2013年01月23日

井上靖卒読(156)『河岸に立ちて』

 本書は、井上靖が世界中の川を経巡り、その川の流れを記録として書き残したものです。淡々と語る中に、単なる水の流れではない川が持つ特殊性が、余すところなく語られています。というよりも、井上靖の川に対する温かい眼差しが、時と歴史と文化を超えたものとして、川の姿に語らせています。
 
 
 
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 歴史を背負った川、沙漠の中に消えていく川などなど、黄河に始まりアムール川までの51の川が取り上げられています。さらには、井上靖自身が撮影した川のカラー写真が45枚も収録されています。読んで、そして見て、楽しい随想集となっています。

 水の流れを見つめながら、井上靖はさまざまな思いを抱き、呟きます。世界中の川に佇み、時間と空間を往き来しながら、思考する姿を見せてくれます。

 『天平の甍』を執筆していた時は、日中国交正常化以前だったため、揚州の町に立つことができなかったそうです。執筆後8年して行っています。

 韓国の漢江は、『風濤』の取材で行ったところでした。ただし、江華島から望む漢江には、その苦難の歴史を思い、心中複雑だったと記しています。シベリアのレナ河は、『おろしや国酔夢譚』を執筆していた時には見ていなかったそうです。

 敦煌から奥の西域南道は、井上が勝手知ったる地域です。何度も訪れ、さまざまな作品の舞台になっているところです。それだけ、語り口に愛惜の思いが滲んでいます。タクラマカン沙漠を伏流する川には、気の遠くなるような空間と時間が流れています。さらには、川の流れが変わることによって、自然界も人間界も大きな変化が生まれることも、ここから知られます。

 悠久を旅する井上の名ガイドを聞く思いです。
 井上は、中国の川を「天涯から来、天涯へ消えている」と、何度も表現しています。

 インダス、ユーフラテス、ナイル川は、みんな井上に時間の流れを実感させています。この文明発生の川は、今も生きているからです。

 エジプトでは、月光の中のカルナック神殿、月光に照らし出されたナイル川を見たいと言っています。これは私も、いつか果たしたいと思っているところです。

 エベレストの麓、ドウトコシを流れる川の話は、私が大好きで何度も読んでいる『星と祭』で詳しく語られているものです。エベレストに満月を見に行く時の話に出てくる川です。小説では、一点景であったも、こうして取り上げられると、その場面が思い浮かびいいものです。あまり何度も読んだ小説なので、ナムチェバザールという所は、あたかも自分も行った所であるかのような錯覚に陥ります。

 「川が置かれている」という表現が何度も出てきます。流れている様を、一筋のものが置かれていると表現するところに、長い川の流れが視覚的に止まって映し出されているのです。

 水が流れる川について、こんなにたくさん語る本は少ないのではないでしょうか。かと言って、情に流れた紹介に終わっていないところが、この一連の文章が織りなすすばらしいところです。
 私も、これまでに行った川を集めて、写真をもとにして語りたくなりました。【3】
 
 
連載誌:『太陽』昭和56年〜60年
単行本:平凡社・昭和61年2月
文庫本:新潮文庫・平成元年2月
posted by genjiito at 00:16| Comment(0) | □井上卒読
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