2010年10月10日

西国三十三所(10)穴太寺

 京都の西のはずれの亀岡市にある穴太寺は、西国21番の札所です。
 その札所巡りの前に、まずは穴太寺の少し先にある亀岡温泉で、私のお腹の傷を癒すことにしました。

 京の奥座敷で知られる湯の花温泉郷の「里山の休日 京都・烟河(けぶりかわ)」は、日帰り温泉にピッタリです。
 自宅から JR 二条駅経由で亀岡駅まで行き、駅前の送迎バスに乗って1時間以内で行けました。

 烟河は旧亀岡ハイツといわれたところです。
 戦国時代には傷ついた武将たちが、刀傷を癒したという謂われのある古い温泉郷です。
 今の私にとっては、今夏の手術でお腹に6カ所ものメスを入れられたので、その傷を癒すのにこの温泉は最適です。現在の烟河は、とてもきれいな施設でした。

 丹波の山並みを目の前にして、ノンビリと露天風呂に入った後、野菜バイキングをいただきました。バイキングといっても、好きなものを少しだけ取っていたので、いろんな種類の和食を楽しむことができました。

 この亀岡は、かつて明智光秀が築いた丹波亀山の城下町でした。その後、この地は伊勢の亀山と紛らわしいということで、明治2年に亀岡と改称したというのです。今も亀山城跡があります。しかし、亀山という名を捨てたことには、もっと複雑な背景があるのでしょう。今は詮索しませんが、また調べてみます。

 食後は、ホカホカした身体でホテルの送迎バスに揺られ、穴太寺のそばで降ろしてもらいました。穴太寺は村の中にあり、花が咲き匂う境内でした。
 
 
 
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 御詠歌は、次の通りです。


かかるよに
うまれあふみの
あなうやと
おもはでたのめ
とこゑひとこゑ



 『穴太寺縁起絵巻』(狩野永納筆)というものがあるそうです。それによると、穴太寺の聖観音像は「身代わり観音」の伝説で知られ、この伝説が『今昔物語集』に取り上げられています。そのことから、平安時代末期には観音霊場として知られていたことがわかる、といわれています(【京都通百科事典】より)。

 ただし、私はまだこの絵巻を確認していません。
 いろいろと調べたのですが、その実体がよくわからないのです。また後日、詳細を調べることにしましょう。

 穴太寺からバスで馬堀駅へ出て、トロッコ列車で嵯峨野へ向かいました。
 馬堀駅からトロッコ亀岡まで歩いて10分弱です。
 
 
 
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 この微妙な距離を歩いて、なぜこんなに離れているのだろう、と思いました。しかも、亀岡駅からはJRで一駅乗って馬堀駅まで来るのです。
 何か理由があるのでしょうが、ブラリと来た身なので、妻とこの疑問を大いに楽しんでいました。

 トロッコ亀岡駅は、人でごった返していました。亀岡駅や馬堀駅から不便なところにあるにもかかわらず、これまた驚きです。
 
 
 
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 最初は立席券だったのが、キャンセルが出たということで幸運にも座れました。今日も、観音様の御利益に感謝です。

 トンネルがいくつもあり、暗くなると昔風の電灯が点きます。
 
 
 
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 保津川の流れも堪能しました。
 
 
 
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 保津川下りも、そして今日乗ったトロッコ列車も、私は初めてです。いつかいつかと思いながら、つい機会を失していたのです。

 トロッコ嵐山駅を少し過ぎた地点で、野宮神社が少し見えました。黒木の鳥居が、その存在感を示しています。
 終点のトロッコ嵯峨駅には、蒸気機関車をはじめとする鉄道文化の展示施設がありました。
 その駅の構内には、御所車も展示されていました。
 
 
 
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 これは、野宮神社からの斎宮行列のイベントに使用されるものだそうです。

 かつて、伊勢斎宮が伊勢に赴く前に潔斎をする野宮社が、ここにあったとされています。『源氏物語』の第10巻「賢木」に語られ、境内の黒木の鳥居と小紫垣がよく知られています。
 この斎宮行列は、毎年10月第3日曜日に実施されるので、今年は来週の10月17日です。
 斎王が任命を受け、都から伊勢の斎宮へと向う「斎王群行」を再現したお祭です。お金を払うと、この群行の女官などとして参加できます。
 斎王、監送使、官人・女官など総勢数百人が、勢多頓宮、甲賀頓宮、垂水頓宮、鈴鹿頓宮、壱志頓宮を経て斎宮に到着するまでには、当時は5泊6日もかかったといわれています。
 ただし、今は、野宮神社を正午に出発し、渡月橋を往復するだけです(【京都通百科事典】参照)。

 それはともかく、私にはこのトロッコ嵯峨駅の構内にある唐破風の牛車は、この地と文化には立派すぎると思いました。斎宮にはもっと簡素な牛車に乗ってもらいたいと思っていたからです。

 JR嵯峨嵐山駅の改札前には、こんなおしゃれな和風の丸窓がありました。
 
 
 
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 その右に見える黒木の立派な格子戸といい、駅らしからぬ雅と和の雰囲気を演出していました。この駅を設計した方のセンスに好感を持ちました。

 夕食は、四条錦市場の牡蠣のお店で、焼きたての牡蠣をいただきました。
 
 
 
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 これから、ますます牡蠣が美味しくなります。退院するときの栄養士さんの話でも、牡蠣は少量で高カロリーなので、胃を全摘した私にはとてもいい、とおっしゃっていました。
 フラリと立ち寄って牡蠣を1つだけ食べて帰れる店なので、気軽に来ることができます。
 この後、四条から御幸町を上がった「おめん」で和食を食べました。

 このところ、順調に、少ないながらも、効果的に食事ができています。ただし、体重は思うように増えません。まだまだ、体力作りを中心としたリハビリの生活が続きます。
posted by genjiito at 23:33| Comment(0) | ・ブラリと
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