2011年11月22日

冬の到来を待つ山形の山々

 明け方、宿の窓から外を見ると、地面がうっすらと白くなっていました。雪だと思いました。しかし霜だったようで、空気は冷たくても風が弱いので心地よい1日となりました。

 展望室から四囲の山々が望めました。いつも持ち歩くソニーのサイバーショットでの撮影なので、遠景は霞んでいますが、本格的な冬を待つ山の雰囲気が摑めました。

 まずは月山。
 
 
 
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 パノラマ写真と比べながら見ても、これしか該当しません。
 間違っていたら案内パネルが……ということにしておきます。

 反対側には蔵王山がみえました。これも、この方角ということで。
 
 
 
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 山形大学には、何年か前に中古文学会が開催された時に来て以来です。
 
 
 
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 K先輩が長くこの大学の教員をしておられます。
 先週、名古屋で開催された中古文学会の委員会でご一緒だったので、それでは明日山形で、という挨拶をしたばかりです。
 先輩の研究室は本の山でした。まさに、立錐の余地もないとはこのことです。
 喫茶室で、山形の様子を詳しく伺いました。

 図書館では、国文学研究資料館の文献調査で東北地域を担当しておられるお2人の先生と、現在の調査の進捗状況やこれからのことを打ち合わせました。調査の現場でしかできない、古典籍を前にしての貴重な情報交換となりました。

 山形大学の図書館では、まだ多くの古典籍が調査を待っています。4人の先生方が、精力的に献身的な調査を続けておられます。しかし、それでもあと数年はかかりそうです。

 上杉家が持っていた書物は膨大で、質の高い本が今は数カ所に分蔵されています。
 米沢にある古典籍も、山形大学図書館の書籍群の仲間だそうです。整理されているとはいえ、今後この詳細な調査も本格的に取り組む必要があります。
 個人蔵となっていて、まだ正確には確認できていない本も多いようです。これは大変な労苦が伴うものです。
 さらには、東北も高い文化圏にあったので、貸本屋が持っていた多くの本が、この地域にも分散しているようです。

 散逸した本が多いとはいえ、それでもたくさんの本がまだまだこの地域周辺には残っているのです。
 手書きの写本の調査は、まず取りかかったということもあり順調に進みました。しかし、近世以降の版本となると、あまりにも多すぎることもあり、手付かずのままの図書館や文庫、そして個人蔵の書籍が眠っているようです。

 国文学研究資料館では、全国の大学等に所属なさっている200名の先生方に調査員をお願いし、それぞれの担当地域における日本の古典籍の実態を調査し、報告していただいています。その成果は「日本古典資料調査データベース」で確認できます。
 先生方が作成されたカードも画像として見られるので、その調査の緻密さが実感していただけると思います。まさに、気の遠くなるような調査が、全国津々浦々に人的なネットワークを張り巡らすことで進展しているのです。
 しかし、若手の調査員が育っていないようです。近代の文献も含めて、手書きや版本として印刷された本を扱うことの楽しさを、一人でも多くのこれから研究を目指す方に味わってもらいたいものです。

 活字文化がデジタル化という衣装を着だしました。そして、電子的な資料に加工されたデータが、メディアを変えて流通することが加速しています。
 そのような中、長い時間をかけて、書き、写し、印刷して伝えられて来た写本や版本の存在を、次の世代に伝えて行くことは意義深いことです。そして、そうした書物を手にとって調査する技術、ノウハウも、速やかに受け渡していく必要があります。

 現代の活字による校訂本文に浸って研究がなされている中で、少なくとも古典文学の受容においては、せめて問題となる箇所だけでも原本にどう書かれているか、という確認はしたいものです。これは、近代文学についても言えることでしょう。そして、それができる環境を作ることも大事なことです。

 国文学研究資料館が事業の柱とする、古典籍の悉皆調査と写真による収集活動は、その保存対策と共にもっと評価されてもいいのではないでしょうか。東日本大震災により、どれだけの古典籍が被害にあったのかは、もう少し時間がかかりそうです。これを機会に、物としての日本の古典籍をいかにして守り伝えるか、若い方たちと一緒に考える時間を持ちたいものです。

 帰路、ふと車窓に目をやると、米沢を過ぎたあたりから、錦繍の山々に雪が降ったところでした。
 
 
 
111122_yuki
 
 
 

 墨で書かれた文字を読むおもしろさは、まずは実体験から感得できると思います。そんな機会の多い文化的な環境を整備することも、伝統文化を次世代に手渡すために必要な施策です。

 さて、どうしたものか。
 私などには手に余ることとはいえ、旅の道々で真剣に考える時間を持つことになりました。
posted by genjiito at 22:35| Comment(0) | ■古典文学
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