2010年12月13日

井上靖卒読(117)「流転」

 天保11年のことです。
 市川海老蔵の「勧進帳」が巷の話題になっていました。団十郎が義経、海老蔵が弁慶です。

 人気者の海老蔵は、傲慢なところがありました。その海老蔵に楯突く三味線弾きの新二郎。2人の対立の中で、新二郎に視点を合わせて物語が展開していきます。この新二郎の周りには、お秋とおしのの2人の女性が配されます。

 新二郎は、海老蔵に反発し、詫びを入れることなく歌舞伎の世界を捨て、お秋と舞踊の寄席に出ます。しかし、新たな出発の舞台で火事に見舞われ、一転して驚愕の物語展開となります。
 急テンポで進展する迫力のある描写に、井上靖の若いエネルギーを感じます。

 やがて海老蔵も、深川での豪奢な生活を咎められ、江戸から追放されます。そして10年ぶりに江戸に帰るとき、お秋と出会います。ここで、父親殺しの背景にあったお秋の誤解が解けます。しかし、新二郎の運命はさらなる波乱の中にありました。

 死に行く新二郎の三味線に合わせて、念願の「蓬莱」をお秋は踊ります。火事で中断されたままだった舞踊が、今、両国の隅田川の堤で、海老蔵に見守られながら密やかに舞われます。
 「嘉永三年三月、星の降りそうな夜だった。」と結ばれるのでした。

 この作品は、ことばが緻密に詰まっています。後にゆったりと語る井上靖も、その初期にはこんなに神経を研ぎ澄まし、計算された語り口で書き綴っていたのです。

 懸賞小説に応募した作品ということもあるのでしょうか。後半の筆が奔り過ぎです。描写が粗くなっています。もっと、丹念に新二郎とお秋を語ってほしいと思いました。内心は新二郎を好いていたおしのも、中途半端なままです。また、海老蔵をもっと憎まれ役で通してもよかったのではないでしょうか。【3】

 この「流転」は、昭和11年4月30日を締め切りとする『サンデー毎日』が募集した懸賞小説に、「時代物」として30歳の井上靖が応募した作品です。選者は、菊池寛、吉川英治、大佛次郎の3名でした。そして、「流転」は「第1回千葉亀雄賞 長篇大衆文芸時代物 第一席入選」を果たしました。
 応募総数が925編だったので、激戦の中での受賞です。

 「流転」は、『流転』(昭和23年10月10日、大阪有文堂刊行)に、短編の「紅荘の悪魔たち」と「霰の街」と一緒に収録されています。また、『流転』(昭和31年4月15日、河出新書)に、「森蘭丸」と併録されています。
 
 
初出誌︰サンデー毎日
連載期間︰1937年1月3日・10日合併号〜2月21日号
連載回数︰全7回
 
井上靖全集8︰長篇1
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
posted by genjiito at 23:50| Comment(0) | □井上卒読
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