2013年08月06日

読書雑記(76)清原なつの『千利休』

 清原なつの著『千利休』(本の雑誌社、373頁、2004.11)は、ズッシリと手に重みを感じる本です。それでいて、爽やかな装幀の本です。
 
 
 
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 パラパラと頁を捲ると、中はまんがなので、書店ではすぐに置く方が多いことでしょう。陰影のない線画で描かれているので、シンプルな感じの絵です。しかし、中身は結構濃いのです。

 まんがというよりも、文字の多いコミックと思って見たほうがよさそうです。これも1つの表現法なのです。
 広告のスペースを意識したかのような注は、小事典の趣があります。諸書を博捜して調べた努力の結晶、という読後感を持ちました。一生懸命に調べて書いた報告書、という趣の本です。

 利休が生きた時代を、丹念に描いています。注が多くて、説明に目を通すのが大変です。まんがとして読むと、情報量が半端ではないので、どっと疲れることでしょう。

 本編の中では、お茶の精神と茶道具のことが、何度も繰り返し語られます。そのせいもあってか、茶道の背景がよくわかりました。茶道史や日本文化史のいい勉強になりました。

 ただし、気になったことが散見します。改訂版を出されるときには、以下でとりあげる点に手を入れてほしいと思いました。

 光秀が、信長に出す料理の味付けを京風の薄味にし、不興を買ったことがありました。その時、光秀は急遽濃い味にした逸話が本書にも出ています。
 私は、この話を小さい頃から、父に何度も聞かされました。それが、何と3コマだけでの紹介という、実にサラッとし過ぎです(209頁)。あらかじめ知っていないと、この場面は何が何だかわからないことでしょう。この取り上げ方は、もったいないと思いました。あまりにも摘まみ食いした話題の連続で、ネタが流れていくだけです。それがかえって、読者の記憶に残りにくくしているのです。こうした場面が、至るところで見受けられました。

 利休は、慈鎮の「汚さじと思ふ御法の供すれば 世わたるはしとなるぞかなしき」という歌を、いつも口ずさんでいたそうです。この歌について、「茶の湯を生活の糧に使う事は悔しいことだ」と簡単な訳がついています(270頁)。しかし、読む人にこの歌の意味をわかりやすく伝えるためにも、ここはもうすこし親切な説明がほしいところです。
 こうした説明の過多が、随所で気になりました。

 また、利休の和歌に、変体がなの字母のままで「ミ」や「ハ」が使われています(339頁)。そこまでする必要はどこにあるのでしょうか。本書を読む人は、これは何だろう、と思うだけです。しかも、この字母は国語学的な特別な研究には必要であっても、一般的には意味をもたないものです。
 私は、翻字においてこうした「ミ」や「ハ」は使う必要がない、という考えをもっています。助詞の機能を調査研究する方にだけ必要な字母情報なので、それを混在させるのはよくないと思います。
 下手に変体がなに関する知識をひけらかすことは、この種の本には不似合いです。自分がよく勉強したことを見せたいがために、つい字母のままで表記したとしか思えません。

 また、上記の例で、利休の和歌に濁点がありません(339頁)。これも、古典文学への知識を見せておこうという魂胆が透けて見えて白けました。
 他では古文の引用に濁点を使っています(343頁)。それならば、この慈鎮の歌を引く横に、墨で書かれたものを併置するなりしたら、それらしくさまになったことでしょう。

 最後になって、かろうじて話を感動的に締めくくろうとする努力が、読み進んで来た私に伝わって来ました。
 よく勉強して描いた利休の一代記風のまんが物語となっていました。
 しかし、その勉強した舞台裏がチラチラと垣間見えたのが残念でした。

 完成度は低いながらも、下調べの努力は認められる作品です。
 付録に待庵を付けたのは、いいアイデアだったと思います。【2】
posted by genjiito at 23:14| Comment(0) | ■読書雑記
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