2012年05月01日

読書雑記(49)谷崎松子『倚松庵の夢』と潤一郎への想い

 本書は、谷崎松子の潤一郎回想記です。昭和40年から42年にかけて書かれた、長短12編の随想が収録されています。谷崎潤一郎の晩年から死に至る背景が、優しい柔らかな文章で綴られています。

 松子夫人は、谷崎潤一郎の妻としては3人目です。いろいろな作品に影を落としていて、『細雪』の幸子のモデルとされています。そのいちいちは知らなくても、本書は充分に潤一郎と夫人の心の通い路が読み取れます。

 全編を通して、傍にいた人としてもっと語ってほしいところです。奥ゆかしさから語られないことや、話がきれいに浄化されていると感じられる箇所があるように思いました。それでも、心のつながりがそうした面をうまく包み込んでいて、読後は爽やかさを感じました。これは、松子夫人にとっての谷崎潤一郎という一人の男を、きれいに語り収めたものなのです。

■「銀の盞」(原題「『源氏』と谷崎潤一郎と私」)
 潤一郎と松子の、『源氏物語』の現代語訳をめぐる日々が語られていて興味深い内容となっています。
■「湘碧山房夏あらし」
 潤一郎の最後の様子が活写されてまいす。松子の文章力に引き込まれました。中絶した男児のことを思い出すくだりは、人の心の揺らぎが美しく語られています。
■「倚松庵の夢」
 谷崎との思い出を大事にしていたことを紡いでいます。谷崎からの手紙がいいと思いました。「盲目物語」や「蘆刈」の裏には、谷崎の松子への思いがあったことがわかりおもしろい内容です。
■「細雪余談」
 谷崎を思い出しながら、「細雪」の中の平安神宮の場面を回想します。特に、最後の一文がきれいな文章となっています。

 今は儚い蝶のような思出かも知れぬが、私には消えるまでの生命の書いても書ききれぬ繋がる絆なのである。読んで下さる方こそ迷惑千万のことゝ、書き終えて身の縮まる思いがするのである。

■「源氏余香」
 これによると、谷崎の『源氏』嫌いは、新々訳を終えてからのようです。『源氏』訳の背後に、貧乏物語があるのがおもしろいと思いました。
■「終焉のあとさき」
 亡き潤一郎に語りかける松子がいます。一方的な会話です。しかし、思い出深い場面なので、様子がよく伝わってきます。病気に追い立てられるようにして、新々訳『源氏物語』は進んでいきます。一人の男の臨終のさまがつぶさに語られていて、人間の温かさがある文章となっています。谷崎のことを思うと、ペンが不思議に走り出すと言っています。さもありなん、と思われます。細やかな愛情に満ちた生活だったことが偲ばれます。
■「「吉野葛」遺聞」
 歌碑をめぐる旅の記です。しっとりとした文になっています。
■「秋声の賦」
 お稽古事を始めとして、何事にも不器用だった谷崎の姿が目に浮かんできます。
■「夏から秋へ」
 走馬燈のように、谷崎との思い出や遺品が点綴されています。
■「桜」
 与謝野晶子が愛でた大島桜が印象的に語られています。
■「桜襲」
 道成寺の桜から歌舞伎へと、話が展開します。松子の奥深い素養がにじんでいます。
■「薄紅梅」
 「台所太平記」の舞台裏が語られます。下鴨にあった潺湲亭のことは、年老いた谷崎の意外な面が見えていておもしろい話です。『源氏物語』に関する一文は、谷崎が『源氏物語』を訳した時の心中が窺えます。そこには、谷崎の松子への深い思いがあるのです。
 最後に次のように書かれています。

京のたよりにきのうもきょうも風花が舞っているという。法然院の墓石は寂として静まり、枝垂桜の咲く日を生きていた日と同じように待っていることであろう。

 この一文を読み終え、そうだ谷崎の墓石がある法然院へ行こうと思い立ち、昨日のブログに記したように自転車を漕いで行ったしだいです。
 左の「寂」の下に、2人は眠っています。
 
 
 
120430_boseki
posted by genjiito at 23:07| Comment(0) | ■読書雑記
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