2013年05月15日

京洛逍遥(276)下鴨神社の葵祭-2013

 昨日来、京洛も30度を超える暑い日となっています。
 今年の葵祭は、何かと忙しかったこともあり、行列を見る時間の余裕がありませんでした。ただ、下鴨神社から上賀茂神社へ出発する直前に下鴨本通りで待機していた、藤の花房で飾られた唐車だけは見られました。
 
 
 
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 狭い沿道は、大変な人混みでした。自転車の私は、この道路を渡るのに苦労し、結局は出町の方まで下ってから、どうにか糺の森に入れました。

 今回も、下鴨神社の禰宜の嵯峨井健さんから、懇切丁寧なお話を伺いました。嵯峨井さんは大学の先輩で、先年学位も取得された学者神官とでも言うべき方です。神仏習合に関してお詳しく、いつもいろいろと教えてくださり、得がたい勉強をさせていただいています。

 今日は、本殿に続く拝殿の廊下で、『鴨社古絵図』をもとに下鴨神社の社殿と仏教施設のことを中心にした話から伺いました。仏教は比叡山に関わる天台宗だそうです。ちなみに、上賀茂神社は真言宗との関わりがあるそうです。
 
 
 
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 この『鴨社古絵図』は、平安時代の社頭の景観がよくわかる、室町時代の書写といわれている資料です。原本は、現在は京都国立博物館の所蔵となっています。江戸時代に書写された絵図は、宮内庁書陵部にあります。
 この古絵図については、難波田徹氏が「京博本(旧鴨脚家蔵)賀茂御祖神社絵図について」(糺の森顕彰会編『鴨社古絵図展図録』下鴨神社社務所、1985年)で詳しく述べておられます。

 私は、この絵図の左上にある、写真でちょうど嵯峨井さんが指さしておられる「賀茂斎院御所」に興味があります。ここは、応仁文明の乱の折に、兵火で焼失したようです。かつては葵祭の時に、斎院が使った御所で、今は大炊殿や葵の庭が復元されている場所です。歌会など、斎院の文学サロンになっていたと思われます。

 お話を伺っていた時、ドラマ平清盛で崇徳院役を演じられた俳優の井浦新さんが横を通られました。今年の広報誌『平成二十五年 葵祭』にエッセイが掲載されていることから、お詣りされたようです。

 本殿前で、嵯峨井さんがご奉仕なさる姿を拝見することができました。
 
 
 
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 嵯峨井さんの祝詞は、初めて拝聴しました。格調高くわかりやすい発声で、周りが清められるのが実感できました。後で聞くと、自分が発声しやすい調子で、しかも即興だとのことでした。確かに祝詞は一回きりのものなので、紙を見ながら決まり切った文言を読み上げる、というものではありません。
 また、特に決められた抑揚があるわけではなく、ただ一本調子で言挙げするのが基本だとか。声明などの独特の調子はないのです。何か流派でもあるのでは、と思っていたので意外でした。日本の神さまは、本当に平明なのです。

 本殿を間近に見るのも初めてです。
 
 
 
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 平成27年4月27日に、第34回目の式年遷宮が行われます。そのため、今年は仮遷宮が3月20日に斎行されました。写真正面は、賀茂玉依媛を祀る東本殿です。この左側には、玉依媛命の父親である賀茂健角身命を祀る西本殿があります。先ほど嵯峨井さんは、この東西本殿の真ん中の空間に向かって、左右の祭神に祝詞をあげられたのです。
 キリスト教のマリアさまの夫といい、この玉依媛命の夫といい、この父親の存在が曖昧であることには、興味深いものがあります。

 東本殿の右側に、白木の殿舎があります。これは、今春、御魂を東本殿から遷された仮本宮で、本殿の3分の1の大きさの柿葺の社殿です。式年遷宮までの2年間は、この下鴨神社では東西の仮本宮でご祭神がお祀りされるのです。私は、伊勢神宮のように隣に別の敷地があって、そこに遷されたとばかり思っていました。意外とすぐ後ろにあり、びっくりしました。

 本殿前に鎮座する狛犬の話も、興味深く伺いました。向かって右が獅子で、左が狛犬です。外からは見えませんが、中にはさらに二組の獅子と狛犬がいるそうです。特に一番奥にあるものは、小さくて可愛いのだそうです。拝見したくても、我々には見ることのできないものです。また、本殿の内部は、御所の清涼殿に似ているとも。このことは、後日にでも確認します。

