「大徳寺瑞峰院老師の書「放下着」」(2012年3月 8日)
手元にはそれに加えて、大和西大寺の谷口光昭長老の揮毫になる色紙があるので、そのこともここに記しておきます。
「竹葉々起清風」(たけ ようよう せいふうを おこす )とあります。
このことばは、虚堂禅師の『虚堂録』にある七言律詩「衍鞏珙三禪コ之國清」(衍・鞏・珙の三禅徳、国清にゆく)を縮約したものです。門弟が天台山の国清寺にある三隠(寒山、拾得、豊干)の遺蹟を尋ねに行く際、虚堂禅師のもとへしばしの挨拶に来たときのものです。
私は、今から5年前の3月に、伊井春樹先生とご一緒に杭州へ行った折、山深い天台山に登りました。そして、その山中の国清寺にも足を踏み入れました。
その時には、この三隠について関心がなかったせいか、そのような遺跡があったのかさえ思い出せません。しかし、とにかく奥深い山の中を登ったことは記憶に新しいところです。空気は澄み渡っていました。ちょうど今頃の季節で、風が冷たかったのでマフラーをしていました。俗界を離れた天空の寺、という感じのところでした。
我々は車を使いました。ここを歩いて登るとなると、気が遠くなるほどの時間がかかります。天台山へ登るためにしばしの暇乞いというのも、当時は車などなかったのですから当然です。元気でな、身体に気をつけて、と虚堂禅師は声をかけたはずです。
元の詩は以下の通りです。
誰知三隱寂寥中(誰か知らん三隠寂寥の中)
因話尋盟別鷲峰(話に因って盟を尋いで鷲峰に別れんとす)
相送当門有脩竹(相送りて門に当たれば脩竹あり)
為君葉々起清風(君が為に葉々清風を起こす)
色紙の添え書きによれば、これは、旅立つものや出発するものへの祝福を言うことばだ、とあります。もっとも、これはいささか強引で、プラス思考での解釈という感じがします。もう一歩手前の意味に留めておくべきでしょう。
元の詩を読むと、私には惜別の情と旅の平安を願う思いの方が強く感じられます。もちろん、「竹葉々起清風」だけを切り出してみると、相手を送るにあたって竹の葉擦れの音がさやさやと心地よいのと、笹の葉が起こす清風の爽やかさに相手を思いやる気持ちが表れています。旅立ちにあたって、道中の息災を願う情感も込められています。「さ」という清らかな音が、その背景に聞こえて来ます。
禅語として理解すると、相手を思いやる気持ちを汲み取るといいのでしょう。決して、永の別れではないのです。自立することによって生まれる、求道の旅によって生まれるしばしの別れなのです。「行ってこい」という気持ちも伝わってきます。
「脩竹」は、細長い竹のことです。青竹でもあり、竹藪でもあるのでしょうか。
私には、しなやかな青竹のように思われます。
笹擦れの音と清風が肌をかすめる心地よい感触に、何かを求めて新しく生きようとする者の成長を願う気持ちが感じられます。
人の生きざまのこれからを見ようとする心から、穏やかな気持ちの安らぎが生まれてくるようです。
新春早々、私の転居と娘の結婚ということにおいて、ちょうど我が家の今の状況を表すものとして、まさにぴったりのことばです。
この書は、お茶席では1年を通してよく掛けられるそうです。
私も、折々に目に触れるようにして、この静寂の境地を楽しみたいと思っています。
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