2011年08月19日

インドからの報告

 一昨年まで日本で勉強していたクマール君が、最近のインドの様子を報告してくれました。
 インドは現在、社会的に反汚職革命が進行中だということです。

 クマール君については、本ブログで4回登場してもらっています。

「クマール君が審査員特別賞を受賞」(2009年3月20日)

 政治社会に関する問題は、さまざまな立場があるので、一個人の意見を紹介するにしても判断の難しいところがあります。私も、今のインドがこれまでとこれからの狭間で、いささか迷走中ではないかと思っています。
 かつての、コンピュータを中心としたIT分野の牽引力だけではどうしようもない状況にあることは明らかです。

 インドの英語力や数学の勉強法などについては、日本でも話題になることが多いようです。これからの世界を考えると無視できない国だからでもあります。
 しかし、日本のマスコミがあまり取り上げないところで、日々変化が起きていることは、毎年行くと実感します。中国と違い、10億の民が民主主義の社会を形成しているのです。そして、日本人が持つ特質とでもいうべき謙虚さを、インドの人々も持っています。それでいて、あまりにも急激な社会変化の中において人への思いやりが追随できず、おのずと心の中に矛盾が顕現します。その顕在化したと思われる事象を、現地の若者がそれをどう見ているのかを知ることは、非常に大切なことだと思います。

 私も、〈インド日本文学会〉の設立に関わり、これまで、インドの多くの方々との情報交換を心掛けて来ました。しかし、しょせんは国際交流基金や大学関係者を中心とした環境からの情報が中心となっています。
 今後とも、すこしでも幅広い視野でインドのことを取り上げたいと思います。

 さて、クマール君が送ってくれた報告は、以下の通りです。
 若くて冷静な判断ができるクマール君のことなので、真剣に問題に対処してのレポートだと思います。若いからこその思い込みもあるかもしれません。特に、後半に出てくるガンジー主義のAnna Hazareyについては、どのような評価をすべき人物なのか、今の私にはわかりません。今後の続報を楽しみにして、まずは第一報を転載します。
 
 
 


革命段階にまで強まるインドの市民社会運動
 
 この2011年8月15日に、インドは独立して64年目の記念日を迎える。インドは世界トップの汚職国であるにも関わらず、たった一人の政治家の汚職疑惑が裁判で判明された事例はなく、もちろんのこと刑務所で懲役にもならなかった。

 逆説的であるが、インド初の総理大臣ネルーの言葉「汚職人を一番近くの電柱で首をくくってやる」が、人々の間で一番人気だったセリフである。もちろんのこと、その言葉はインドの政治家に向けられたものであった。

 インドは世界一の貧困人口を抱えている国とみなされるが、その理由の中で一番大きなのは汚職問題とされている。それでは、汚職問題はなぜ生まれるか、という質問はインドの市民社会運動の中枢を成してきた。

 社会に公正を守るべく民主主義の中で、裁判システムは国の政府・政治から独立したものである。しかし、その裁判は取り調べる機関のレポートで判決を下す。調べる機関などは政府の管轄下にあるので、中立な立場を守れない。そのために、インドにおける64年の歴史の中で、たった一人の政治家の汚職疑惑すら裁判で判明されなかった。
 現在、インドの市民社会運動は、取り調べ機関の中立性をもっとも求めており、裁判と同様に政治の影響なしの取調べ機関の必要性を訴えている。
 
 インドの市民社会運動を率いる人たちの中で、ガンジー主義のAnna Hazareyは重要な人物である。社会貢献のために、インド国会から市民に与えられる最高受賞の第二位のPadam Bhusan と、第三位のPadam shreeが授賞されている。彼はインドのマハラシュトラ州の生まれ育ちで、自分の村を国際的に理想のモデル村にまで発展させたことで知られ始めた。

 社会的貢献は多い。村の女性たちは夫の酒の癖で大変に困った時の市民運動が著しい。もし、ある村の女の人50%以上に酒の店に反対して投票すれば、その酒の店の許可は政府から廃止される、という反酒の法を政府に作ってもらった。それはインドならではの問題に対して、インドならではの市民的解決策であった。
 その他、Right to Information ActもAnnaの尽力で可決・成立された法である。その情報アクセスの法を使って、あらゆる政府機関から正式的に情報がもらえる。

 インドの貧困の裏にある汚職問題を重く問題視しているAnnaは、反汚職運動を率いて、Janlokpal 法案の可決・成立のために42年も戦ってきた。Janlokpal法案のもっとも訴えるところは、通常に公的スキャムを取調べる機関を政府の管轄下から解放して、裁判と同様に中立な機関にすることである。

 今回のインドで行われた、コモンウェルスゲームの大量のスキャンダルと、その事件に対する人たちの憤慨をきっかけに、Annaは4月5日に法案可決成立のためにニュー・デリーで断食を始めた。政府が同意してくれない限り、死ぬまでの断食であった。まさにガンジー主義方法であった。

 インド全国で、Anna応援の声はマスコミのあらゆる方法であげられた。インド政府は動揺し、4月8日にAnnaの法案に同意し、9日にインド大統領の公式紙に書いて公約した。それで、4月9日で断食が終わった。
 しかし、インド独立記念日の8月15日までに法案が議会で可決・成立しないと、16日からまた死ぬまで断食を始める、とAnnaが公言した。その法案を検討すべく政府と市民運動活動家の委員会が組まれた。その委員会で政府は片務的な姿勢を見せ、市民社会の法案は無視された。それで、Annaはもう一回、8月16日から死ぬまで断食をするのである。
 
posted by genjiito at 23:15| Comment(0) | ◎国際交流
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