2012年06月05日

読書雑記(50)『十二単衣を着た悪魔 源氏物語異聞』

 『十二単衣を着た悪魔 源氏物語異聞』(内舘牧子、幻冬舎、2012.5)を読んだので、その感想を記します。
 
 
 
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 内舘氏は、高校生のころから弘徽殿女御が好きだったそうです。以来、弘徽殿女御ファンとして鬱積した不満がこの作品となったと言えます。

 小説は、威勢がよくて歯切れのいい文章で快調に語られていきます。初めて内舘氏の文章を読んだ私は、小気味よさを感じました。内容に入る前に、文章のテンポが読者を惹き付けます。ただし、しだいに中だるみがして来るので、この点がこの作品の出来を軽くしているように思いました。

 主人公の伊藤雷は、現実の平安時代ではなくて創作の『源氏物語』の中にタイムスリップします。この設定が、この作品のおもしろいところです。作者内舘氏の創意です。

 主人公雷は『源氏物語』における兄宮(後の朱雀帝)に比され、その母親は出来の悪い息子を持った弘徽殿女御にあたります。斬新な切り口で『源氏物語』が取り込まれ、今から見た平安朝がテンポよく語られます。

 食事のことや歯磨きのことなど、タイムスリップした主人公が見るもの聞くものすべてが現代の視点で描写されるので、そこがおもしろく読めるところです。

 主人公雷は、平安時代では陰陽師と見なされ、雷鳴と名乗って弘徽殿女御側の人物として活躍します。
 その描写は、非常にリアルです。見てきたような大ウソが語られるのです。人間は自分の居場所が必要だということが、この小説で強調されています。

 桐壺更衣の服喪中に弘徽殿女御が音楽会を開くことを描くくだりがあります(90頁)。ただし、このことは注目されていないと言います。しかし、異本の異文には、ここを強調するものがあります。もう一度、この場面の異本での描かれ方を確認してみようと思います。

 帝が桐壺更衣を慕って「尋ね行く〜」と歌ったところは、現代から紛れ込んだ主人公が陰陽師として仕える状況がうまく嵌め込まれています。シチュエーションの妙と言うべき、うまい構成になっています。

 『源氏物語』の作者とされる紫式部は、この弘徽殿女御が好きだったのではないか、と内舘氏は言います(119頁)。また、折々に現代日本人の批評もしています。この時空を超えた視点が、その批判をリアルにし、おもしろくしているようです。

 対象としている『源氏物語』の巻は、「桐壺」から「明石」あたりまでで、まさしく〈須磨帰り〉となっています。一般的な読者の風を装うことと、弘徽殿女御が出て来る場面を中心にした物語だからこそ、このような切り取り方ができたのです。

 藤壷について「本当においしいとこ取りの女である。」(211頁)という指摘がおもしろいと思いました。

 コンプレックスの塊の弘徽殿女御と、その世界にタイムワープした主人公。話はおもしろいのですが、人間性の描写がくどいので、しだいに中だるみとなっていきます。そして、『源氏物語』のあらすじをなぞるだけとなります。最初は語りの新鮮さと軽快さで読者を引っ張っていた文章力が、物語に寄り添いすぎて陳腐なダイジェストに脱してしまいます。

 主人公が平安朝に紛れ込んでから結婚した倫子とその間に売れまた風子も、その設定が生かしきれていません。いい雰囲気に持ち込むのですが、力不足のままで惜しいネタで終わります。物語の流れに溶け込ませるのに汲々として、無理が露呈しています。もったいない設定でした。特に、死者としての母子を回想する件がくどすぎます。この情のかけ方が粘っこいのは、内舘氏の特徴のようです。この設定は、また別の作品で生かしてもらいたいものです。
 主人公や朱雀帝などにコンプレックスを執拗に自覚させる描写がくどいのも、そうした例の一つと言えます。

 弘徽殿女御の思いと発言には、作者の深い作品の読みが反映しています。ここが、この小説の読みどころだと感じました。作者の弘徽殿女御への思い入れが、こうした場面に存分に盛られているのです。ここは、小説となっています。その背景をもっと固めたら、さらに完成度が高くなったと思われます。

 次の視点はおもしろいと思いました。

 弘徽殿女御はトゲトゲしく、激しく、意地が悪いと言われ、書かれているが、それは一面からの見方だ。「弘徽殿コード」で読みとけば、よくぞ今日まで自分を支えたと思う。(274頁)


 登場人物において、主人公である雷鳴は朱雀帝に、その弟水は光源氏に置き換えた設定で読むようにして展開していきます。敗者の側から『源氏物語』を読む仕掛けです。ただし、その発想はおもしろいとしても、あまり長く引き延ばしすぎです。そのため、中程まで読み進まないうちに飽きてしまうのです。『源氏物語』の内容を変更しないという制約に自らを縛っているためです。

 今は亡き人に対する「想い供養」は、心に響く話となっています。思い出してあげることが一番の供養だというのです。さらに、母親は子供にとっては千手観音のようなものだ、とも言います。この喩えはよくわかります。
 後半になって、話に厚みが出てきます。これは、女の視線で『源氏物語』を語るようになったからでしょう。それまでが、伊藤雷であり陰陽師雷鳴という黒衣役の主人公が、現代からワープした男の目を通した語り口でした。それが、後半になり作者の本当のことばで語り掛けてくるようになったのです。

 息子である夕霧のことを語る光源氏に、コンプレックスを吐露させます。本作品のテーマであるコンプレックスが、光源氏にまで及んだことは収穫です。

 また作者は、弘徽殿女御に次のように言わせています。

女の幸せな人生を勝ちとるのに、必要なのものは二つだけ。決断力と胆力だ。

 内舘氏の本音の部分が出ていると思われます。おもしろいところです。

 現代に帰った雷が、図書館で『源氏物語』を読もうとするシーンが不自然です。
 『源氏物語』のテキストが現状ではどのような流布の状態にあるのかが、これでは確認できません。なぜこのような書き方になっているのか、私には理解できません。ここにある貸し出し禁止の「まっさらな原文版」とは、どのような本なのでしょうか。

 書店には原文版があるにはあったが、いちいち細かく語句や社会風俗などの注釈がついている。どのページにも「※」がやたらとあって、「物忌み」だの「後宮」だのを解釈している。うるさくて読んでいられない。
 俺はまっさらな原文が読みたいのだが、書店にはないという。その足で図書館に行ってみた。
 カウンターの司書に、
「源氏物語の原文、古語で書かれたものを読みたいんですが。細かく語句の解説とか注釈がないのがいいんです。もしあれば、当時の墨文字で書かれたものだと、もっといいんですが」
「墨文宇って、源氏物語絵巻のような……ですか」
「そうです、そうです」
 カウンターにいた来館者たちが、ちょっと驚いたように俺を見るのがわかった。いい気持だった。
 墨文字で書かれたものはなかったが、まっさらな原文版はあった。重要な蔵書のため、一般貸出しは禁止で、館内閲覧だという。第一帖の「桐壺」を読んでみると、一ページ目からスッと頭に入ってきた。これだ。(380頁)


 とにかく、終章が説明的になっていて、最初の語り出しがよかっただけに残念でした。
 本作は書き下ろしです。そのために、内容がこなれていません。一度雑誌などに公開し、それからまとめる手法をとったら、このような雑な仕上がりにはならなかったように思われます。
 次作に期待しましょう。
posted by genjiito at 22:29| Comment(0) | ■読書雑記
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