2012年08月31日

空転国会の暇つぶしで決まった「古典の日」の条文は空疎な文字列

 8月29日の第180回通常国会参議院本会議で、11月1日を「古典の日」と定める法律が可決され成立しました。
 これは、24日に衆議院本会議で可決された後、参議院に送られて採決されたものです。
 多くの方々が期待されていたようですが、残念ながら祝日ではありません。しかし、日本の文化を守るための、ささやかながらも第一歩だとは言えるでしょう。

 いまや大学でも一番人気のない「文学」。しかも「文学」の中でも「古典」となると、みなさん敬して遠ざけられるのもいたしかたなし、というのが現実です。残念ですが、実際には就職に直結しないことですので。

 そのような風潮の中で、よくぞ成立したものだと思います。人々の潜在意識の中にあった危惧が、こうしたことに反応したのでではないか、とも思われます。
 また、国会が空転していたからこそ、暇つぶしと言っては何ですが、何か一つでも罪滅ぼしに良さそうなことをしておきたい、という国会議員のささやかな良心のかけらが、幸運にも作用したのだろうと、私は邪推しています。
 とにかく今は、よかったよかった、と一応はしておきましょう。

 もっとも、この法律の条文のいいかげんさに気付かれた方がいらっしゃいます。京都市芸術文化協会理事長の村井康彦先生は、国会議員の気まぐれなお遊びという一面を見抜いておられるようです。こうした思いは、私だけではなかったことを知り、やはり、という気持ちでいます。


村井 (前略)可決された法律の条文は、法律制定の背景や経緯が完全に捨象されている。源氏物語千年紀を経て、古典を大事にしなくてはと機運が盛り上がった中で制定する、といった前文でもあればいいが、「文化の日」の条文といっても通用するような内容。これでは、「古典の日」に皆で古典を鑑賞する機会を増やしましょう、というだけ。法制化は喜ぶべきですが、今後の運用をきちんと考えていかなければ。(京都新聞、2012年8月30日、「対談 「古典の日」法成立」)

 これは、冷泉貴美子さんとの対談の中での発言です。

 採決に付された条文本体を引用してみます。冒頭の「案」と末尾の「理由」以下を削除したものが、今回可決された条文となります。
 

古典の日に関する法律
 (目的)
第一条 この法律は、古典が、我が国の文化において重要な位置を占め、優れた価値を有していることに鑑み、古典の日を設けること等により、様々な場において、国民が古典に親しむことを促し、その心のよりどころとして古典を広く根づかせ、もって心豊かな国民生活及び文化的で活力ある社会の実現に寄与することを目的とする。
 (定義)
第二条 この法律において「古典」とは、文学、音楽、美術、演劇、伝統芸能、演芸、生活文化その他の文化芸術、学術又は思想の分野における古来の文化的所産であって、我が国において創造され、又は継承され、国民に多くの恵沢をもたらすものとして、優れた価値を有すると認められるに至ったものをいう。
 (古典の日)
第三条 国民の間に広く古典についての関心と理解を深めるようにするため、古典の日を設ける。
2 古典の日は、十一月一日とする。
3 国及び地方公共団体は、古典の日には、その趣旨にふさわしい行事が実施されるよう努めるものとする。
4 国及び地方公共団体は、前項に規定するもののほか、家庭、学校、職場、地域その他の様々な場において、国民が古典に親しむことができるよう、古典に関する学習及び古典を活用した教育の機会の整備、古典に関する調査研究の推進及びその成果の普及その他の必要な施策を講ずるよう努めるものとする。
   附 則
 この法律は、公布の日から施行する。

  理 由
 古典が、我が国の文化において重要な位置を占め、優れた価値を有していることに鑑み、様々な場において、国民が古典に親しむことを促し、その心のよりどころとして古典を広く根づかせるため、古典の日を設けること等の必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。


 
 「古典の日」については、源氏物語千年紀に当たる平成20年(2008年)11月1日に、源氏物語千年紀委員会が高らかに宣言しました。
 この日のことは、私もブログ「源氏千年(69)「古典の日」宣言を両陛下の前で」(2008年11月 1日)で詳しく書きました。その宣言文の「一九三〇年代に英訳されて以来、近年では二十余の外国語に翻訳されて、世界各地の人々に愛読され、感銘を与えている。」という箇所が不正確であることを、その日のブログでは問題にしていますが、このことは今は措きます。

