2012年05月26日

中古文学会春季大会のシンポジウム-2012年度

 今回の中古文学会は、東洋大学で今日と明日の2日間にわたって開催されます。
 まず今日の初日は、日本文学研究を国際的な視野で牽引してこられた先生方の講演からです。

 第一部は特別講演として、東日本大震災を機に日本国籍を取得なさったドナルド・キーン先生(コロンビア大学名誉教授)です。「日本の古典文学の魅力」と題する講演でした。
 「あいまいさ」というものを取り上げて、日本文学の特質を語られました。
 先生は今年90歳です。お年を感じさせないバイタリティーで、日本全国を回っておられます。
 
 
 
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 キーン先生は、かつて本ブログで紹介したように「雨男」です。

「消失したブログの見出しリスト」(2010年7月 8日)

「雨男キーン先生とポルトガル語訳『源氏』」(2010年7月 9日)

 今日も内心心配していました。しかし、日本国籍を取得なさったこともあってか、今日は幸いにも雨は降りませんでした。晴れて「雨男」返上、というところのようです。おめでとうございます。

 続いて、ハルオ・シラネ先生(コロンビア大学教授)です。「世界へ開く和歌 ―言語・ジャンル・共同体―」というタイトルです。
 ハルオ・シラネ先生にも、ニューヨークなどでお世話になりました。日本文学を大きな視野でご覧になっています。

 冒頭で、研究の紹介が日本からの一方通行になっているという、指摘がなされました。きついお灸です。
 また、日本の和歌は世界文学として認知されていないとのことです。俳句は認められているそうです。俳句は、イメージによる理解が大きな要素となっているからだとのことです。

 最後に伊井春樹先生(逸翁美術館館長、前国文学研究資料館館長)です。「日本古典文学国際化への戦略」と題する、スケールの大きなお話でした。日本国内での人文学の国際化についての現実を、わかりやすく語ってくださいました。
 日本古典文学の情報発信として、4つの提案がありました。
(1)共同研究と情報の公開
(2)研究拠点の形成及び評価
(3)研究成果の発信と翻訳事業
(4)研究者の育成と留学生の受け入れ態勢


 なお、あらかじめインドの大学での日本文学の研究実態を調べるように、という指示がありました。ご報告したのですが、今日は他の国も含めて時間の都合でまったく触れられませんでした。先生ご自身が精力的にメールなどで、イギリス・カナダ・イタリア・アメリカ・タイ・中国・韓国など海外のお仲間から情報を集められたようです。それを伺うことができなかったのが残念です。またの機会ということにして、伊井先生の情報分析の鮮やかさを楽しみにしています。
 今日も、持ち時間の40分ちょうどで終わりました。いつものことながら、職人芸です。

 休憩の後、「第二部 国際シンポジウム ―日本の古典をどう読むか―」に移りました。

 進行・コーディネーターは今西祐一郎先生(国文学研究資料館館長・写真右端)です。
 
 
 
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 パネラーとして、キム・ジョンヒさん(檀国大学校、右から2人目)が、韓国での『源氏物語』の翻訳の実情を報告なさいました。これに関しては、特に私にとって新しい情報は何もありませんでした。ぜひとも、原文からの『源氏物語』のハングル訳にチャレンジしてほしいものです。

 2人目はクリスティーナ・ラフィンさん(ブリティッシュ・コロンビア大学、中央右)です。
 彼女の「国際化」という問題提起は、日本人にとって痛いところを突いたものでした。また、いろいろな先生との出会いから、さまざな研究テーマにぶつかり、そして今があることがよくわかりました。海外で日本文学を研究なさる方々の大変な研究環境がわかり、日本側としてはいい共通理解を得られる場となりました。
 質問に答える中で、カナダでは翻訳だけでは仕事が続けられない、クビになることにつながるという発言が記憶に残りました。翻訳という仕事は大事なことです。しかし、それが実績につながらないのでは、いいものができることは期待できません。どうか、その意義を世界中に周知したいものです。

