2011年11月11日

名和先生の連続講演「御堂関白記」その2

 名和修先生の「古典資料の創造と伝承」と題する本年度の連続講演の第3回目がありました。
 本日は、「御堂関白記」の2回目で、会場は国文学研究資料館です。

 東京の天気はあいにくの雨という一日でした。それでも、名和先生の講演会は前回に劣らぬ盛会で、会場はほぼ満席となりました。

 「御堂関白記」は藤原道長の日記です。自筆の日記で現存するものとしては、これが最古と言えるでしょう。非常に貴重な歴史資料です。

 今日の話の中で、寛弘八年(1011)の記事がありました。今からちょうど千年前に道長が書いた日記の自筆部分を、先生の説明を聞き、プリントで確認しながら追っていきました。
 会場のみなさんも、資料に目を凝らして、行間にメモを記しておられます。200名近い方々が、真剣に千年前の自筆日記を読んでおられる姿を後ろから見ていると、言いしれぬ感動を覚えました。この空間は何だろうと。

 このような資料を今に伝えて来られた近衛家・陽明文庫はもとより、そこに記された文字を読んで解釈なさる名和先生、それを目と耳でキャッチしながら追認する参会者のみなさんの集中力が、会場に熱気とでもいえるものと一緒に充満していたのです。
 とてつもない文化の受け渡しが進行する場に我が身を置いていたのです。聴講者のみなさんと共に道長の日記の背景にあるものに思いを致しながら、日本という国と人の奥深さを実感することとなりました。

 以下、本日のお話の流れを大掴みで記します。


・「御記抄」の長徳元年をスクリーンに大写し。
・「大殿」の問題について。
  大殿は道長の孫の師実のことである、という阿部秋生説に名和先生は賛同するとのこと。
・「裏書」をめぐる問題提起。
・自筆本とともに、古写本が重要な位置を占めている。
・自筆本と古写本の同じ日の記事を比べると興味深いことがわかる。
  スクリーンに2つを並べて映し出し、一字一句を詳しく解説。
  古写本は息子の頼道が書いたものではないことを確認。
  それは、自分の名前の「道」が欠字になっていることから証明。
・原本である自筆本には、脱字・誤字・読みにくい文字が多い。
  それを古写本では正しく書き直してあるものを例示。
・寛弘元年の自筆本の裏書に見られる和歌について。
  道長が「かな日記」風に、意識的に書きたかったものではないか。
  これは、この時代のかな作品の一つと言える。
・寛仁二年の裏書が一番長い文章。
・裏書は、全部で80ヶ所ある。
・古写本に裏書はない。どこがそうかは推測できるが不可能。
 それだけに、自筆本の裏書のありようがおもしろい。
・寛弘八年六月二日の、一条天皇と三条天皇の記事について。
  2人の心の動きの微妙なところを、どうにもうまく日記に表現できない道長の姿がある。
  道長のもどかしさが、その日記の文字の書きぶりから読みとれる。


 ご自分で資料をスクリーンに映し出しながら、「これ何ですか?」と、関西人特有の自分でボケながら会場を和ませる語り口で、いつものペースで難しい話を噛み砕いて進めていかれました。

 この他、たくさんの興味深い指摘がなされました。

 前回は3分の超過。今日は大急ぎでしたが、同じく3分オーバーでした。
 みなさん、もっと聞きたいのに、という雰囲気の中で終了となりました。
 道長自筆の日記の内容を咀嚼しながら、歴史の裏側を名和先生流の語り口で聞くことができました。
 非常に楽しく意義深い90分でした。
posted by genjiito at 22:58| Comment(0) | ■古典文学
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]