2013年09月14日

九条武子と池田亀鑑の写真は昭和2年11月15日撮影と判明

 『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第2集』の379頁に「対談中の池田亀鑑(昭和7年秋頃)」として掲載した写真について、そこに付した私の説明文の推測部分が間違っていました。このことは、「入江たか子の写真へのこだわりを反省」(2013/9/5)でお詫びと訂正をした通りです。

 私のこの推理の誤りを早急に正すために、その後も調べを続けていました。特に『婦人世界』にポイントをしぼっていました。

 そうした折、横溝博氏(東北大学)より再度、決定的な証拠となる雑誌『婦人世界』からの切り抜き2枚を送っていただきました。ありがとうございました。
 
 
 

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 ただし、掲載誌『婦人世界』の年次は不明とのことでした。そこで早速、国立国会図書館へ行き、デジタル化資料とマイクロフイルムで、問題となっている記事の確認をしてきました。

 以下に掲載する写真は、国立国会図書館から「インターネット・ホームページ等掲載許可申請」を経て私個人が許可を受けたものです。これらの写真を引用・転載なさる際には、お気をつけください。

 以下、横溝氏からの情報を手掛かりにして行き着いた結論までの資料と、その記事へのコメントを記していきます。

 九条武子は、明治20年(1887)10月20日生まれで、昭和3年(1928)2月7日に亡くなっています。
 前掲の写真(右)には「九条武子夫人の尊き臨終とその絶筆」との見出しのもとに、「春めぐれども、聖花再び帰り来らず。婦人世界謹みて哀悼の意を表す。」とあります。
 ここから、『婦人世界』の昭和3年3月号に当たりをつけて同誌を探しました。

 予想通り、前掲写真が掲載されていました。
 目次には、左端に枠囲いで次のようにあります。


□地に帰りませし九条武子夫人を悼みて 婦人世界編集部(判読不能)
□法悦の苑生(絶筆)九条武子(判読不能)


 記事の内容は、また後日翻字します。

 いずれにしても、池田家に残されていたアルバムの写真は、この写真と同一のものであることが確定しました。

 さらに遡って『婦人世界』を通覧しました。しかし、昭和3年2月号には特に注意を惹く記事はありませんでした。

 そして昭和3年正月号に至り、まさに探し求めていた写真と記事が掲載されていることに出会えたのです。


□京に於ける九条夫人 グラビア版
 「記者は、十一月十五日九条武子夫人を京都西大谷の御廟所にお訪ねいたしまして、夫人から、文学、宗教、恋愛、結婚、貞操、離婚等に亘つて、赤裸々なご感想を承ってまゐりました。」
□同     その二 グラビア版
 「(左)は夫人が親鸞上人の廟前にて黙祷をさゝげてをられる所。(右)は手水所に立たれて、水の音に聞き入つてをられるところでございます。」
□九条夫人の近影   グラビア版
 「(上)は京都西大谷の廟の前庭を静かに散策せらるる夫人。(中)は西大谷のお宅の奥庭で、心ゆたかに歌を詠まれてゐる夫人。(下)は最近において、結婚後はじめて丸髷に結はれた時の夫人のお姿でございます。」
□同     その二 グラビア版
 「(上)は夫人が記者を、古風な一室に招かれて、詩を語つてゐらるゝところ。(中)は夫人が△△堂前の前庭から、裏門のきざはしを下りてこらるゝところでございます。


 この後半の2つ、「九条夫人の近影 グラビア版」とあるのが、次の写真にあたります。
 
 
 

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 ここにある「九条夫人の近影 グラビア版」が、横溝氏より提供された上掲写真左側のものと一致します。
 そして、「同     その二 グラビア版」の上の写真が、今回問題としているものとまったく同一のものであることが明らかです。

 また、この関連で「九条武子夫人を訪ふて詩と人生を語る……本紙記者」という記事が、この写真に続いて掲載されています。
 
 
 

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 ここで「京都特派記者稿」とあるのは、池田亀鑑が書いた原稿ということです。
 この本文の冒頭は、次のように書き出されています。


 十一月十五日朝九時、記者は九条武子夫人を京都西大谷廟荼所にお訪ねしました。


 これによって、この写真が昭和2年11月15日午前中のものであることが判明したのです。
 この記者池田亀鑑の文章の全文は、後日翻字します。

 さらに頁を繰っていくと、次のような文章に出くわしました。


□九条武子夫人本誌へ毎号随筆執筆
 九条武子夫人は、今後、毎号本誌に随筆を御執筆下さることになりました。令夫人は、昭和の紫式部として、文名高きお方、必ずや皆さまの魂をふるはせるやうな名文が本誌の巻頭をかざることと思ひます。なほ令夫人は今後長篇小説を御執筆の時には、先ず婦人世界におのせ下さることを御約束下さいました。皆様どうかおよろこび下さいませ。又本号にのせてある特別記事「九条武子夫人と詩と人生を語る」は本紙が、わざ/\記者を京都に派して、親しく令夫人の談話をきいてきたものであります。何卒御愛読願ひます。(313頁)


 これによって、池田亀鑑は社命によって京都へ出張して、九条武子とのインタビューを果たしたことになります。そして、この『婦人世界』の正月号が刊行された2ヶ月後に九条武子が亡くなるとは、予想だにしなかったことであることもわかります。

 以上、取り急ぎの報告です。
 これで、私が問題としている写真を「昭和7年秋頃」としたのは間違いで、「昭和2年11月15日」が正しいことになりました。

 そこで、『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第2集』の379頁で「対談中の池田亀鑑(昭和7年秋頃)」としたことと、その説明文は次のように訂正することとします。
 お知り合いの方との話題の1つにしていただけると幸いです。


九条武子にインタビュー中の池田亀鑑(昭和2年11月15日)

 池田亀鑑が『婦人世界』の京都特派記者として、九条武子夫人を京都西大谷の御廟所に訪問し、文学、宗教、恋愛、結婚、貞操、離婚等についてインタビューした時の写真。場所はそこの古風な一室。この時の本写真と取材記事は、『婦人世界』の昭和3年3月号に「九条武子夫人を訪ふて詩と人生を語る……本紙記者」として掲載されている。この取材の3ヶ月後に、九条武子は42歳の若さで亡くなった。


 なお、『婦人世界』に掲載されている記事の詳細は、またの機会とします。
posted by genjiito at 00:59| Comment(0) | □池田亀鑑
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