2013年05月18日

読書雑記(64)筒井紘一『新島八重の茶事記』

 『新島八重の茶事記』(筒井紘一、2013年1月、小学館)は、非常に興味深い話が書かれています。茶道を始めたばかりの私は、その歴史を特に注意深く読みました。
 
 
 
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 著者は、八重の人生はNHKが『八重の桜』で取り上げるような、会津戦争の明治維新の激動期ではない、と言います。夫を亡くしてからの40数年間に注目すべきだ、と。
 新島八重は、今や大河ドラマを中心として各方面で話題の人です。ただし、それは京都に出るまでが中心の展開のようです。本書では、京都に出て新島襄と結婚した後、襄の死後に茶道に邁進した八重の姿が描かれています。
 八重は、「今日の茶道のあり方を決定づけた一人」だそうです。茶道界は、明治を境にして、男から女へと移っていった、と著者は言います。


江戸時代までの茶道は九分九厘が男性のものだった。茶会では、客として高貴な女性がいただくことはあったかもしれないが、女性が茶を点てることはほとんどなかっただろう。ところが、いまでは逆転して、八割かそれ以上が女性によって占められている。ではなぜ、女性中心の茶道界になったのか。また、それはいつからなのか。この変化のきっかけのひとつが八重の存在だったのである。(26〜27頁)


 八重が裏千家に入門したのは、夫の死後、50歳になってからです。そして、短期間に道を極めたのでした。
 また、明治維新を機に、理解を失った茶道の復興に対する動きも、本書では活写されています。明治初年の、玄々斎と八重が果たした役割は大きかったのです。
 茶の湯に生きた晩年の八重が浮き彫りにされていきます。茶人である筒井氏の目が行き届いているからこそ語られる、茶人八重の姿が立ち現れてくる話となっています。

 八重が開いたとされる女性とお茶の道は、今、働く女性たちによって新しい役割が期待されているそうです。これからの女性とお茶は、これまでの花嫁修業としての茶道をどのように変質させ、意味づけられていくのでしょうか。興味深い問題であり、これからの動向がますます楽しみです。

 巻末資料の略年表で、明治8年に跡見学園に点茶の科目が設けられた、とあるのが目に飛び込んで来ました。
 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の運営メンバーには、跡見学園で神野藤昭夫先生の教え子に当たるみなさんが大活躍しているので、これは私にとっても楽しいネタになります。

 「おわりに」で述べられる以下のことばには、今ある問題を鋭く指摘しておられるように感じました。

近代茶道は、圓能斎と八重の邂逅によって花開いたと言っても過言ではない。しかし、男性のものであった茶道が、女子教育の重要な拠点としての「教え学ぶ茶」になった事で、茶道本来の「する茶」がおろそかになったのも事実である。茶道とは、「教え学ぶ茶」と「する茶」の両輪がうまく回っていくことで全うするものである。近代茶道といっても、特に敗戦後の茶道界が「教え学ぶ茶」をしているのは、利休以来の茶道のあり方としては間違った方向へ進んでいるような気がして仕方がない。今後は両輪が一本の軸を中心にしてうまく回っていくことを願ってやまない。なぜなら、それが八重も望んで果たせなかった茶道の源流に戻ることになるからである。(125頁)
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | ■読書雑記
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