2012年07月06日

授業(12)国際文化交流と翻訳史

 海外の方々と一緒に話し合いの場を持つことは、文化交流の一つとして重要なことです。ただし、そこには配慮すべき大切な要素がたくさんあります。とにかく、お互いの文化の良さを理解し合う基盤が必要です。
 相手が持っている文化の良さを知ろうとし、自分の国の文化の良さを知ってもらおうと努力する中から生まれる交流を、今後とも大事にしたいものです。

 日本はアメリカ流の文化に染まっていて、その目で世界各国の、それも異文化圏の方々と話をすると、どうも話が通じないことがあるのはなぜか、ということについて、私見を述べました。

 気をつけなければいけないこととして、無意識のうちにアメリカ流が世界標準になっているかのように思いこんでいて、そうしたことに馴染まない異質なものを、遅れた考えとして切り捨てていないか、ということがあります。一緒に日本から海外に行った方々や学生さんの反応に、そうしたことが見受けられます。

 さらには、日本語で対話するときに意識しておくことがあります。
 日本語は、結論を最後に言う習性があります。そこから、相手や周りの反応を見ながら結論を導く言語であることが、国際交流の円滑な運用に役立っていると思われます。最初に結論を言わないのは、欧米の方々には何をいいたいのか、何を言っているのかわからない、と受け取られがちです。しかし、それが実はコラボレーションの上では有り難い、大事なことだと思われます。何でもはっきりさせ、自己主張ばかりでは意見交換にはならないのです。
 日本語は、1対1の対決に陥らない点では、非常に便利な思いやりに満ちた言語だと思っています。議論で相手を打ち負かすのが目的ではない場合には、この遠回しな表現を得意とする日本語という言語は、欠点ではなくて利点として捉えた方がいいようです。

 その意味からも、海外での日本語教育では、日本文化の紹介に留まらず、日本文学をもっと教材に取り入れてほしいものです。折々にそのことをお話するのですが、時間的な余裕と婉曲な気持ちや表現を理解してもらうことに手数がかかることから、先生方の対処の中では取り上げたくてもなかなかそこまでは、というのが実情のようです。そうした場合には、日本文学の翻訳が有効な教材になることもあるはずです。

 そんな話の延長から、1900年以降に翻訳された文学作品の歴史を、簡潔にまとめた年表で確認しました。今日の授業で配布した資料は、『越境する言の葉 ─世界と出会う日本文学』(日本比較文学会編、彩流社、2011年6月)の巻末付録である「日本文学翻訳年表(1904〜2000年)」です。これは、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語、スペイン語、中国語、韓国・朝鮮語、の8言語による翻訳を対象にした一覧表です。
 『源氏物語』の翻訳は31種類の言語で刊行されているので、この他の言語に翻訳されたものを列挙すると膨大な数になるはずです。ひとまず今はこの表しかないので、これで確認しておきます。

 1904年に徳冨蘆花の『不如帰』が英語とスペイン語に訳されています。翌年すぐにドイツ語に、1912年にフランス語、1913年にロシア語と中国語に訳されています。今の若い人は、この作品をほとんど知らないようです。
 最初に翻訳された1904年は明治37年です。『不如帰』は明治31年から32年にかけて国民新聞に掲載された小説で、出版されるとベストセラーになりました。明治43年以降は10回以上も映画になっています。
 これについては、当時の演劇による受容とも関係しそうです。これは私の任務ではなさそうなのでこのへんにしておきましょう。

 翻訳された背景を考えてみると、社会や文化の動向が大きく影響しているのは確かです。おもしろい検討課題になりそうです。

 また、明治期はフランス語に翻訳されたものが多いことも確認できます。それも、古典文学が多いのです。シリーズ物として刊行された事情が背景にあるとしても、このことも再検討の価値があります。

 私の興味から言えば、谷崎潤一郎の『刺青』が1917年に英語とドイツ語に翻訳されていることに目が留まります。共に、翻訳者は日本人です。1924年にはフランス語に訳されます。

 今日は、明治から大正までに刊行された翻訳書の確認に留まりました。
 次回は、昭和に入ってからの翻訳書と、国際的な視点から日本文学を見るときに大事な、翻訳語としてのグロッサリーについて、みんなで考えていくことにします。
posted by genjiito at 22:46| Comment(0) | ◎国際交流
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