2013年12月17日

先週の林文月先生の受賞記念講演

 先週実施された「人間文化研究機構 日本研究功労賞授賞式 及び 記念講演」で、林文月先生はご自身の翻訳体験を踏まえて、貴重なお話をしてくださいました。
 その日のことは、本ブログ【9.0-国際交流】「日本学士院での林文月先生の授賞式に参加して」(2013/12/10)で少し紹介しました。

 同行していた立命館大学大学院生の庄婕淳さんが、その時のお話と林文月先生への思いを、簡潔な文章にしてまとめたものを送ってくださいました。ここに紹介して、当日の様子を再現したいと思います。

 庄婕淳さんは、京都での「ハーバード大学本『源氏物語』を読む会」や「『十帖源氏』を読む会」に、毎回熱心に参加しています。そして、林文月先生の訳ではこうなっている、と常に参照し、その中国語訳『源氏物語』は彼女の座右の書となっているのです。

 なお、この日の授賞式と講演のことは、中国でニュースとして取り上げられました。インターネットの以下のアドレスでご覧いただけます。
 このニュースの後半で、私が会場で必死にメモを取っている姿が、大写しになって出て来ます。お見逃しなく。

http://www.chinatimes.com/realtimenews/20131211003355-260413

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 十二月十日。
 午前の雨が嘘のように晴れ上がっています。
 上野公園の銀杏の黄葉は陽射しで輝いています。
 その美しさで思わず留まって写真を撮っている人もいました。
 黄葉の並木の道を通り、右へ曲がるところは、今日の目的地である日本学士院です。
 『源氏物語』の中国語訳をなさった林文月先生の「第三回日本研究功労賞授賞式及び講演会」はここで開かれます。
 それを待ちかねている私は、一時間早く会場に着きました。

 林文月先生の文章との出会いは二〇〇八年。
 京都に行くことを夢見ていた私が、偶然に見かけた『京都一年』という散文集から始まりました。
 林先生は優美な筆調で、一九六九年に京都大学人文科学研究所の研究員として京都に滞在していた一年の思い出を、この本に綴られたのです。

 その筆で描かれていた京都の風情は私を魅了させ、京都に行きたい気持ちを強める一方、林文月先生の文章を集め、もっと読みたくなりました。惜しいことに、その時林先生の文章が大陸ではまだそれほど出版されていませんでした。しかし、その作品を調べたところ、初めて林先生が『源氏物語』を翻訳なさったことを知り、読みたいと思うようになりました。

 今年の三月に台湾に行くことを機に、やっと林先生訳の『源氏物語』を入手し、毎日のように拝読しています。まさかここ数年夢見ていることが叶い、今日林先生と実際に会うことができるとは思いませんでした。

 授賞式が始まりました。
 今日の主役である林文月先生は、舞台左手の椅子に腰掛けておられます。
 耄耋の年とは思えないほど元気なご様子でした。

 まず、人間文化研究機構長金田章裕先生からのご式辞と、今回の選考委員会委員長野家啓一先生からの選考報告がありました。
 林文月先生はその優れた翻訳で評価されただけでなく、唐代文学が日本平安文学における影響を指摘し、その比較研究の第一人者としても評価されています。
 賞状と記念品、賞金の贈呈が終わった後は、吉田大輔先生と金文京先生のご祝辞がありました。一番印象深かったのは、金文京先生が林先生の訳は中国文学を専攻する人にとって、日本語の原文よりも読みやすいと述べ、その文体が優美で漢文調であると評価し、日本人の方にもお勧めだと仰ったことでした。

 授賞式の後は、林文月先生の御講演でした。
 林先生は、今日が自分一生至福の時だとお話しされ、その生い立ちから『源氏物語』を代表とする平安文学の翻訳に携わる経緯を述べられました。

 日本の租界であった上海に生まれ、十二歳まで日本語教育を受けておられた先生は、終戦に伴い、中国籍になり、台北で中国語教育を受け始められました。
 まだ翻訳ということを意識していなかったその時からも、中国語を日本語に、日本語を中国語にというような、翻訳に近いことをなさっていました。
 大学に入った後は、少年少女向けの読み物を中国語に訳されたことがあります。

 『源氏物語』を翻訳する契機となるのは、「『源氏物語』と長恨歌」と題する論文を『中外文学』に発表された際、「桐壺」の巻を中国語に訳して付けたことからです。
 長恨歌は中国ではよく知られている名作であり、暗誦できる人も多くいますので、その影響を受けた『源氏物語』という日本文学作品の存在が読者の興味を大いに誘い、翻訳してほしいとお願いする手紙が殺到しました。
 当時、仕事と育児を両立させていた林先生は、皆の情熱に感動し、強いてそれを引き受け、五年半の間、一回も欠かずにその翻訳を連載しておられました。

 その後、次から次へと、平安文学を代表する『枕草子』『和泉式部日記』『伊勢物語』を翻訳されました。
 日本文学を中国語訳するもう一つの大きな契機は、京都大学の吉川幸次郎先生のお言葉でした。当時、吉川先生は次のように仰いました。
 「日本の漢学者は、日本で、中国の文学、楚辞、詩経から、水滸伝、紅楼夢まで一応ざっと日本語訳があります。なのに、なぜ中国人は日本の作品を無視しているのでしょう。あまりにも冷淡です。」
 林先生は、今になってもその時の吉川先生の表情が忘れられません。
 また、イギリスで偶然に『枕草子』の英訳を目にしたことも、林先生に大きな刺激を与えました。イギリスですら翻訳されているのに、同じ漢字の国でありながら、未だ中国語訳がないとは、と。

 さらに、林先生は、自分が翻訳している作品が平安女性作家によるものが多いですが、その作品が女性による作品であるがために翻訳したのではなく、日本文学の代表的な傑作であるから翻訳したのだ、と仰いました。
 紫式部、清少納言、和泉式部は同じく平安時代の才媛でありますが、それぞれの文章には個性があります。翻訳に際して、一人一人の個性を体現するために、先生は文体を選んでいます。
 また、仮名文学は漢文学と比べて、丸い感じがあります。その柔らかさを表現するために、言葉を選んでいます。

 古典を翻訳する時、一番難しいことは和歌の翻訳です。
 英訳を参考しつつ、漢訳の時によく使われている七言絶句、五言絶句などのような形を取らず、和歌の構造と意味がよりよく体現できるように、漢の高祖の大風歌の形を倣い、和歌を訳しました。
 その翻訳の工夫を示すために、林先生は桐壺更衣の和歌の英訳、漢訳などをそれぞれ例示し、説明していかれました。

 さらに、読者に背景や知識を備えてもらうために、林先生は手間を惜しまず、多くの注釈を施しました。
 また、当時の状況をわかりやすく伝えるために、『和泉式部日記』『伊勢物語』には、林先生自ら描いた挿絵を入れました。このような工夫を重ねたからこそ、現在のような大作が我々の目に届いたのだと、私は拝聴しながら思いました。

 講演会の後、激動的な気持ちを抑えきれずに、私は林先生にサインをしていただきました。
 親切な対応にすごく感動しました。
 遠い道を辿りましたが、今日のようにご会面できたのは、思いもしないことでした。
 これからも、この感動を忘れず、今日の有難いご講演から学んできたものを研究に生かしていきたいと思っています。
〈庄婕淳 記〉
posted by genjiito at 23:30| Comment(0) | ◎源氏物語
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