2011年10月28日

名和先生の講演「御堂関白記」その1

名和先生による「古典資料の創造と伝承」と題する本年度の連続講演の第2回目は、「御堂関白記(1)」でした。会場は、国文学研究資料館です。

ご講演が始まる前に、控室で豊臣秀吉と近衛家に関して、少し歓談する時間がありました。先生は、ますますお元気です。

以下、東京まで聞きに来られない方から、お話の内容を伝えてほしい、ということなので、私の勝手なメモですが、本日の講演内容を日記として残しておきます。正確でないところは聞書なので、ということでお許しください。

会場は前回に増しての大盛況です。立川の新庁舎でも、この部屋が一番大きいのです。ぎっしり満席なので、つめつめで座っていただくしかありません。

「御記抄」が重要な資料であることから、お話が始まりました。

道長の日記である「御堂関白記」は、本来36巻あったと思われます。
1年で前半と後半の2巻があったはずです。しかし、一巻しか残っていない年があります。
現存自筆本としては、14巻のみ伝わっています。

「平松本」といわれる本は、「御堂関白記」の古写本の系統を写していても、新しい写本なのです。しかし、自筆本や古写本にない記事を書き残しているので、これも貴重な資料となっています。

古写本は、大殿(師実)と某の2人で写したものです。
この「平松本」も合わせて、「御堂関白記」の全貌が明らかになってくるわけです。

道長は、およそ3800日以上は日記を書いています。人がそれぞれの立場で日記を書くことの意味を、あらためて考えさせられます。

さて、肝心の「御堂関白記」の巻子本です。
寛弘7年の記事で始まる巻の表紙の裏に、「これは披露すべきものではないので早く破却すべきものである」と日本漢文で書いてあります。会場のスクリーンに大写しにされました。
これは、子孫が書くはずはないので、道長自身が書いたものと思われます。この言葉の通りに破棄していたら、これは今に伝わらず、国宝にもならなかったのです。
記録や日記は、こうした性格があるものです。それが千年もの長きにわたって残ってきた意味は、いろいろなことを考えさせてくれます。
このスライドには、みなさん釘付けでした。

漢字が並ぶ道長の日記です。その中から、身体の部位や 暦の知識などが書かれた場所を画面に示して、おもしろ例を蘊蓄を傾けながら語ってくださいます。

「御堂関白記」に何が書かれているのか、分かり易い例で会場のみなさんを引き付けていかれました。特に、今の日記と比べながらの説明は、千年前の道長の日記を、今我々が見ていることを忘れてさせてくれます。

閏月のある月は巻物が太くて、寛弘7年の巻は13メートル26センチもあるそうです。今日の後半は、この寛弘7年の巻を例にされました。紙で29紙を継いでいます。それ以外は、1メートルほど短いようです。
この巻子の半年分すべてを、スライドで流していかれ、ポイントを概説してくださったのです。これだけで本物を見終わった気になり、道長の日記の実態がよくわかりました。
とにかく、一日で暦の知識が豊かになりました。

続いて、具注歴の裏に書かれた道長の記述に移りました。
今日解説されているのが、『源氏物語』が書かれたことが確認できる最初の年である寛弘5年から2年後の寛弘7年の道長の日記なのです。私も興味深々で拝聴しました。
生の資料を、しかもそれを管理なさっている名和先生から直々にむ聞いているのですから。
おまけに、実物が階下の展示室で実際に並んでいて、自分の目で見て確認できるのです。

なお、先生は「紫宸殿」のことを「ししいでん」と発音なさっていました。
これは、私が学生時代に教わった読み方と同じです。今では、ほとんど聞かれなくなりました。それを、名和先生ははっきりと「ししいでん」とおっしゃったのです。何となく、うれしくなりました。

肝心の裏書きの話は、そのほとんどが時間切れのために次回となりました。今日、一番聞きたかったことです。

この前は、30分以上も延びる大熱演でした。今日は、先生らしくないとでも言うべきか、ほぼ時間通りに終わりました。事務からの時間厳守のお願いが響いていたようです。

そのせいもあってか、ちょうどいいところで、この続きは次回に、となったのです。

終わってから、控え室で先生に、一番佳境に入ったところで「つづく」はないですよ、と申し上げると、「ドラマももう少しという所で終わるやないか」と大笑いをしておられました。

そして、「おまえは、またブログに書くんやろ」とおっしゃるので、今回立川に来られないたくさんの方が、どんな話だったかを知りたがっておられますから、と答えると、「しゃべった内容はわしに権利があるぞ」と、また大声で赤い扇子を泳がせながら笑っておられました。

その後、前回同様に東京駅まで出て、新幹線で京都に向かいました。

この記事は、久しぶりに新幹線の中から、iPhone を使って送信しています。
誤字脱字がありましたら、狭い座席で窮屈な思いをして入力をしたものということで、ご寛恕のほどを、お願いします。
posted by genjiito at 20:23| Comment(0) | ■古典文学
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