2014年01月21日

京都で『十帖源氏』を読む「須磨_その10」

 遅ればせながら、先週土曜日に開催された『十帖源氏』を読む会の報告です。

 今回はいつもより多くの参加者で盛り上がりました。
 さまざまな年齢層の方からの意見は、非常に参考になります。
 現代語訳の検討も、いろいろな言葉で提案されると、ああでもない、こうでもない、と考えるのが楽しくなります。

 先週保留した「船にこと/\しき人がたのせて」というところの現代語訳から始まりました。
 担当者の訳は「船に大掛かりな人形を乗せて」でした。この「大掛かりな」という訳では、各国の方々が困るだろう、ということから再検討となった言葉です。
 「こと/\しき」は、単なる大きな人形ではないことを踏まえて、「工夫した人形を船に乗せて」となりました。

 この場面は、『十帖源氏』(早稲田大学本)ではこんな挿絵が付されているところです。
 早稲田大学のサイトの画像をお借りしたのは、国文学研究資料館から公開されている画像には裏写りが明瞭で例示に適していないものだったからです。

140119_sumae




 「ひぢかさ雨とかふりて、あはたゞしければ、みなかへりなんとするに、かさもとりあへず。」とある文については、時間かけて検討しました。まさに、異論百出です。

 「ひぢかさ雨とか」は「急に大雨が」となり、「かさもとりあへず」は、「笠を取る暇もありません。」となりました。ここは、「肘笠雨」という言葉は海外の方々に伝える言葉としては残さずに、言い換えてしまうことにしました。
 「かさ」は今の傘とは違って「箕笠」なので、「笠」になりました。立命館大学の所在地を指す「衣笠」の「笠」です。

 続く「海はふすまをはりたらんやうにひかりみちて、神なりひらめく。」も、時間をかけて熱い討議となりました。

 「ふすま」については、建具の「襖」ではなくて、夜具の「衾」であることの確認から始まりました。直後に「ひかりみちて」とあるので、ここの現代語訳は「絹の夜具を一面に拡げたように」となりました。

 「神なりひらめく。」も、おもしろいく展開しました。
 発端は、中国で雷はその音だけが意識され、光は雷には伴わない、ということでした。「風神雷神図」のことが思い起こされます。
 中国の雷はサンダーであって、ライトニングの意味はないのだ、と言われると、日本の文化に馴染んでいる者としては困惑します。同じことが、英語やドイツ語にも言えそうだ、ということになりました。このあたりは、文化の違いの問題となります。

 結局は、「雷鳴がとどろき、稲光が走ります」となりました。
 みんな、これで納得し、大満足です。

 次回は、3月1日(土)午後1時から、場所はワックジャパンです。
 あと数行で「須磨」巻が終わります。次は、「明石」巻に入ります。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ◎国際交流
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