2013年01月05日

王朝文学研究会創立50周年記念祝賀会

 京都ほどではないにしても、東京も寒い一日でした。
 そんな中、午後は標記の祝賀会に出席しました。

 國學院大學での恩師小林茂美先生がお作りになった王朝文学研究会が、今年で50周年という記念の年を迎えました。先生は3年半前にお亡くなりになりました。しかし、その意志を継ぐ研究会のOBや現役会員たちが、記念の祝賀会を催すことになったのです。
 この会は、私の10年後輩にあたる秋澤亙君(國學院大學教授)が受け継ぎ、今は第二期王朝文学研究会として、たくさんの学生に支えられて活発に活動を続けています。

 祝賀会の場所は、國學院大學の若木タワー18階にある有栖川宮記念ホールです。
 大きなガラス窓から外に目をやると、この研究会で勉強していた40年前と同じように、東京タワーを望むことができます。遅くまで小林先生の研究室で資料作りや議論をしていて、ふと窓を見ると東京タワーがライトアップされていて、そのシルエットが印象的だったことを、昨日のことのように思い出されます。違うのは、こんなにたくさんの高層ビルが建ち並んではいなかったことでしょうか。
 
 
 
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 今回の祝賀会にも、若手がたくさん参加していました。参加者は100人近くいました。名簿を見ても、私は前の方の世代となってしまいました。それが証拠に、乾杯の音頭をとらされたのですから。

 日本の古典文学の勉強をしようとする若者が激減している昨今、こんなに人が集まるとは凄いことです。しかも、『源氏物語』を中心とした「王朝文学」に興味を持つ関係者なのです。一人でも多くの人が、日本の文化としての古典文学を、折々に語り伝えていってほしいものです。

 この会では、設立10年目にして『しのぶ草』という会誌を創刊しました。私が幹事をしていた時代で、編集に悪戦苦闘しました。今回の祝賀会の後には、『しのぶ草 創立五十周年記念号』が刊行される予定となっています。

 『しのぶ草 第十号』(國學院大學王朝文学研究会編、昭和60年2月)に、創刊号を発行した当時のことを振り返った拙文を寄せていました。その原稿が再現できましたので、記録として以下に引用しておきます。実は、この創刊号は妻との二人三脚のたまものでもあるのです。


 
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創刊十周年を記念して
  志能風草十年の歩み
 
「創刊号『志能風草』の装釘」   伊藤鉄也
 
 
 王朝文学研究会の会誌『志能風草』を創刊するにあたっては、その内容・構成はもとより、それ以上に頭を悩ませたのは、その装釘であった。
 創刊号の発行日が、昭和四十八年七月四日になっているので、その数週間前であったろうか。渋谷の東急東横店の文具売場で様々な紙を選った挙句に、漸く決めた表紙に使う紙は、紫色の「ミューズコットン」であった。中身のメドがほぼついていた段階であっただけに、それを包む体裁には神経を使った。
 袋綴(和装・和綴)にしようということは、早くから決っていた。しかし、その表紙・題箋・綴じ方の形態はというと、色々な形が想定された。立派なものも考えた。しかし、印刷・紙折・ページ合わせ・仮綴という、初めての慣れない作業に忙殺されていた時である。装釘に凝って多くの時間と要らぬ混乱を招くのは避け、とにかくあまり手数がかからず、それでいてハイセンスなものを求めることにした。
 そこで思いついたのは、室町時代に盛んに作られた「くるみ表紙」の変形のそのまた変形とでも書うぺ巻ものである。つまり、下綴じした冊子の背を一枚の紙で包み、それを二枚の表紙ではさむようにして貼り付けた、室町期の『新古今和歌集』の体裁を借りることにした。但し、和紙ではなくてあくまでも西洋紙を用いての製本であるために、それでは背がすぐに割れてしうように思えた。そこで、創刊号では先に表紙を貼り付け、その上から背を包み込むように覆うという形をとった。今、手許にあるものを取りだして見ても、見栄えはしないが、その背は丈夫なもので、未だに裂け目は入っていない。
 とにかく、手早く丈夫な表紙を付けることができた。次は、書名としての外題である。最初は、表紙に直接書き付ける〈打ちつけ書き〉で済まそうと思っていた。しかし、当時の最上級生であった深井(菅谷)邦子さんが、和紙に一枚一枚、題箋としての〈書き外趣〉を書いて下さった。この〈貼り外題〉が、創刊号の装釘に花を添えることになった。
 題菱を表紙中央に貼り、その右上には打ちつけ書きで「創刊号」、左下には「王朝文学研究会」と筆で記した。二条家の流儀でいえば、題箋を中央に貼った場合には、偶数ページから本文を書き出すのが習わしのようだが、冷泉家などはそういうことには拘っていない。あまり細かい事はともかく、気品の高さを表紙に持たせ得たと思っている。
 この装釘が、「四つ目綴」(明朝綴・四針眼訂法)になったのは、第二号からである。当時、外部から研究室に出入りしていた坂口伸憲君が、その製本法を教えてくれた。現在に至るまで、この第二号のやりかたが踏襲されていることになるのである。尤も、時々表紙に使われている「ミューズコットン」が裏表逆になったものを戴く。紙の裏裏の判別は難しいものである。
 王朝文学研究会が発足してから、丁度十年目に会誌が創刊された。それが今、会誌「志能風草」の第十号を迎えたとのこと。よくぞ十号、やっと十号、とにかく十号。感慨深いものを感じる。どうか、これからもこの会誌の刊行を継続し、この会誌を発行することを通じて、色々な事を学んでいってもらいたいと思う。そして、若い人々の物の見方を、これからも学ばせていただきたいと思う。(昭和六十年二月十五日 記)


 昔の仲間と40年を振り返りながら、楽しいひとときを過ごしました。
 そんな中で、現在の文学部1年生数人と話をする機会がありました。彼らは19歳で、125期生だそうです。私は83期生なので、42年もの時の隔たりがあります。とにかく、コツコツと勉強を続けてくれることを願うばかりです。しかも、1年生が13人もいました。頼もしい限りです。

 4年生も13人いて、その内3人が今春より大学院へ入学するとのことです。ここでは、平安時代の文学研究は当分は安泰(?)と言っていいかもしれません。その3人と話をしました。みんな、『源氏物語』を取り上げて研究をしているのです。すばらしい成果を見せてくれることでしょう。ますます楽しみが増えました。

 前を向き夢を語る若者と話をすると、こちらも新鮮な力をもらったような気持ちになります。
 新年早々、英気を養ういい機会となりました。
posted by genjiito at 23:13| Comment(0) | *回想追憶
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