 インドのネルー大学から京都大学大学院に国費留学生として来ているアルチャナさんも一緒にいたので、嵯峨井さんはインドのことを尋ねておられました。アルチャナさんの話では、インドでは西から東に向かってお祈りするのだそうです。日本の神社では、北に向かってお祈りをします。方角に関して、民族と宗教の間にある違いは、さまざまなことを教えてくれます。
 また、北枕は日本と同じように避けられているとのことです。
 狛犬はインドにはないにしても、ヒンドゥーの神さまの前には、ガネーシャという動物の象や、ハヌマーンという猿などがいます。宗教と動物の取り合わせも、おもしろいことがありそうです。

 帰りがけに、「よる瓮の水」という表示板を見かけました。
 
 
 
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 これは、境内からは何かあることが見えても、この標識に何が書かれているのか、また何なのかがわからないものです。
 「Yahoo!ブログ・三日月の館 2」の「下鴨神社 その4」には、次のような紹介文と写真が掲載されています。

奥に「よる盆(べ)の水」と読める説明板が建っているが、社殿に向いているので通常の参拝者は読めない。

 
 
 
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 私も、特に気に留めていませんでした。しかし、今日初めてよく見ると、何と『源氏物語』に関する説明が記されていたのです。これは、紹介しないわけにはいかないので、以下に翻字しておきます。

よる瓮(べ)の水
「源氏物語」幻の巻、賀茂祭
(葵祭)の日の条に、光源氏の歌とし
て詠まれている御神水。
 さもこそは よるべの水に 水草の
  けふのかざしよ 名さへ忘るる
 歌の意味
いかにも、御神前の「よる瓮の水」
に水草が生えている。御祭の挿頭
の葵の名さえ忘れかけている。
 「よる瓮の水」について
古代から水の神として信仰の厚い
玉依媛命(御本宮東殿の御祭神)の
御神霊が寄せられた御神水。

 ただし、この説明の文章を読み、何か胸騒ぎがしたので、先ほど調べてみました。それは、「さもこそは〜」という歌の第3句「水草の」に関してです。
 手元の『新編日本古典文学全集 源氏物語4』(小学館)では、「水草ゐめ」という本文を示し、「水草が生え」と訳しています(538頁)。さらに私が蓄積している古写本の翻字資料のデータベースを検索しても、「水草の」とする本文は一つもないのです。
 この説明が何によってなされたのか、機会を改めて調べてみたいと思います。

 また、なぜここに『源氏物語』を引いて、この手水の説明をしているか、ということについても疑問を持ちました。すると、上賀茂神社に関して、ネット上に以下の解説があることに行き着きました。


寄辺水(よるべのみず)
楼門の右手前にある片山御子社(片岡社ともいう。祭神玉依媛命)の背後にある片岡の森にあったという。『莵芸泥赴』に「片岡の後に寄辺の水あり。むかし井ありて三世の影を写すゆえ衆人集まりて群をなせり。よりて井を封じて終に埋れて今の世にその所を知る人まれなり」とある。片岡の森は京の都でも有名な森で、『枕草子』にも「森は片岡」とある。また、紫式部も「賀茂に詣でで侍りけるに、人のほととぎす鳴かんと申しけるあけぼの片岡の精おかしく見え侍ければ、ほととぎす声まつほどは片岡のもりのしずくに立ちやぬれまし〞(新古今和歌集)」とこの森の素晴らしさを歌に詠んでいる。(HP「京都歩く不思議事典」より「上賀茂神社の不思議」の項、http://www.eonet.ne.jp/~kyoto-fushigi/sub1.html
 
 
「社の後ろにかつて、「よるべの水」をたたえた甕三個があったというが、天正年間(1573-1593)に地下に埋められたという。」(HP「京都寺社案内」より「上賀茂神社」の項、http://everkyoto.web.fc2.com/report1.html


 とにかく、今はここまでにしておきます。また何かわかれば、報告します。

 帰りに、嵯峨井さんから教えていただいた、平安期の流路とされる小川を見ました。ここは、関白賀茂詣での場所でもあったのでは、とのことでした。
 いろいろと楽しい発見の多い葵祭となりました。
 嵯峨井さん、長時間お話をしていただき、ありがとうございました。
 ますますのご活躍をお祈りしています。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◎京洛逍遥
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