2014年03月02日

京都で『十帖源氏』を読む「須磨_その11・明石_その1」

 「須磨」も今日で最後となりました。

 「龍王のみいれたる」という文を、担当者は「龍王が魅入ったのであった」と訳しました。
 ここで、「魅入る」ということばを外国語に訳すのは難しいのでは、ということになりました。いろいろな意見を出す中で、結局「龍王が、光源氏自身を気に入ったのだな、と思います。」としました。「光源氏自身を気に入った」とした所が、工夫の跡だといえます。

 また、「すまゐたへがたく」という所も問題となりました。
 おもしろかったのは、「須磨」と「居堪へ難く」とに切ってはどうか、という提案でした。そして、これで「須磨に住んでいることが堪え難くなった」という意味にとるのです。ただし、どうも馴染めない、こじつけのような語句の区切り方になるので、これは採用されませんでした。
 結局、ここは「この場所に住むことが堪え難く」とすることにしました。

 また、「須磨」の最後に付された絵についても、楽しい話に展開しました。
 この絵は、前回の報告である「京都で『十帖源氏』を読む「須磨_その10」」(2014年1月21日)に引用したものです。

 ここで、光源氏や共人が腕を上げて雷雨を避けながら走っている様子は、日本人がかつては手を上に上げて走っていたことを証明する絵にならないか、というものです。
 袖で頭を覆うような仕草をしているので、腕を上げて走る例とは言い切れないものです。しかし、狂言をなさっている方から、狂言では両手を挙げて走るという例を見せてくださいました。これには、みんな響めきました。
 確かにオーバーに演じて見せるためだとは言っても、やはり目の前で実演していただいた、この狂言のポーズは、かつての日本人が両手を挙げて走っていた例としていいようです。
 一堂納得しました。これは、また改めて検討することにします。

 次に、第13巻「明石」に入りました。

 早速、「かしらさし出べくもあらず。」で立ち止まることになりました。
 頭を差し出す、ということが、中国とスペインの留学生から疑問が出されたのです。
 担当者は「頭を覗かせることもできません。」と訳していました。そこで意見を闘わせた末に、「嵐が激しくて、外へ出ることもできません。」と、わかりやすい現代語訳になりました。

 今回も、さまざまな意見を交わしながら、よりわかりやすい現代語訳を作ることができました。
 海外からの参加者が疑問点を示されると、問題点が具体的に浮かび上がります。
 今後とも、こうした現代語訳作りに興味のある留学生の方々の参加を待ち望んでいます。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎源氏物語
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