2011年11月19日

名古屋での中古文学会は雨でした

 降りしきる雨の中を、名古屋で開催された中古文学会に行きました。
 会場は愛知淑徳大学です。地下鉄東山線の星ヶ丘駅からすぐでした。ただし、激しい雨のため、濡れながら会場入りとなりました。

 今回の初日は、畠山大二郎君(國學院大學大学院生)の発表を楽しみにして来ました。

 発表題目は、「『落窪物語』の裁縫 ―「裁つ」ことの意味」でした。
 
 
 
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 染色・裁断・縫製という工程を経てなされる「裁縫」という行為を取り上げたものです。
 畠山君には、これまで3回ほど、直衣装着などの実演を国文学研究資料館でやってもらいました。平安時代の衣装は、彼の学位論文のテーマでもあります。よく調べていることがわかる、まとまりのあるいい発表でした。
 こういう若者がいることは、多彩な研究が展開する意味からも、ますます活躍してくれることを期待したくなります。

 『落窪物語』の落窪の君にとって、裁縫行為の中でも、なぜ「裁つ」行為をさせなかったのか、という課題を、作品の本文を読み込むことで追求していました。従来は、「縫う」ことだけが取り上げられ、「裁つ」ことは注目されてこなかったようです。そこが、彼の今回のユニークな着眼点でした。成功したと言えるでしょう。

 『源氏物語』では、「御法」で紫の上が縫います。ただし、これは異例だとのことです。さらに詳しく聞きたくなる、魅力的なテーマを摑んでいるのです。

 「裁つ」という行為は「縫う」よりも重い行為だと、畠山君は言います。「裁つ」は、着る人や相手を限定し、特定するものなのだと。
 和歌では、懸詞や縁語として比喩的に出てくるので、実際に「裁つ」ことかどうかの判断が難しいようです。

 『落窪物語』では、実際の行動として「裁つ」が描写される作品なのです。そして、物語においては、「縫う」よりも「裁つ」が重要だという指摘をして、その論拠を展開してくれました。
 そして、落窪の君が二条邸で「裁つ」行為をすることで、北の方として認められた立場を強固にすることを物語るというのです。地位を不動のものとすることになったのである、と。納得しました。

 なお、男性が裁縫に携わる珍しい姿が『落窪物語』に描かれている、という興味深い指摘もありました。また今後のおもしろい展開が楽しみになりました。

 本日の研究発表は、終始、非常にわかりやすい発表でした。結論も明快です。
 ただし、あまりにもまとまりすぎていて、もっと内容を膨らませてくれても良かったのでは、と思いました。会場のみなさんも、もっと聞きたかったのではないでしょうか。

 質疑応答では、以下のやりとりがありました。

 ◎正妻は縫い物には携わらない、という用例はないか。
  →今のところない。自分の手で縫うことはなかったようだ。

 ◎「裁つ」という言葉に「縫う」という意味も含まれた例はないか。
  →『今昔物語』で、男性に関わってそういうものはある。
    しかし、『落窪物語』では明確に書き分けている。

 3人の先生から質問がありました。いつもと違い、やや歯切れが悪い受け答えでした。上がっていたのでしょうか。
 今回の発表は、しっかりと活字論文にして、次のテーマに取りかかってほしいと思いました。
 着実に成果を残しながら、研究が進んでいるようです。
posted by genjiito at 23:25| Comment(0) | ■古典文学
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