2013年05月11日

京都で『十帖源氏』を読む(第2回)

 少し肌寒い小雨の中、ワックジャパンの町家の2階で『十帖源氏』を読む会がありました。
 今日は、帝塚山大学の清水婦久子先生と同志社大学の岩坪健先生がお出でくださいました。
 それに加えて、中国からの留学生である庄さんも、2種類の中国語訳『源氏物語』を見比べながら、参考となる意見をたくさん出してもらいました。
 ワックジャパンが居心地のいいところでもあり、とにかく、刺激的な意見が飛び交い、楽しい2時間があっと言う間に過ぎました。

 今日は、前回に続き第2回目で、「須磨」巻を読み進めました。
 「里はなれすごくて」という現代語訳で、いろいろな意見がでました。
 担当者は「里からはなれてさびれた様子で」と訳していました。しかし、「里」をどうするかに始まり、「人も住んでいなくて〜」としても後とうまくつながらないことから、結局は「今はさびしくなって」となりました。

 「おもひのつま」というところでは、担当者は「物思いの種」と訳しました。ここは、「悩みの原因」とか「苦労の元」などの候補を経て、中国語訳を参考にして「心の負担」という訳を採用することになりました。
 同じように、「心をくだき」というところも、「心を痛める」という訳を提示されていたところを、「心配する」として、わかりやすい現代語訳に仕上がりました。

 いろいろな分野からの意見や、多彩な立場からのひらめきが、海外の方々のためにこうした現代語訳を作り上げる過程では、非常に大切であることがわかります。
 今後とも、多方面の方々の参加を募りたいとの思いを、あらためて強く持ちました。

 「鏡台」という語句も、おもしろい話題に展開しました。
 確かに、今では鏡台が家庭からなくなりました。我が家でも、母が亡くなったときに鏡台を処分したことを思い出しました。日本の家具から鏡台は消えているのです。現代の家庭では、洗面所やクローゼットの中に鏡はあるものです。
 アーサー・ウェイリーはドレッサーと英訳しているそうです。
 そうであっても、古語としての鏡台はあり、『源氏物語』に何カ所も出てきます。置き換えに窮するものです。ということで、ここはこのまま「鏡台」と訳しておくことになりました。

 「紫の上一め見おこせて泣き給へり」の「一め」は、「ジッと見る」と「チラリと見る」という、二つの理解が可能です。『源氏物語』の原文とは、ダイジェスト化にともなって変わっている表現でもあります。
 ここをどうするか、ということにも時間をかけました。結局、「ひと目見て」に落ち着きました。

 海外の方が、自国のことばに翻訳なさる上で参考になるような現代語訳を、こうして作っています。『源氏物語』は、現在は31種類の言語に翻訳されています。そのことを考え、多くの国々の方々に参考にしていただくための現代日本語訳を、ああでもない、こうでもない、と四苦八苦しながら、よりわかりやすく滑らかで自然な日本語表現をめざしているのです。気長に続けていきたいと思っています。

 次回の京都での『十帖源氏』を読む会は、6月15日(土)午後3時から、今日と同じくワックジャパンでおこないます。場所は、地下鉄烏丸線の丸太町駅から東へすぐのところです。
 参加してみようとお思いの方は、この記事のコメント欄を利用していただくか、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページを通して事務局(npo.gem.info@icloud.com)にメールで連絡をいただければ、折り返し具体的な連絡をさしあげます。
posted by genjiito at 22:00| Comment(0) | ◎NPO活動
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