2011年10月19日

【復元】『カリスマ先生の古典文法』

 ここで取り上げている『七日間で基礎から学びなおす カリスマ先生の古典文法』は、2006年に刊行されてすぐに書いた書評です。
 著者は、当時著名な予備校講師で、本書のレビュー記事を見ても結構好意的な評価や感想を今でも読むことができます。多数の受験参考書を刊行されている方です。独特の語り口で受験生の心をつかんでおられるようです。ただし、私は批判的な視点で寸評を記しています。

 その後、この記事がサーバーのクラッシュによって読めなくなっているので、散在するファイルからかき集めて今回復元しました。

 この本は、今では絶版になっています。ただし、中古本としては入手可能です。
 このような本があったということで、復元して掲載しておきます。
 
 
(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年2月4日公開分
 
 
副題「老化に伴う脱力と軽薄の間」
 
 
 突然ですが、ひょんなことから『七日間で基礎から学びなおす カリスマ先生の古典文法』(山本康裕、PHP研究所、2006.1.9)を読んでしまいました。
 書店で見かけ、パラパラとめくって興味を持ちました。おもしろかったのです。オイオイと、突っ込みを入れながら、楽しく読みました。私は文法の話には興味があまりなくて、この本の著者の時代錯誤を大いに楽しませていただきました。
 このような先生が予備校で受験生を相手にし、ご自身はカリスマ先生と言われた昔が忘れられなくて、臆面もなく受験生の前で古典文法を講義し、こうして本にまでして自己顕示をしておられるのですから、それはそれで立派なものです。皮肉ではなくて、本当に軽薄派のおもしろい本でした。語り口が人を食った所を楽しむ本です。
 
 
 

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 「大学入試古文の、文法問題のミスを暴いて、「しっかりせんかい」と叱るのが、本書のスタイル」(六日目、178頁)だとあります。タイトルと中身の落差もいいですね。人間としてこういう老い方はしたくないと、いい教訓の書にもなりました。
 著者の先生には失礼ですが、固そうでバカらしい著書という意味からも、興味のある本です。

 個人的な感想の吐露では失礼なので、少し具体的に内容を引きながら、触れておきましょう。括弧内は私のコメントです。
 

・八〇日間で、全七章、四〇〇字詰の用紙で三五〇枚を、ヘロヘロになりながら仕上げました。(まえがき、P4)
(この内容で八〇日とは。1ヶ月の間違いではないでしょうか。)

・学術論文ではありませんし、論証の過程も含めて、いささか粗雑の感は否めませんが、言いたいことはほぼ尽きているかと思います。(あとがき、223P) 
(これで尽ききている、というところが、著者の限界のようです。読者に失礼です。)

・ネタも言いまわしも、いささか乱暴ですが、文法を毛嫌いなさらず、ご意見・ご感想・ご質問あらば、お寄せください。かならず、ご返事いたします。(あとがき、223P)
(「かならず、ご返事いたします。」に、本書中での無責任さのフォローを感じました。もっとも、ピンボケの返事はお断りしたいのですが。)

・大学の関係者に、高校のカリキュラムを、もっと真剣に学んでもらいたいと思います。よく、「古文の実力が落ちた」と言います。受験生に、責任はありません。授業時数を激減させ、古典から生徒を遠ざけたのは、ほかならぬ文部省(文部科学省)です。貴重な文化遺産を、後の世に伝えようとする意欲は、国がみずから捨ててしまった結果ですよ。(二日目、57P)
(もう、早々と錯乱状態で支離滅裂です。著者にはコンプレックスというか、被害妄想的な独善性があるように思われます。老いのせいにすればいいのでしょうが。読まされる方は、たまったものではありません。)

・『源氏物語』は、学生時代にひととおり目を通しました。とても「読んだ」とは言えない。筋を追っただけですし、分かったような分からないような、模糊とした印象しかありません。今は授業のために、必要に迫られて調べる。そのために、向きあうのですから、「読んで楽しむ」にはほど遠い。(四日目、133頁)
(これで、受験生に「古文の本来の味わい方」(134頁)を語り、そして古典文学作品をしっかりと読めと唆すのですから、何とも無責任です。)

