2011年09月21日

【復元】映像は原作を超えられるか

 昨日書いた、松本清張の『球形の荒野』に関する続きです。
 クラッシュした文書の中から記事を探し出せたので、なんとか復元しました。

 最近刊行されている文庫の表紙は、以下で紹介するものとはまた変更になっているようです。
 ネットに紹介された画像を引いておきます。
 
 
 

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(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 *************
 
 
 2006 年6 月11 日公開分
 
 
副題「『球形の荒野』は映画化に再挑戦する価値あり」
 
 
 松本清張の『球形の荒野』の内容が気になり、読み直してみました。
 
 
 
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 読んだ本に書き込まれた私のメモによると、「1983年10月5日読了」と、汚いボールペンの文字が読み取れます。今から23年前に読んだ本なのでした。文春文庫は紙質が悪いので、紙の周りが茶色く変色しています。さらには、古本特有の匂いがします。今回、通勤電車の中で読んだので、時々パラパラと捲って風を入れ、匂いを散らす努力をしながらの通読でした。この本を最初に読んだのは、長女が生まれて間もなくの頃なので、父親が娘のことを想う立場で読んだのでしょう。

 ネットの本屋で、最近の本の表紙が掲載されていました。宣伝を兼ねて、紹介しておきます。もっとも、定価が2倍になっていて驚きました。
 
 
 
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 この書名は、本書の終盤で、以下のようにあることから来ていると思われます。

 「野上さんにとっては、パリも砂漠も同じことさ。地球上のどこへ行っても、彼には荒野しかない。結局、国籍を失った男だからね。いや、国籍だけじゃない。自分の生命を十七年前に喪失した男だ。彼にとっては、地球そのものが荒野さ」(文春文庫1975年版、下、277頁)

 こうしたことを考えると、表紙のデザインとしては私が持っているもののほうがいいように思います。見知らぬ惑星のクレーターを眺めるという図案が。

 さて、巻末の私のメモには、「時々、井上靖の作品のような気にさせられた。野上の描写、久美子の扱いに関係があるか。」とも記していました。
 松本清張と井上靖の作品については、奈良や京都を舞台にする関係からか、物語の印象が似ていることがままあるように思われます。歴史に対する姿勢に、井上靖には温かさが、松本清張には切り込みの鋭さを感じます。現代文学の専門家ではないので、どのような研究成果があるのかはわかりません。しかし、この印象は、そう外れてはいないと思えるのですが。

 原作を昔に読み、最近DVDで1975年に映画化されたものを見、そして原作を再読した感じでは、原作にスケールの大きさと奥行きを感じました。このテーマでは、映像はとても追いつけないのでは、と……。

 ただし、この原作を推理小説として見ると、完成度は低いようです。例えば、久美子をモデルとしてデッサンをする中で死んでいく画家の笹島恭三は、消化不良のままに浮いています。その画家の庭に雇われ人として忍んで覗き見する野上も、不自然な扱いがされています。
 終盤で、娘のホテルの部屋に無言電話をする父にも、無理があります。野上の背後にうごめく影の組織も、中途半端なままに話が終わります。さらには、野上久美子のフィアンセである新聞記者の添田には、書かれた1960年ごろの社会背景が捨象されています。新聞記者という設定が死んでいます。

 もともとが『オール読み物』への2年間の連載小説なので、執筆中に社会情勢を踏まえてプロットの修正を余儀なくされたことも推測できます。その意味では、この小説は推理小説ではなくて、父娘のドラマとして読むべきでしょう。

 そうすると、映画化にあたっても、その本領が発揮されるはずです。映画は、原作に近づこうとしすぎたのではないでしょうか。もっと思い切って父娘に接近し、政治・思想の背景には割り切りをみせると、すばらしい映像作品となることでしょう。

 エンディングで父と娘が歌う童謡「七ツの子」へのクライマックスは、これこそオーディオ・ビジュアルな手法ならではのものであり、文字による物語では不可能なことです。

 テレビドラマとして松本清張作品がリメイクされた時期がありました。この『球形の荒野』は、1992年にフジテレビ系のドラマで、平幹二朗と若村麻由美が父娘役で出演したようです。どなたか、録画したものをお持ちではないでしょうか。DVDになっていないようなので。

 テレビドラマと映画は、当然ちがいます。映画として再挑戦する監督の出現を待ちたいと思います。そしてその時には、ぜひ我が町の信貴山も舞台に加えてください。
 国宝『信貴山縁起絵巻』では、尼君が弟の命蓮を探し求めて、信濃から奈良の東大寺へ、そして信貴山へと旅をしてめでたく出会います。信州の温泉地ではなくて、信貴山温泉も紹介してください。撮影は、桜と紅葉のころがいいでしょう。
 こう書いている内に、自分で映画が作りたくなりました。

【追記】 もう30年も前のことです。
 瀬戸内晴美の時代小説『幻花』がテレビドラマ化されたときに、「テレビは小説を超えられるか」、という宣伝文句がありました。「ポーラ名作劇場/幻花」テレビ朝日、1977.2.14〜1977.5.23」は、毎回楽しみにして見たものです。主演は、中野良子と沖雅也でした。
 これについては、私はテレビが勝ったと確信しています。主役の中野良子がよかったですね。
 私が新婚時代であったこともあり、子どもの名前に、女の子ならばこの物語の女主人公の「千草」にしようか、などと考えたものでした。第2候補が、西岸良平のマンガから「たんぽぽ」でした。いずれも、妻と義母の反応を見て断念しましたが……
posted by genjiito at 22:49| Comment(0) | ■読書雑記
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