑が写っている次の写真の裏面に「樂友舎を出る日」と書いてあった、との連絡をいただきました。研二先生は、この「樂友舎」については何も聞いていないし、知らない、とのことです。


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 「樂友舎」について、いろいろと調べました。東京の出版社として「楽友舎」が主に医学系の図書を刊行しています。しかし、ここには池田亀鑑との接点はなさそうです。それ以外に、手がかりがまったく摑めません。

 この写真は、すでに『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第1集』(277頁)に掲載させていただいたものです。その時には、裏書きまでは確認できていませんでした。
 掲載にあたり、以下の簡単な推測による説明を付けました。


正装姿(大正末年頃)
今のところ、手がかりのない写真である。ご子息の池田研二氏は、当時アルバイトをしていた実業之日本社編集長の岩下天年宅(妻房の姉律の嫁ぎ先)での前ではないか、と推測されている。大正11年より女子学習院の教員をしていたので、華族子女の授業へ出かける姿か、とも思われる。


 「樂友舎を出る日」とは、この写真の後ろの建物が「樂友舎」と呼ばれていた所であり、そこから別のところに生活の拠点を移す、という意味ではないか、と今は想像しています。

 いずれにしても、この「樂友舎」が何なのかがわかれば、池田亀鑑の若き日に関して、また新しいことにつながっていくはずです。

 このことに関して、何かご存知の方からの情報を募りたいと思います。
 ご教示のほどを、よろしくお願いします。
posted by genjiito at 22:16| Comment(0) | □池田亀鑑
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