 今回の「古典の日に関する法律」の文章では、村井先生がおっしゃるように、その契機となった『源氏物語』のことについて、何事もなかったかのように、まったく触れていません。不思議な話です。
 事務官が作文したものを、日本語の運用能力と理解力に欠ける国会議員有志の集まりとされる〈「古典の日」推進議員連盟〉が、よくそこに表現されている内容を理解できないままに法案として提出し、審議され、成立したもののようです。これまた、日本人の一人として恥ずべき事の一つだと思っています。国会が空転していたからこそ、その文案の検討が疎かになったとしか言いようがありません。

 この法案成立について、源氏物語千年紀委員会を引き継いだ古典の日推進委員会会長のコメントを拝見しました(「古典の日絵巻[制定記念臨時増刊号]」(平成24年8月29日))。
 そこには、裏千家前家元や瀬戸内寂聴さんのメッセージも掲載されています。共に、それが源氏物語千年紀から生まれたものであることを認識しながらも、その『源氏物語』から一挙に「古典」に拡大されたことにより、村井先生が指摘されるそれまでの経緯が切り捨てられていることに思いが及んでいません。なんとも、よかったよかったに終始する、脳天気なメッセージとなっています。

 裏千家の前お家元に直訴します。お家元は、本当にこの条文に満足しておられますか?
 提灯メッセージを送られたことに、私は失望しています。この条文を、しっかりとお読みになったのでしょうか。法律が制定されたという現実だけを慶んでおられる、としか思えません。

 つまり、この条文では、京都市を中心としたこれまでの努力の積み重ねが切り捨てられ、足下を掬われた形であることに、あまり気付いておられないようです。
 こんな日本語のセンスでいいのでしょうか。ことばに対して、こんなに鈍感でいいのでしょうか。

 特に、源氏物語千年紀委員会と古典の日推進委員会は、2008年を中心として獅子奮迅の活躍をなさいました。京都府も、京都市も、このことに注いだ労力は絶大です。それが、こうした古典一般に押し広げられ、その発想の母体すら消されてしまった事に対して、1日も早く気付かれるべきです。広い気持ち、などというきれいごとではなくて、正しく評価されるべきことなので、そこはしっかりと条文に明記されるべき事柄です。

 さらには、この条文の冒頭において、「国民が古典に親しむことを促し、その心のよりどころとして古典を広く根づかせ、」とある文言に違和感を覚えます。

 この赤字で示した「促し」と「根づかせ」は、具体的には誰が国民にそう強いるものでしょうか。これは、国民に対して無礼な物言いだと、私は思います。
 この文章を作成した事務官の方に解説をしてもらいたいと思います。〈「古典の日」推進議員連盟〉の方々には理解の及ばない日本語の表現だと思えますので。サッと見て問題なしとして通過した文章なのでしょう。
 あまりにも中身のない、軽薄な条文なので、ガッカリしています。

 〈「古典の日」推進全国会議〉のメンバーの中には、恩師である伊井春樹先生も推薦人として名を連ねていらっしゃいます。果たして、このメンバーは、この条文の最終版を事前にご覧になったのでしょうか。そうであれば、こんな低レベルな駄文がまかり通るはずがありません。どうも疑問が残ります。

 私は、この「古典の日」の制定には賛成します。しかし、この条文の酷さには承服しがたいものがあります。あまりにもことばが上滑りした日本語だからです。そして、人間がその背景にいない、辞書的な意味しかない空疎な日本語の条文だからです。

 私は、法律の何たるかは、よく知りません。所詮は、法律の条文なのでしょう。法律のための日本語は、こんなものかもしれません。しかし、です……

 とにかく、この「古典の日」の制定までの歩みは、源氏物語千年紀と連動していました。
 そうであるからこそ、2008年11月1日に、国立京都国際会館で開催された「源氏物語千年紀記念式典」に天皇、皇后両陛下もご出席になり、その同じ壇上で女優の柴本幸さんが十二単姿で「古典の日」宣言を読み上げたのは、本当に意義深いものだったのです。こうした京都での動きを、自分なりに追体験もしてきたつもりです。ところが、それと今回の「古典の日」の条文が、あまりにも乖離しているのです。

 「古典の日に関する法律」の日本語による字句は、容易に受け入れがたい、まったく重みの感じられない、単なる漢字と仮名の文字列で構成された日本語文にしか、私には思えません。

 こんな愚かなことを平気でする国会議員と称する無能な一群に、私が納入している税金の一部が使われているのです。
 勿体ない極みです。無駄遣いの極みです。
posted by genjiito at 23:39| Comment(0) | ■古典文学
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