2013年07月11日

読書雑記(71)松下幸之助『続・道をひらく』

 松下幸之助の3部作のうち、第2作目の『続・道をひらく』(PHP研究所、昭和52年)も、読みやすい本でした。
 
 
 
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 第1作目の『道をひらく』(PHP研究所、昭和43年)とは一転し、自然の美しさや日本の良さを、思うままに縦横に語っています。日々この日本に生きる感懐、というべきでしょうか。

 四季の中で、一人もの想う人間として、語り手である松下幸之助がいます。純真な人間です。素直な目で自然を見、社会を見つめています。
 静けさの中に、明日へのエネルギーを蓄えている人間として、一人佇んで語って来ます。

 「春雷」という話には、詩人幸之助がいます。
 

「春雷」

 空が暗くなる。風が吹く。枯葉が舞い、土ぼこりが上がる。何となく不安な心で見上げる空に閃光一せん。思わず歩みをとめ、眼を閉じ、耳をふさぐ。
 安心するがいい。春雷なのである。新たな春を告げる大自然のとどろきなのである。この冬の耐えぬいた寒さは、もう一息。もう一息で水ぬるむ暖かさを迎える。その前ぶれなのである。そしてこれが自然の理であると気づいたとき、人びとはおどろきのなかにも、いそいそ
とした思いに立つ。
 ながい人生。いろんな不安がある。いろんなおどろきがある。閃光一せん、眼のくらむ思いにおろおろするときもある。不安とおどろきに足がすくむときもある。
 しかし、安心するがいい。おろおろしなくてもいい。あなたにとらわれの心がないかぎり、あなたが素直な心でいるかぎり、そして自然の理を見失わないかぎり、そのおどろきも不安も、あなたが耐えに耐えぬいた末の新たな春を告げる前ぶれなのである。いそいそとした思いであってよいのである。
 日本の国にも、いま春雷が遠く近くとどろいているのであろうか。(50頁)


 四季の中で、作者は五感を研ぎ澄ませます。目・耳・鼻・口・手などなど。自然の営みと人間の歩みに思いを重ね合わせて、詩情を語っています。
 自分へのつぶやきを、読む者にも届くように語ってくれています。

 以下に、いくつかの文章を引いて、記録としておきます。
 
 
(1)

「フシの自覚」

 この世の中、人の一生いろんなことがあるもので、何にもなくて平穏無事、そんなことはなかなかに望めない。だから時に嘆息も出ようというものだが、けれどもそのいろんなことのつらなりのなかにも、おのずから何らかのフシというものがあるわけで、何がなしにダラダラといろんなことがつづいていくわけでもない。
 ダラダラとつづいているように思うのは、そのつらなりのなかのフシを見すごしているからで、だから心も改まらなければ姿勢も改まらない。
 大事なことは、このフシを見わけ、自覚し、そのフシブシで思いを新たにすることである。
 これがわかり、これができれば、いろんなことがすべてプラスになり進歩の糧となって、次々と起こることをむしろ歓迎するようにもなるであろう。
 フシは自然に与えられる場合もあるし、自分でつくり出していく場合もある。いずれにしても、とらわれない心でものを見、考え、ふるまうことである。むずかしいことかもしれないが、やっぱりこれがいちばん大事なことではなかろうか。(14頁)


 このフシについては、古来日本人は節句というもので具体的に自覚してきたはずです。女の節句といわれるものが、まさにこれです。しかし、季節感などの喪失により、このフシのあるべき意味も忘れられようとしています。気分を切り替える節目としてのフシの復権は、私にもその重要さが自覚できていますので、これは今後とも広く訴える意義のあるものだと思います。
 
 
(2)

「心静かに」

 一犬影に吠ゆれば万犬声に吠ゆ。何かの気配におびえた一匹の犬が、もののけにつかれた如くけたたましくほえたて始めると、その声におびえた犬たちが、次から次へとほえたててゆく。ついには、何のためにほえているのかわけもわからぬままに、ほかの犬がほえているから、だから自分もほえる。
 そんなこんなで、けたたましいほえ声が、意味もなく町々を走り、野山をかけめぐる。月にほえる一犬は一幅の景になるけれど、いたずらに騒々しい万犬の声には、しばし静かにあれとよびかけたくもなる。
 犬だけではない。お互いのこの世の中、手前勝手な声ごえで、何とはなしに騒々しくなってきた。あちらが勝手ならこちらも勝手。勝手と勝手がぶつかり合って、とにもかくにも大きい声。そんなこんなで無用のまさつが起こり、わけのわからぬかっとうで自他ともに傷つく。
 今こそ心静かに、ほんとうに何が起こり、何が大事で、何をなさねばならないのか、自他ともの真の幸せのために、広く高く深く考え合ってみたい。そんな時なのである。(178頁)


 痛烈な社会風刺となっています。吠える、ということにどんな意味があるのか。意味深長な喩えが提示されています。
 
 
(3)

「成功の連続」

 何ごとにおいても、三べんつづけて成功したら、それはまことに危険である。
 人間の弱さというか、うぬぼれというか、安易感というか、つづけて三度も調子よくいったなら、どうしても自己を過信する。自分は大したものだと思うようになる。そして世間を甘く見る。そこから、取返しのつかない過失を生み出してしまうのである。
 だから本当は、三度に一度は失敗した方がいいようである。他人から見て、たとえそれが失敗だと思われなくても、自分で自分を省みて、やり方によってはもっとよい成果があがったはずだったと考えたら、それはやはり一つの失敗である。失敗とみずから感じなくてはならないのである。
 こうして、三度に一度は失敗するが、そこから新たな自己反省を得て二度は成功する。
 それがくりかえされて、次第次第に向上する。それが本当の成功の連続というものではなかろうか。
 お互いに人間の弱さを持っている。その弱さをどう生かしていくかが大事なのである。


 非常に自己抑制の効いた考え方が示されています。しかし、これくらい堅実に自己を見つめていると、確かに着実に前に進んでいくことでしょう。
 手堅く前に進んでいくための心構えとして、耳を傾ける価値のある話です。

 なお、本書に「妙味」は2箇所にありました。メモとして残しておきます。

(1)

「天与の妙味
(前略)
 対立大いに結構。正反対大いに結構。これも一つの自然の理ではないか。対立あればこそのわれであり、正反対あればこその深味である。妙味である。
 だから、排することに心を労するよりも、これをいかに受け入れ、これといかに調和するかに、心を労したい。そこに、さらに新しい天与の妙味が生まれてくる。日々に新たな道がひらけてくる。(21頁)

 
(2)

 (前略)喜べども有頂天にならず、悲しめどもいたずらに絶望せず、こんな心境のもとに、人それぞれに、それぞれのつとめを、素直に謙虚にそして真剣に果たすならば、そこにまた、人生の妙味も味わえでくるのではなかろうか。(137頁)
posted by genjiito at 22:27| Comment(0) | ■読書雑記
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