2013年07月10日

読書雑記(70)松下幸之助『道をひらく』

 松下幸之助が語ったことばを収録した本で、『道をひらく』(昭和43年)、『続・道をひらく』(昭和52年)、『思うまま』(昭和46年)は3部作と言われています。共に、PHP研究所から刊行されています。

 『道をひらく』と『続・道をひらく』は見開きで読み切り、『思うまま』は左右片側ページで一話です。
 電車内や乗り換えの時間が私の読書タイムなので、この本は非常に読みやすいものでした。

 人生の先達からお話しを伺う、というスタイルの内容です。松下幸之助は、特段にレトリックを凝らしたり、もってまわった言い方はしません。ごく普通の、常識的な話が多いように思います。しかし、そんな話の中にも、さすがは神さま扱いをされるだけあって、なるほどと感心しながら読む項目や行間に、しばしば出会います。

 なお、今回は「新装版」としてビニール装で刊行されている、読みやすい大きさでゆったりとした文字組み、そして読み切り型に整形し、さらには時代に合わないと思われる部分は整理された本で読みました。
 このスタイルの本は、私の手に馴染みやすいことと、コンパクトなサイズなので気に入っています。
 この本専用のブックカバーを特別に作り、折々に持ち歩いて読んでいます。

 電子ブックに馴染めない私は、本の手触りやページをめくる感触を楽しんでいます。読み進んでいるペースや、残りの分量が目で見て手で摘まんで体感できる、そんな本の読み方が好きです。途中で付箋を貼ったり、しおりを挟んでパタンと閉じたり、ある時にはソッと閉じる時の感覚を楽しんでいます。

 さて、本書『道をひらく』には、PHP研究所の機関誌『PHP』の裏表紙に連載された121編が再編集して収録されています。
 
 
 
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 そんな中から、記録として残しておこうと思ったものを、以下に抜き出しておきます。
 
 
(1)

「志を立てよう」

 志を立てよう。本気になって、真剣に志を立てよう。生命をかけるほどの思いで志を立てよう。志を立てれば、事はもはや半ばは達せられたといってよい。
 志を立てるのに、老いも若きもない。そして志あるところ、老いも若きも道は必ずひらけるのである。
 今までのさまざまの道程において、いくたびか志を立て、いくたびか道を見失い、また挫折したこともあったであろう。しかし道がない、道がひらけぬというのは、その志になお弱きものがあったからではなかろうか。つまり、何か事をなしたいというその思いに、いま一つ欠けるところがあったからではなかろうか。(14頁)


 志は、まずは立てるだけで道半ば、という考えに頷きました。それには、年齢は関係ないと。志の挫折は、その弱さが原因だとも。熱意を持てば道がひらける、ということばから、心強さが伝わってきます。
 
 
(2)

「失敗か成功か」

 百の事を行なって、一つだけが成ったとしたら、これははたして失敗か成功か。
 多くの場合、事の成らない九十九に力を落とし、すべてを失敗なりとして、悲観し意欲を失い、再びその事を試みなくなる。こうなれば、まさに失敗である。
 しかし、よく考えれば、百が百とも失敗したのではない。たとえ一つであっても、事が成っているのである。つまり成功しているのである。一つでも成功したかぎりは、他の九十九にも成功の可能性があるということではないか。
 そう考えれば勇気がわく。希望が生まれる。そして、事の成った一つをなおざりにしないで、それを貴重な足がかりとして、自信をもって再び九十九にいどむことができる。
 こうなれば、もはやすべてに成功したも同然。必ずやその思いは達成されるであろう。
 どちらに目を向けるか。一つに希望をもつか、九十九に失望するか。失敗か成功かのわかれめが、こんなところにもある。繁栄への一つの道しるべでもあろう。(124頁)


 成功を見つめることの大切さが説かれています。何かをしたとき、この考え方には勇気がもらえます。
 
 
(3)

「一人の知恵」

(前略)
 わからないことは聞くことである。知らないことはたずねることである。たとえわかっていると思うことでも、もう一度、人にきいてみることである。
 「見ること博ければ迷わず。聴くこと聡ければ惑わず」という古言がある。相手がどんな人であろうと、こちらに謙虚な気持ちがあるならば、思わぬ知恵が与えられる。つまり一人の知恵が二人の知恵になるのである。二人が三人、三人が四人。多ければ多いほどいい。衆知を集めるとは、こんな姿をいうのである。おたがいに、一人の知恵で歩まぬよう心がけたいものである。(139頁)


 独り相撲を戒める気持ちが語られています。聞く、尋ねる、さらにもう一度。そこから「思わぬ知恵」が授けられる、というのです。みんなで考え、みんなで取り組むことの大切さが、よくわかることばです。
 
 
(4)

「おろそかにしない」

 人から何かを命ぜられる。その命ぜられたことをその通りにキチンとやる。そこまではよいけれど、そのやった結果を、命じた人にキチンと報告するかどうか。
 命ぜられた通りにやって、その通りうまくいったのだから、もうそれでよいと考える人。いやたとえ命のままにやったとしても、その結果は一応キチンと報告しなければならない、そうしたら命じた人は安心するだろうと考える人。その何でもない心がけ、ちょっとした心のくばり方のちがいから、両者の間に、信頼感にたいする大きなひらきができてくる。(後略)(160頁)


 結果を報告することの重要さです。それは、相手への思いやりなのです。この心がけが、意外と信頼感に影響していることは、私も何度も経験しました。
 
 
(5)

「体験の上に」

 ここに非常な水泳の名人がいるとする。そしてこの名人から、いかにすれば水泳が上達するかという講義をきくとする。かりに三年間、休まず怠らず、微に人り細にわたって懇切ていねいに講義を受け、水泳の理を教えられ、泳ぎの心がけをきかされる。それでめでたく卒業のゆるしを得たとする。だがはたして、それだけで実際に直ちに泳ぎができるであろうか。
 いかに成績優秀な生徒でも、それだけですぐさま水に放りこまれたらどうなるか。たちまちブクブク疑いなし。講義をきくだけでは泳げないのである。
 やはり実際に、この身体を水につけねばならない。そして涙のこぼれるような不覚の水も飲まねばならない。ときには、死ぬほどの思いもしなければならないであろう。
 そうしてこそ水に浮けるし、泳ぎも身につく。体験の尊さはここにあるわけである。
 教えの手引きは、この体験の上に生かされて、はじめてその光を放つ。単に教えをきくだけで、何事もなしうるような錯覚をつつしみたいと思う。(242頁)


 頭で理解するだけでは、実際には充分ではない、ということを言っています。これも、よくあることながら、しばしば錯覚に陥るものです。「レディネス」という、心の準備、気持ちの準備があるかないかによる習得や習熟の違い、という面はあっても、実際にはよくある勘違いなのです。
 
 
 松下幸之助の文章には、「妙味」ということばがよく出てきます。私は、この使われ方に興味を持っています。
 本書『道をひらく』には、1箇所だけありましたので、最後にこれを引いておきます。その意味については後日考えます。

 

ちがうことをなげくよりも、そのちがうことのなかに無限の妙味を感じたい。無限のゆたかさを感じたい。そして、人それぞれに力をつくし、人それぞれに助け合いたい。(21頁)
posted by genjiito at 22:54| Comment(0) | ■読書雑記
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