2012年12月20日

「京都漱石の會」の会報を通読して

 「京都漱石の會」の会報『虞美人草』(第10号、2012年10月27日)を手にし、A4版24頁の冊子を興味深く一気に通読しました。夏目漱石は私にとっては異分野の作家です。しかし、そのほとんどの作品を読んだ記憶があるので、つい読み耽ってしまいました。

 まずは、目次をあげます。


巻頭 『野分』と『虞美人草』……久保田淳
高瀬川幻想……杉田博明
漱石と萬福寺と落語と……水川隆夫
子規と漱石、そして京都のぜんざい……末延芳晴
Album オレゴンのソーセキ(8歳) 茶会に
オレゴン大学から……平岡敏夫
思い出あれこれ……森成元
二つ年上の……蔭山淳
陽子先生を「偲ぶ会」とお茶席のこと……中山久美子
Album オレゴン・メモリアル 茶会
漱石詩C 消えぬ過去……平岡敏夫
学生と歩く"漱石の〈京都〉"……佐藤良太
用式の美 様式の美……岩原正吉
菫山児……野網摩利子
コラム 平澤美喜 高橋芙美子 広瀬勤 桂美千代
二つのメモリアル……丹治伊津子
Album パリから里帰り……関健一
○来信 ○編集局だより


 これは、茶道家である丹治伊津子さんが会の会長をなさり、編集しておられる会報です。幅広い方々からの寄稿をもとに、大変読みやすく編集されています。私などの門外漢でも、そのすべての記事に目をとおしたのですから、近代文学に特に興味をお持ちの方はなおさらでしょう。漱石とその周辺の人々の動きや、いろいろなエピソードは、非常に有益でした。

 末延芳晴氏の文章(5頁)に、漱石の「京に着ける夕」の一節が引用されています。


 はじめて京都に来たのは十五六年の昔である。その時は正岡子規といっしょであつた。麸屋町の柊屋とかいう家に着いて、子規と共に京都の夜を見物に出たとき、はじめて余の目に映つたのは、この赤いぜんざいの大提灯である。この大提灯を見て、余は何故かこれが京都だなと感じたぎり、明治四十年の今日に至るまで決して動かない。ぜんざいは京都で、京都はぜんざいであるとは余が当時受けた第一印象でまた最後の印象である。


 今、「京都」と「ぜんざい」というイメージの連関はないと思われます。漱石がこう言ったのは、どのようなところからなのでしょうか。
 ネットという便利なものがあるので、「京都・ぜんざい・夏目漱石」で検索したところ、『虞美人草』の中で、延暦寺西塔の転法輪堂(釈迦堂)を目指す場面にこんな文章があるようです。

善哉善哉、われ汝を待つ事ここに久しだ。全体何をぐずぐずしていたのだ


 しかし、どうもこれは今探し求めているものとは違うように思われます。
 〈京都とぜんざい〉については、今後の楽しみにしておきます。

 「Album 漱石のヤシャゴ オレゴンのソーセキ(8歳) 茶会に」という頁にも興味を持ちました。

 そもそも、この冊子を読むことになったのは、同僚の野網摩利子さんがこの会報に「菫山児」と題して寄稿をしておられ、こんなことを書きました、と言って私にくださったことが発端です。
 漱石と子規の二人には、呉梅村の漢詩「菫山児」が共有されていたようで、網野さんの文章からは、短いながらしっかりとした問題意識が伝わってくるものでした。

 この野網さんの文章を読んでから、つい巻頭の久保田先生に始まり編集後記までを読んだしだいです。読まされた、と言うのが正確です。私にとって、新鮮な内容でした。

 しかも、偶然とはいえ、会長で編集者の丹治さんは、裏千家茶道では著名な茶人。ネットでのハンドルネームは「椿わびすけさん」として知られているようです。
 そのご著書である『夏目漱石の京都』(翰林書房、2011.1)も、機会を得て読んでみたいと思っています。

 こうした側面から京都を見る方々がいらっしゃることに、いい刺激をいただくことになりました。
posted by genjiito at 22:34| Comment(0) | ■読書雑記
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