 3人目のレベッカ・クレメンツさん(ケンブリッジ大学、中央)は、これまでにも本ブログで何度も登場してもらっている、研究仲間です。先日の「読書雑記(50)西村慎太郎『宮中のシェフ、鶴をさばく』」(2012年5月22日)でも、冒頭で紹介しました。海外の若手研究者として私も応援している一人です。
 今日は、日本語学習の経験やオーストラリアとイギリスでの日本文学研究の特徴をまとめて報告していました。呼ばれた立場が中途半端だったのか、いつもの彼女の明快さは発揮できなかったようです。もっと研究内容にシフトしたことを語ってもらう機会を楽しみにしましょう。

 今井上さん(東洋大学、中央左)は、『源氏物語』の引き歌があると思われる箇所を例にして、翻訳における違いを検討して報告する内容でした。あわせて、翻訳を通して日本人として貢献できることは何かを提示されました。なかなか手堅い発表でした。

 以上のパネラーの報告を受けて、ハルオ・シラネ先生と伊井春樹先生がコメントを付けられました。

■ハルオ・シラネ先生
・文学理論、アイロニーは、海外では共通のベースになる。
・宇治十帖が優れている。
・懸詞はユーモアと関係する。日本語は母音が少ないので、多様性に欠ける。
・俳句はイメージで翻訳する。和歌は翻訳しにくい。散文における和歌は理解しやすい。
・コロンビア大学の最初の博士論文は翻訳だった。
 その反動として翻訳を業績として認めない風潮がある。
・国際化にあたっては、口頭発表と発表資料に英語を使うこと。
・日本人は、可能な限り英語で発表してほしい。特に若い人たちは。

■伊井春樹先生
・国際化という言葉に脅迫観念を持っているのではないか。
・翻訳は業績にならないのか。
・オーストラリアの日本文学研究が衰退していること。
・引き歌の認定の難しさ
・翻訳において、引き歌は訳せないのでどうするかということについては、翻訳者の責任でしかない。

 以上のやりとりを取り仕切られた今西先生に対して、ハルオ・シラネ先生から国文学研究資料館に向けての要望が出されました。それは、雑誌論文に関して、論文の本文が出てこないということです。データベースとして、研究に関するものが遅れていると。とにかく、論文そのものをデータベース化してほしい、ということでした。
 今西館長からの回答は、権利の問題に尽きるものでした。著作権と翻刻や図版掲載の問題があって、論文本体を公開できない実情を述べられました。
 私は、ここで問題となっている「国文学論文目録データベース」の作成を国文学研究資料館での業務として担当しています。実際には、多くの大学院生などが来て、論文を読んでそれを分別・分類しています。そのため、論文題目や副題などではわからないキーワードで、驚くほどの正確さで論文が検索できるのです。しかし、読書感想文的な論文はどうでもいいのですが、手堅く資料をもとにして書かれた論文などは、取り扱う資料の所蔵者の許可を得て論文を執筆し、翻字をしているのです。そのため、その掲載許可を一々とっているので、それをウエブにそのままま掲載する前に、さらに所蔵者などに電子的なデータにして掲載することの確認をとる必要があります。つまり、手堅く資料を駆使した論文ほど、その公開にはさまざまな前処理が必要なのです。こうしたものに限って、思いつきの感想や印象の羅列でないだけに、意義深いのものが多いのです。
 館長が今日もおっしゃったように、日本古典文学に関する論文の一般公開は、こうしたクリアすべき問題がまだまだあるのが実情です。一人でも多くの方にご理解をいただくしかない問題だと思っています。ただし、公開の許可が得られた資料を扱っている論文は、1日も早くウエブ上に公開したいものです。この判別の手間に、今後とも相当の時間が必要だといえるでしょう。利用者レベルではなく、執筆者や公開のお手伝いをしている国文学研究資料館が抱える難しい問題なのです。

 予定された3時間弱の間、よくありがちな退屈さや無意味な沈黙もなく、おもしろくやりとりを聴き入るシンポジウムでした。充実した時間を、ありがとうございました。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ■古典文学
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