2010年10月19日

西国三十三所(19)元慶寺(番外)

 私が持ち歩いている西国札所のガイドブック『西国&新西国巡礼』(ナンバー出版、1984年)は、昭和59年に刊行されたものです。ちょうど西国札所を一巡し、つぎに新西国霊場巡りを始めた頃に買った本です。26年も前の本なので、古いなーと思いつつも、長く使って来たことから無意識にカバンに入れて出かけています。

 今回、この本もお役目を十分に果たしていることを痛感しました。それは、お寺までの順路の説明やバスの記載が、当時と状況が相当違ってきていることに直面したからです。

 元慶寺は、西国三十三所の番外3ヶ寺の1つです。
 この番外の札所とは、開基である徳道上人や、これを再興させた花山法皇ゆかりの寺院のことを指します。そのためもあって、この元慶寺のご本尊は、観音さまではではなくて薬師如来です。

 元慶寺への行き方について、手持ちの本には、「京津線日ノ岡駅下車、南へ徒歩15分」とあります。しかし、地下鉄東西線の開通により、平成9年に京阪京津線の地上区間が廃止されました。それに伴い、九条山駅と日ノ岡駅が廃止されたのです。日ノ岡駅は御陵駅に統合され、今に至っています。つまり、日ノ岡駅は今はないのです。

 この元慶寺行きを機に、『西国三十三所ウォーキング』(JTBパブリッシング、2007年)を手にして出かけることにしました。この本によると、元慶寺は「地下鉄東西線御陵駅下車」とあります。
 それでも、駅からお寺までの道順は歩きながら不安になります。とにかく、狭い住宅地を通り抜けるようにして歩きます。
 御陵駅の改札窓口で、元慶寺までの道順を書いたメモをもらうことが肝要です。

 スーパー「フレスコ」が見つかれば、もうすぐそばです。
 写真の進入路が見つかれば、もう元慶寺は目の前の突き当たりです。
 
 
 
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 山門は竜宮造りで、珍しい唐風の門です。
 
 
 

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 狭い境内で、本堂も息苦しそうです。
 
 
 
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 その本堂の前に、花山院の落飾の場所であることを示す石柱が建っています。
 
 
 
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 花山天皇が、藤原兼家と道兼父子の策謀によりこの寺で出家させられたことは、『大鏡』や『栄花物語』でよく知られているところです。19歳の時でした。この花山天皇の親王時代には、紫式部の父藤原為時が学問を教えています。

 出家後の花山院は、徳道上人の宝印を持って観音霊場三十三所を巡礼します。花山院が各霊場で詠んだ和歌が、今の御詠歌となっています。
 今回、朱印軸に書いてもらっている御詠歌は、花山院御製のものだといわれる和歌です。
 
 
 
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 この御詠歌は、次の通りです。


まてといはば
いともかしこし
はなやまに
しばしとなかん
とりのねもがな



 元慶寺は僧正遍昭を開基とする、西国三十三所霊場の番外札所です。
 遍照は、紫野の雲林院の別当を兼ねています。雲林院は今の大徳寺の南側にあり、『大鏡』の冒頭で有名な所です。こうしてたどると、遍照が身近に感じられます。

 元慶寺の境内には、「遍照僧正御墓」と刻まれた石柱がありました。しかし、その御墓がどれなのか、聞きそびれてしまいました。
 
 
 

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 この境内ではなく、寺から南に200メートルほど行ったところにある、との情報もあります。写真も公開されているので、それも確かなのでしょう。とすると、この元慶寺の石柱は何なのでしょうか。いつか確認しておきます。

 境内には、さらに遍照親子の歌碑もあります。
 
 
 
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小倉百人一首 第十二番 僧正遍照 歌碑
財団法人 古代学協会 建

天津かぜ
くものかよひち
  ふきとちよ
 乙女のすがた
  しはし
   とゝめん



小倉百人一首 第二十一番 素性法師 歌碑
財団法人 古代学協会 建

 今こむといひしはかりに
長月の 有明のつきを待ち
  いてつるかな



 平安時代の物語や和歌の空間として、元慶寺はもっと人に知られてもいいお寺だと思います。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ・ブラリと
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