・学生時代には、ひととおり論文に目を通して、それなりに理解した気になっていましたが、俗世間を泳ぎまわっているうちに、みんな忘れてしまいました。(五日目、158頁)
(なんとも無責任なことばです。こういう話を聞かされた学生は、古典文学なり文学研究の無意味さを実感する以外の何ものでもない、無責任発言です。)

・名古屋大学の国語国文学研究室のプロ集団は、誰もこのミスに気づかなかったのか。入試問題の検討委員会で、チェックできなかったのか。学校文法・入試文法について、もっとよく勉強していただきたい。
(著者は、学問の何たるかをまったく理解しておられないようです。大学入試で点数を稼ぐ方法を教えるだけの方のようです。研究者に、学校文法・入試文法を勉強せよとは、本末転倒としか言いようがありません。)

・国語学・国文学を、キチンと学んでいない、言わば「素人」であることを、自ら告白している本だと言ってもいいでしょう。(5日目、170頁)
 学問的に正しいか否かはともかく、入試にどのように出題されているかがポイントで、予備校講師の最も神経を使うところです。(六日目、176頁)
(著者の言うプロと素人の定義が不明です。著者自身が、古典文法の素人なのではないでしょうか。)

・学校の勉強ばかりして、いい大学に入ったら、あとは楽チンの人生、と考えているとしたら、とんでもないことです。(六日目、194頁)
(まったく現代社会における学生たちを理解していない発言となっています。自分が現役だった遥か昔の物差しで今を見るのは、やはり無理があります。若者に失礼です。老い故の限界でしょうか。)


◆著者の言葉遣いも気になりました。

 例えば、「ご一読くださらぱ、幸いです。」(五日目、161頁)の「くださらば」は、日本語としてどうでしょうか。私は使ったことがないし、目にしたこともないものです。

 「本文を改定しました。」(五日目、150頁)は「改訂」の方がいいと思います。「本文校定という作業」という表現の場合は、「本文校訂」という用語を使う方がいいと思います。間違いとか言うのではなくて、適切な用字は何か、ということからの、私ならということです。

 切りがないので、この辺にしましょう。
 とにかく、いろいろな意味で、これはおもしろい本です。

 この本を手にした受験生が、日本の古典文学に興味を失うことを危惧します。年老いた著者(昭和13年生)の古典に対する思い入れの気持ちは分かります。今の若者を見て、昔語りをしたくなった気持ちも、分からなくはありません。しかし、結果的にこの本では、それが空回りして、読者には逆に作用する結果を惹起するものとなっていると思われます。

 書けばいい、語ればいい、というのではなくて、教育的配慮ということも大切ではないでしょうか。もっとも、予備校の先生はそうした問題には埒外にあると言われればそれまでですが。人生を分かったかのような錯覚に陥り、これから伸びていこうとする若者のやる気を削ぐことは、慎むべきだと思います。

 現代は、これからの若者を励ますための工夫を考える時代になっている、と私は思っています。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:25| Comment(2) | ■古典文学
この記事へのコメント
非常に残念な内容ですね。著書ではなくこのレビュー記事が。ただの揚げ足取りに終始しており、著書の中身を批判しておりません。自信過剰な文面から徹底的な批判を期待しておりましたが、見られるのは、女性に多くありがちな揚げ足取りのみ。

しかも、「少し具体的に内容を引きながら、触れておきましょう。括弧内は私のコメントです。」とありますが、実際に引用された文からは、その前後関係が全くわからず、コメントの妥当性も判断できません。記事を書く以上、そのあたりの配慮も欲しいところです。

この記事を拝見する限りでは、著書の中身である古典文法の批判は全くないことから、著者の本領である古典文法については、全く問題ないのだなと判断してしまいます(それが正しいかどうかは、この著者が書きなぐっている受験参考書のいくつかを散見するだけで判断できます)。

読者としては内容批判を徹底的にして欲しかった、切にそう思います。
Posted by 通りすがり at 2014年03月23日 21:38
コメントをありがとうございます。
拙文に対する貴重な批判として受け止めました。
「揚げ足取り」と取られたことに、批判文の書き方の難しさを感じます。
多分に語る側のスタンスの問題でもありますので。
今後とも批判文を書く上で、ご意見を意識してみたいと思います。
取り急ぎ、お礼にかえまして。
Posted by genjiito at 2014年03月23日 22:04
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