異常続きだった暑さもすっかりと和らぎ、秋の気配の紀州路でした。
まずは、紀伊勝浦駅に降り立ちました。
駅前のロータリーには、佐藤春夫の「さんま、さんま、さんま苦いか塩つぱいか。」で知られる「秋刀魚の歌」の碑がありました。
この地は、佐藤家の屋敷があったので、その縁でこうして碑が残されているのです。
春夫のこの詩の背景には、友人だった谷崎潤一郎の妻千代との「細君譲渡事件」(昭和5年)があります。ただし、今は那智山へ行くのが目的なので、この話はまたの機会にしましょう。
お参りの途中で、熊野古道のほんの一部を歩きました。
鬱蒼とした森を1本の道が続いています。
厳粛な気持ちになっていたとき、忽然と市女笠にむしの垂衣の壺装束姿をした、艶やかな女性がやってきました。
何かの撮影かと思いきや、聞いてみると貸衣装で古道を歩いているのだそうです。『源氏物語』の玉鬘も、長谷寺へお参りするときには、こんな姿だったのでしょうか。今の若い人に対して、これはなかなかいいアイデアだと思いました。京都の街中で舞妓姿で散策をしている、あれの鄙バージョンということです。背景がいいので、きっとその気になって千年前の世界を味わっておられたことでしょう。
後ろ姿も決まっていました。
紅の懸帯がアクセントになっていて、いい雰囲気でした。もっとも、横で介助をしている男性の首に巻かれたタオルが、何とも写真向きではありませんでしたが……
青岸渡寺の本堂は、いつ来ても熱気があります。
西国札所第一番という重みも感じられます。
この前ここに来たのは、突然に母が意識を失ったため、その回復を願って来たのでした。ちょうど6年前の9月です。
あのときは、私が中国の旧満州から帰国したばかりでした。
母が旧満州から日本に引き揚げて来るときにいたと思われる、長春の街中を案内してもらっていたちょうどその時間に、母は意識を失ったのです。
娘と話をしているうちに、母がよくなるように西国巡りを思い立ち、まずは第一番の那智へ行こうということになりました。
朝早くに車でスタートし、高野山を抜けて一路南下し、この青岸渡寺に来ました。本堂でこれから巡るためのお軸を買い、こうして4回目の西国巡拝をスタートしたのでした。
その日の内に車を北に走らせ、夜中じゅう運転をして深夜に、どうにか当時いた奈良の平群の自宅に帰り着きました。
私も、50そこそこで若かったからこそできたことです。
今回のお軸には、御詠歌を書いてもらっています。
この那智山には5回目ですが、いつ来ても気持ちが落ちつきます。
それでいて、瀧は雄大な気持ちにしてくれます。不思議な霊地です。
今日の泊まりは、隣町のクジラで有名な太地です。
船で上陸しようと予定していました。しかし、昨日の台風の影響か、波が高いということで、今日は太地のクジラ浜には行かないとのことです。それでも折角なので、船で紀の松島めぐりで、勝浦に戻るコースに乗りました。
確かに、船は大揺れでした。それだけ、景色も荒々しくて雄大でした。
宿から迎えに来てもらい、太地に移動しました。
夕陽がちょうど沈むころで、きれいな夕焼けを見ることができました。
体調がよかったこともあり、炭酸が胃に負担をかけるので当分は控えたら、といわれていたビールを飲んでみました。旅先だからこその、ささやかな冒険です。身体に異変があったら、との思いはほとんどなく、おいしく地ビール「熊野古道麦酒」を飲みました。
古代米を使ったビールとのことで、いい香りに口当たりとのどごしが爽快でした。もっとも、お腹を守るために、のどごしが云々と言えるような飲み方はできません。チビリチビリとビールを飲みました。
【・ブラリとの最新記事】
- 雷雨に打たれながら一晩で温泉に5回入る
- 秋田から新潟・東京経由で京都へ
- 鎌倉を散策して「鉃」と出会う
- 出雲で出会った方々との奇縁続きに驚く
- 散策で見かけた秋らしさ
- 桂川のイオンモールをゆったりと歩く
- 樟葉モールで「セレンディピティ」という言..
- 美術館「えき」KYOTOで「鴨居玲展」を..
- 初夏の公園を散策して
- 新緑の中を散策
- HONBAKO京都宇治へ本を持参して並べ..
- 白浜のとれとれ市場の活況と、車内で出会っ..
- 西国三十三所(1)青岸渡寺で7巡目に入る..
- 南紀白浜から太平洋を見はるかす
- 秋田から東京経由で京都へ直行
- かすみ温泉に今日も行った後は百人一首を愉..
- 羽後での3日目は隠れ里にある「かすみ温泉..
- 2日目の羽後散策
- 東京の青山から東北新幹線で一路秋田の由利..
- 宝塚から中山寺を経て西宮へ
