2013年07月28日

展示期間が延長された「いろは歌」を記した土器

 今出川通大宮東入にある京都市考古資料館は、いつでもブラリと入れる場所です。
 
 
 
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 そして、資料の写真撮影を認めている所なので、写真を仲間に見せたりして情報を共有しやすくなっています。これは非常にいいことで、開かれた資料館として高く評価すべきだと思います。海外の博物館などでも、撮影は自由なところが多くなっています。
 
 
 
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 こんなものが出てきたんだよ、と一人でも多くの方々に写真を見せて語れることは、文化財のありようからも意義深いことです。
 日本の文化財は、光に微妙に反応するものが多いので、フラッシュなどの影響を受けやすいものもあります。しかし、すべてを閉め出すことはないと思います。これは、展示側の問題意識によることになります。学芸員の資格を持っている立場から、いろいろと言いたいことはあります。しかし、それはまたいつか。

 まずは2階で、白河天皇陵で発掘された和琴をしばらく見入ってしまいました。ガラスケースの最下段に横長の姿で展示されています。
 これは、鳥羽殿の儀式で用いられたものと思われ、裏板がないことから壊れたために廃棄されたものだとされています。
 
 
 
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 檜の一枚板に6本の弦を張ることができ、尾部に柏葉形の切り込みの装飾があります。長さ151センチ、幅24センチ、高さ7センチの大きさです。『源氏物語』にも出て来る和琴のことを思いながら、贅沢な時間を独占することができました。どのような音色が響きわたり、どのような奏法で演奏されたのでしょうか。

 1階では、お目当ての「いろは歌」が書かれた土器を見ました。

 平安時代前期の西三条大臣・藤原良相(813〜867)の「西三条第」(百花亭)の跡地から見つかった「ひらがな」が書かれた土器のことは、【1-古典文学】「土器に書かれたひらがなをどう読むか」(2012/11/30)で詳細に記しました。

 今回の展示に関する京都新聞の記事を引きます。


いろは歌、最古の「全文」土器の墨書確認 中京・堀河院跡

 京都市埋蔵文化財研究所は27日、平安京にあった堀河院跡(京都市中京区堀川通御池北東)で1983年に発掘した土器の小皿を再調査した結果、平仮名でほぼ全文がそろっている「いろは歌」の墨書を確認した、と発表した。市埋文研によると、平安時代末期(12世紀末)から鎌倉時代初期(13世紀初め)の土器で、ほぼ全文が残るいろは歌では国内最古。当時の都における仮名の基準史料となる。
 市埋文研によると、小皿は土師(はじ)器と呼ばれる素焼きで、直径9センチ、高さ1・5センチ。いろは歌の47文字のうち、皿の欠けた部分が「く」「え」「て」「ゆ」の4文字分あるが、他はほぼ全文書いてある。皿の右端から順番に書かれている。徐々に余白がなくなり、最後の行「ゑひもせす」は右端の余白に戻って書いてある。
 誰の文字かは不明だが、太めの文字でバランスが悪く、市埋文研は、初心者が手習いのために書いた可能性があるとみている。
 小皿は、現在のANAクラウンプラザホテル京都敷地内で、平安京左京三条二坊九町にあたる堀河院跡の井戸から出土した。
 いろは歌は、10世紀末から11世紀中ごろに成立したとされる。いろは歌が書かれた墨書土器では、三重県明和町の斎宮跡から国内最古となる11世紀末〜12世紀初めの土器の一部が昨年に確認されている。今回の土器はほぼ全文が確認できる史料としては唯一となる。
 墨書土器は29日から7月28日まで市考古資料館(上京区)で公開する。(京都新聞、2013年06月27日)

 
 
 
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 上の写真の右側は、赤外線スキャナーによる画像です。
 現在は、次のようなかたちで展示されています。
 
 
 
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 この展示は今日7月28日まででした。しかし、この「いろは歌」が人気で、家族連れが多いことから、8月1日まで展示を延期することになったそうです。

 「いろは歌」は親しみがあるためでしょうか。6月29日の展示初日(土)の来館者は146人。翌日の日曜日が160人。通常の週末は100人ほどなので、いつもの1倍半と人気の展示となっているのです。

 土器に書かれ文字の右上にある「ゑ」などは、皿の口の歪んだ部部とはいえ、どう見ても下手です。ひらがなを書き慣れない人の手になるものと思われます。
 今でも、この「ゑ」を書くのが苦手な方や、学生たちの中には書けないという者まで、ひらがなの中でも「ゐ」と共に悩ましい仮名文字となっています。

 この皿が発掘された堀河院は、平安時代前期の藤原基経の邸宅があったところです。平安時代の中期の藤原兼通の頃には、円融天皇がここを最初の里内裏としています。後期には、堀河天皇が里内裏とし、ここで亡くなっています。
 その後には、中宮篤子、令子内親王、久我通具がここに住んでいました。

 この土器により、平安時代末期から鎌倉時代初期(12C末〜13C初)にかけて書かれた「いろは歌」の現存最古のかな文字の実態がわかりました。かなの字母にも興味深いものがあります。

 この「ひらがな」を見ると、日本語の文字について、あらためて見直すことになります。一人でも多くの方が、この9センチほどの1枚の皿をご覧になったらいいと思います。1000年もの長きにわたって伝えられ、今も日常的に使っているかな文字について、この土器から新鮮な気持ちを感じ取るのもいい機会になることでしょう。

 なお、入口右の特別展示コーナーでは、「平安貴族の住まいと暮らし」という展示もなされています。ここに、昨年公開された「西三条第」の跡地から見つかった「ひらがな」が書かれた土器が展示されています。また、斎宮邸の庭園や出土土器なども、興味を惹きます。
 この展示は、今年の12月1日まで開催されています。

 資料館への入館は無料です。月曜日は休館です。
posted by genjiito at 22:26| Comment(0) | ■古典文学
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